e-hon TOPへ戻る

紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

1949年創刊。硬派な人文書からホットなサブカルチャーまで紹介する週刊の書評新聞「図書新聞」とe-honのコラボ企画!

「図書新聞」の紙面で紹介した書評や、対談記事をご紹介します。【週1回更新】
取り上げる本や評者を厳選し、確かな見識で深く掘り下げた書評は「読み応えアリ」です!
「図書新聞」定期購読はこちら

 ◆ 3336号(1月20日発売号掲載)

『坊っちやん』は政治小説?

当て字書きの天才・漱石の言葉の裏を読み解く
対談 いとうせいこう×古山和男

 ■このたび、古山和男氏が『明治の御世の「坊っちやん」』を春秋社から上梓した。直筆原稿に基づいた「読み」によって、これまでにはない「坊っちやん」の姿を浮かび上がらせた意欲作だ。本書によれば『坊っちやん』の真の舞台は「四国」の松山ではなく日露戦争で激戦の地となった「清国」の旅順、さらに「赤シャツ」を「山県有朋」、「うらなり」を「乃木希典」、そして「坊っちやん」を「明治天皇」に読み替えることで、当時の政府を鋭く批判した諷刺小説として読めるという。本書をめぐって、著者の古山氏と、これまで漱石文学について様々な場で論じてきた作家のいとうせいこう氏に対談いただいた。(対談日・12月4日、千代田区・神田にて。村田優〔本紙編集〕)

 ■直筆原稿と刊行本での表記の変化

 いとう まず本書を一読した感想として、古山さんはこの本を書き上げるのにものすごく時間がかかったのではないかと思いました。

 古山 そうですね、“期間”としてはかなりかかっています。ただ、本として仕上げるにはそこまで“時間”はかかりませんでした。実は本書の基となる発想そのものは若いころからありましたが、それから年月を経て漱石についていろいろなことがわかるようになってきて、これは本にできるかもしれない、と思い始めてきたのは一〇年ぐらい前からです。

 いとう 漱石文学の言葉には実は別の意味合いが含まれているのではないか――もっと簡単に言えば、その言葉は単なる「当て字」ではないのか――という最初の発想から、本書はその小説の一行一行、一単語一単語に細かく当たっていくかたちになりますが、僕としてはこの本のあとにちゃんとした“大事典”を出さなくてはいけないと思っていますね。ただ、それがあまりにも膨大すぎて、どういう状況証拠でそうなっているのか、という説明について本書では省かざるを得なかった。これではまわりからは「奇書」として扱われる可能性がとても高い。現時点では、本論のバックグラウンドにあるものの膨大さを考えながら読み進めていかなくてはなりません。

 古山 おっしゃるとおりです。『直筆で読む「坊っちやん」』(集英社新書)という本が二〇〇七年に出たのが本書にとっても大きかったですね。それまでは『坊っちやん』を活字のもので読んでいましたが、当て字の使い方など納得できない部分があった。そこで直筆原稿を活字版の対訳として並行しながら読んでいきました。分量はそこまで多くとれないので、今回はテーマを決め、漱石がなぜ一〇〇年をかけて倒す敵がいると言っていたのかに焦点を絞って論を進めました。直筆原稿から読み解いたすべてを載せて、解説まで付け加えるとなると情報量がものすごく膨大になってしまうでしょう(笑)。

 いとう たしかにそのとおりですが、本当はそれをやることに一番の意味があったかもしれませんね。直筆原稿の『坊っちやん』から読み取れるまた別の漢字の表記に加えて脚注まで付けたら、もっとすごい仕事になります。僕もレーモン・ルーセルやルイス・キャロル、ナボコフといったアナグラムの世界が好きだから、使われる言葉の意味を考え始めたらきりがなかったのではないかと思いました。

 古山 そうですね、本当にきりがなくなってしまう。本書を刊行したあとでも気づいたことがたくさんあります。ですから、そのあたりをもう少し煮詰めてから、また新たに書こうかとも思っています。

 いとう ただ、それこそとんでもない事典になってしまうので、もうネットで詳細を公開するとか趣味の範疇でやっていくしかありませんよ、その企画を引き受けてくれる出版社もないだろうから(笑)。どんどん改訂が必要になってくる仕事なので、本書が奇書と呼ばれる一方で、ものすごく新しい独自の方法を試みているとも言える……まさに、この本は今も動いています。

