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「トランプ以後」の表現の自由


対談 明戸隆浩×志田陽子

 ■ドナルド・トランプがアメリカ合衆国大統領に当選してから丸一年。この月日、予想していた通りのこと、予想もしていなかったことが起こった。二〇一七年夏、アメリカのシャーロッツビルという街で「事件」が起こった。もしかしたら、これは「事件」としては「小さい」のかもしれない。しかし、これは、どうしても見過ごせないと思った。好悪にかかわらず「トランプ以後」を生きる私たちにとって、これは到底無視できるものではないと思ったのだ。シャーロッツビルの事件から考えられることがあるだろう。

 アメリカの多文化社会論が専門の明戸隆浩氏と、憲法学者の志田陽子氏に集まってもらい、対談していただいた。(対談日・12月15日、東京・高田馬場にて。須藤巧・本紙編集)

 ■なぜトランプの発言はウケてしまうのか

 明戸 二〇一七年八月一二日、アメリカのヴァージニア州シャーロッツビルで事件が起きました。そのときぼくはたまたまアメリカにいたのですが、その日シャーロッツビルでは白人至上主義者の集会があり、それに抗議する人たちに車が突っ込み、一人の女性が亡くなり、重傷を負った人も多く出ました。最近ではトランプがエルサレムをイスラエルの首都と宣言したことなども関係してくると思うのですが、シャーロッツビルの事件は「トランプ以後」の時代の象徴であり、アメリカはもちろん、北朝鮮問題など日本もそれに巻き込まれるかたちになっている。そうした中で、いうなれば「トランプ以後の表現の自由」とでも言うべき問題について、ぜひ志田さんとお話ししたいと思っていました。志田さんは憲法学者ですが、憲法においては表現の自由の問題は絶対に外せない論点で、実際志田さんはそれを長らく論じてこられています。それに対してぼくのほうは、ヘイトスピーチ(以下、HS)という問題から入り、その後必然的に表現の自由に関心をもつようになりました。とくに最初のころはHSの問題は「規制か、表現の自由か」という枠組みで議論されることが多かったのですが、そもそもHSが問題なのは、それがその標的となる人々の自由や権利を侵害するからなので、「規制か自由か」というその枠組み自体がおかしいのではないのかと、ぼくはずっと言ってきました。

 また、志田さんには『文化戦争と憲法理論』(法律文化社)という著作があります。ぼくのもともとの研究の関心はアメリカの多文化社会なので、この本もその観点から読んだのですが、最初の印象は「ずいぶん変なテーマを扱う憲法学者がいるんだな」でした(笑)。そこでも触れられていますが、「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ、PC)」という論点があり、これはトランプの問題とも関わってきます。トランプは一昨年の大統領選挙で、PCという言葉を、対立する民主党的立場を揶揄するため持ち出してきました。また日本では最近、「ポリコレ」などという以前は聞いたこともなかった略語が、ネットを中心に出回っています。そうした文脈で考えると、志田さんが書いた文化戦争というテーマは、単に九〇年代に起きた昔の話としてではなく、非常にねじれたかたちで現在の「トランプ現象」につながっているところがあると思います。

 志田さんは、トランプが大統領になって以降、シャーロッツビルでの事件も含めてのこの間の動きをどうご覧になっていますか?

 志田 客観的に見て、衝突、対立が激しくなったと言えると思います。多くの人が「パンドラの箱を開けた」と言いますが、私もその言い方が正しいと思っています。負のエネルギー、衝突のエネルギーは、アメリカでは南北戦争からずっと積み重なってきています。それが節目節目に、例えば九〇年代のロサンゼルス暴動などとしてあらわれてきました。しかし、アメリカは常に一触即発の状況を水面下に持ちながらも、それをなるべく暴力につなげないように努力してきた社会だと思います。キング牧師のように、爆発させたい怒りがあるのは重々承知だけれど、非暴力でやろうと訴え続けた政治的リーダーが必ずいて、多くの人がそれに共鳴して、ずいぶん我慢しながらも、理性で解決しようと努力してきた。「民主主義のアメリカ」という矜持が、アメリカ人