 僕も河出書房新社の日本文学全集で山東京伝の『通言総籬』や近松門左衛門の『曽根崎心中』を現代語に訳す仕事に取り組んだことがあるのですが、今までの対訳では抜けている箇所がとても多くて不満があったんです。つまり、原文における「掛詞」や「洒落」を無視して内容だけ訳しているから、まったく面白くない。しかし、当時の人たちにとって問題だったのはそういった洒落の部分だったはずで、センスのよい言葉の使い方から読者もそこに皮肉やユーモアを読み取ったのだと思います。要するに俳諧精神というものですが、これは明治の御世以降崩れてしまった。僕自身、浅草に二〇年近く住んでいましたが、その場所の先輩方が、自分たちの俳諧精神をわかってくれない田舎者が明治のときにいっぱい入ってきて、おれたちの文化を壊したということをいまだに言っているんですよ。薩長の野郎、って感じで(笑)。今だってまさに長州の人が上にいて、それを下町の人たちは快く思っていませんから、御一新というものが一方的にいいものだったとは到底思えません。そうした背景を踏まえながら『坊っちやん』を読み直したときに、これほどの政治小説はないと思いましたね。なにしろ主人公が会津出身の「山嵐」を自分の味方に付けているわけですから。たしか『坊っちやん』は本になるまで時間がかかっていたとか……。

 古山 漱石は一〇日とか二週間程度で『坊っちやん』を書いたと言われていますが、私個人としてはこれだけのものを書くにはかなり準備が必要なので、時間もかかったのではないかと思います。そういうことは漱石学者を含めて誰も言っていませんが、私はそんな気がします、今のところ証拠や根拠はありませんが。

 いとう いや、古山さんの読み方からすれば、そのように考えてもちっとも不思議ではありません。今までの『坊っちやん』像からすれば、あの読みやすさからしてさらさら書いたのだろうと考えてしまうでしょう。どこかで読んだ本では、高浜虚子と一緒にやっていた雑誌『ホトヽギス』で発表してから単行本として刊行されるまで時間がかかったと書いてありましたが、僕としてはそのとき『坊っちやん』が政治小説だから刊行されなかったんじゃないかとなんとなく思いました。

 古山 私もそう思いましたね。直筆原稿と初出の『ホトヽギス』の活字を比べてみると、あきらかな異同がある。本書でも少し紹介しましたが、最初の段階からなぜ編集者はこの字を使わなかったのか、という疑問がありました。そして単行本として作品集『鶉籠』に収録された時点ですでにさらなる漢字表記の変化が見られるんです。なんで言葉を変えたのか、ということを考えたときに、やはり『坊っちやん』は政治小説だったからじゃないかな。

 いとう 編集者による検閲が入ったのかもしれませんが、『鶉籠』の段階で手が加えられて抑えつけられてしまったため、本では漱石がやりたかったこととは違うかたちになってしまった。

 古山 そのあたりは『直筆で読む「坊っちやん」』を読むと文字表記の変化がよくわかりますね。

 いとう 僕は作家の奥泉光さんとかれこれ一〇年以上「文芸漫談」という文学ライブをやっていて、奥泉さんは漱石についてとても詳しいのですが、僕らはもともと中上健次が好きで知り合ったところがあります。その中上の場合も直筆原稿に改行がまったくなくて、集計用紙のマス目にすごく小さい字をびっしり書いていたんです。でも、原稿を受け取った編集者が勝手に改行を入れて、それが今でも本として出回っている。だから直筆原稿と実際の本が違うというケースは、近代文学だけでなく現代文学においてもいまだにあることなので、漱石の時代ならばもっとあるに決まっていると実感として僕にもわかります。だから、中上に関しては改行の位置をちょっと変えるだけで文脈も変わってしまうので、そうした考えから今後別の読み方が出てくる可能性が十分にありますね。これまでそういった言葉の表記について、近代文学や現代文学ではあまり大事にしてこなかった。内容至上主義みたいなところがありますね。この点についても、本書の序章できちんと糾弾されているように感じました。

 古山 やはり漱石は物事を深く考えていた人だと思います。政治意識も高く、世の中のことを将来にわたって心配していた人物でした。ただ、同時代の人たちがどこまでその諷刺をわかると思って書いていたのか、ということに興味があります。それは本人のなかでのやりがいだったのか、一つの使命感だったのか。

 2ページ以降はこちら

現在時の実践と思想のあり方をどのように描くべきか

反復強迫を引き起こす「死の欲動」
評者:宮澤隆義

 本書は第一部が筑摩書房版『坂口安吾全集』月報(「Melange」)収録の文章(一九九八年~二〇〇〇年)、第二部が一九七〇年代から二〇〇〇年代にわたる安吾論五本、第三部は故関井光男との対談等という構成になっている。中国の人民文学出版社の翻訳オファーに応じて編んだものとのことで、英語からの翻訳も含めつつも既発表の文章しかない点が残念だが、年代の異なる論をまとめて読める点では簡要である。また、初出からの加筆も見られる。

 本書の特徴は、著者が一九九六年に刊行した『坂口安吾と中上健次』と比較することで浮かび上がってくる。『坂口安吾と中上健次』では大きく言って、「文学のふるさと」などにおける「他者」の問題を強調していた。だが本書では、美学的「崇高」や「死の欲動」、ヒューマン・ネイチャーというテーマ、さらに歴史といったモチーフが前面に出されている。中上論の収録の有無も含め、前著においては日本的共同体に対する「他者」の必要が述べられていたのに対し、本書では主として新自由主義(新帝国主義)の時代における政治と歴史の問題を焦点とした編成になっていると言えよう。そして坂口安吾は、柄谷行人にとってそれら両面を共に批判しうる存在なのである。

 なぜ「崇高」なのか。バーク以降、「崇高」と「美」はそれぞれ革命(あるいは「主権」の露呈)と市民社会に対応して考察されてきた。カントが『判断力批判』において崇高を美の下位に置きつつ体系化しようとしたことは、フランス革命のインパクトをどう「市民社会」に組み入れるかという試みであった。安吾本人にとっては一般性があると思っていた「美」しい風景とは、実は他者から見ると荒涼たる「崇高」な風景であったことを著者は指摘しているが、この視差に基づく議論が安吾の戦争観や革命観等と照らし合わせられながら展開されているのである。

 著者の論の独自性の一つに、フロイトを援用しつつ、「死の欲動」を安吾における人性(ヒューマン・ネイチャー)の問題に読み込む点がある。大岡昇平にも言及しながら、著者は「自然natureと人間human natureの関係」について語る。「われわれがどんな自然観をもっていようと、根底にはむき出しになった自然と人間の関係があり、それが消滅することはありえない」。柄谷の著作において初期から繰り返されてきた、意識を超える「自然」という問題は、自己の意図と無関係な、何ものかの回帰としての「外部」を指し示してきた。

 ヒューマン・ネイチャーを自らの外部を反復させるものとして位置づけたことは、著者が本書で「坂口安吾のアナキズム」を唱えた問題とも関わってくる。安吾とアナキズムを関連させる発想自体は、六一年に加藤秀俊が「坂口安吾――Human Natureの発見」で語っており、著者が初めて述べた訳ではない。加藤は人性の問題としてある「生きたい欲望」を肯定した安吾に、アナキズムの思想を読んだ。だがこれに対し、柄谷による安吾の人性の問題は、生への欲望とは異質な、反復強迫を引き起こす「死の欲動」において見出されていることが特徴だ。著者はそこに快感原則ではなく、その外部を反復させる構造の可能性を見ているのである。

 柄谷行人が安吾をアナキストであると書いたのは、二〇〇一年のことであった。この主張の背景には、二〇〇〇年に彼がNAM(New Associationist Movement)を立ち上げたことが影響していることは間違いない。なお小田透は、冷戦終結後である九〇年代半ばのアメリカでは、ポスト構造主義に欠けている主体的契機を構築するため、「ポストアナキズム」という概念がその不在の場を埋めるものとして提唱されたと指摘している(口頭発表「ポストアナキズムの問題――脱領域化の野心と再領域化の危険性」)。このことは柄谷における実践への着手と、そこにおける主体化の運動を名指す際に、やはり「アナキズム」が召喚されたことと重なってくる問題であるだろう。

 柄谷は初期からシュティルナーを評価していた。だがそこで着目した単独性の問題が、九〇年代後半辺りからリバタリアニズムや共同体(社稷・家)主義と結び付いてゆく点を批判しつつ、アナキズムや連合主義を論じていったことが本書からはわかる。だがここでそもそも、安吾自身は自らをアナキストとしては定位しなかったことは疑問として残る。安吾における可能性と現実の分裂というモチーフを「アナキズム」という言葉は埋めてしまいかねず、この名指しについては批判的検討が必要であろう。しかしいずれにせよ本書から浮かび上がってくるのは、現在時の実践と思想のあり方をどのように描くべきかという問いが、資本主義の問題とともに、今なお変わらず存続していることである。

 本書のもう一つの特徴は、「イノチガケ」等の安吾の歴史への言及を取り上げながら「思考の力の争い」への考察が書かれている点であるが、これは『世界史の構造』以降書かれていった、交換様式の違いからどのような「力」が現れてくるかという問題設定と関わるものだろう。だが、一種の純粋贈与たる「交換様式D」とカントの統整的理念とが接続した場合、天皇という問題もまたそこに重なってくることはないのか。安吾の生涯にわたった天皇制批判がそれとどう角逐するのか、過去の文章のみならず、近年の著者に尋ねてみたい。

 (文芸批評・研究)

六十歳で還暦スイッチを押して、カチリと人生を切りかえよう

七十歳を過ぎれば、どの人の人生も吉凶半分こ
評者:大野秀樹

 数年前、評者は登山医学について週刊朝日の取材を受け、送られてきた掲載誌がペラペラに薄いことにビックリしたことがあった。その薄さの中で異彩を放っている連載「コンセント抜いたか」を大幅に加筆し、さらに書き下ろし原稿を加える、というエッセイシリーズの最新刊だ。相変わらずの博聞強記ぶりで、嵐山光三郎の本は人生のボキャブラリーを豊かにしてくれる。

 タイトルにあるように、物わかりのいい老人になって、かどがとれて、酸いも甘いも噛みわけた気になるような枯淡派とはならず、老人の新芽が出るように、古顔で、オールドファッションで、へそ曲がりで、わがままで、時代遅れで、老練で、したたかで、頓着せずに人生を楽しもう、というコンセプトが全編を貫いている。理想は一休宗純だ。盲目の四十歳くらいの色白の美女・森侍者との愛欲生活を七十七歳のときにはじめ、『狂雲集』に「森の女陰は水仙の香りがする。森の体を望めば、森はわしの腰間をまさぐる。枯れた梅の古木も蘇ってきた」と書き残した。「女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨もひょいひょいと生む」といった心境だったのであろうか。嵐山の生き方がロックンロールであれば、一休はロック過ぎる人生だった。

 嵐山と同じ国立の住民で、深い親交があった作家・山口瞳の常套句が「生きている人の世の中」だ。どんなに活躍しても、死んでしまえば、それで終わり。葬式も法要も、生きている人がするのである。この世は生きている人のためにある。その証か、今の若者は山口をほとんど知らないようだ。そこで、生きているときが重要になる。ドイツ文学者の高橋義孝は、「七十歳を過ぎれば、誰もが吉凶は半分こ」と教えてくれた。いわゆるセレブは「いいことはいっぱいあったが、いやなこともいっぱいあった」。一方、市井の民は「いいことはちょっとしかなかったが、いやなこともちょっとしかなかった」。人生、ある意味でチャラなのだ。運はあらゆる人に平等にやってくる。運の強い人は、「強運がくるとき」を平常心で狙っている。ひとたび「運」がきたときには、わしづかみでとる。「運」がこないときには、ひたすら我慢して耐える時間も必要だ。ところが、なにをやってもうまくいかない人は、捨て鉢で弱気になり、気力が枯れてしまうため、せっかく「強運」がきたときに、つかみとれず、呆然と見逃してしまう。

 生きている間で大事なのは、(特に年をとると)血縁より友人だ。年寄りはうつになりやすく、物理的精力の減退は自然の理だが、仲のよい友だちが一番の宝である。他方、友人関係を保つには、かなりエネルギーがいる。五十歳になったときは、「これ以上新しい友だちはいらない」と考え、同じようなことを椎名誠も発言していた。先輩の恩、親の恩には賞味期限はないが、友情の賞味期限は、人により三年もの、五年もの、十年もの、五十年ものがある。隠居の賞味期限は十年。著者は、文筆業者としての賞味期限は七十五歳と考えていたが、いざ七十五歳になってみると、やり残したことがいくつもあって、背中をつんつん押される感じがするそうだ。そこで、「賞味期限はあと五年のばそう」と考えなおすことにした。著者はまだ現役で隠居生活ではなく、隠居の賞味期限が切れるまでは、まだ大分ありそうだ。

 「枯れてたまるか」に加えて、本書の魅力は著者のボーダーレスの博識(雑学)である。とりわけ、シルクロード研究の第一人者であった考古学者・キューさんこと加藤九祚(著者の平凡社時代の先輩編集者)と、二〇一六年にデビュー五十周年記念プレミアムコンサートを行った、シンガーソングライターの元祖・荒木一郎の描写が興味深い。シベリア抑留の経験がある加藤は、国立民族学博物館教授時代に、研究のためしょっちゅうソ連に行くので、公安警察が何度もやってきた。スパイとして疑われたが、来るたびに酒宴となり、公安警察官がすっかりキューさんのファンになり、自分で一升瓶をもってきたという。また、荒木は、ミュージシャン以外にも、映画俳優、ポルノ女優のプロダクション経営者、桃井かおりのプロデューサー、小説家、カード・マジシャンどころか、強制猥褻致傷容疑者(不起訴)にもなり、脱力感を感じさせる印象とは異なり、一休に迫るロックぶりを発揮してきた。荒木を知る人は、本物の天才と評価することが少なくない。「空に星があるように」や「いとしのマックス」が聴きたくなる。

 こうして、枯れずに、元気でしぶとく老後を送るコツやヒントを与えてくれる本書は、次の言葉でエンディングを迎える。「七十代の新たな冒険欲にそそのかされ、下駄をつっかけて夜の酒場へ出かけていく」。

 (社会医療法人財団大和会理事長・杏林大学名誉教授)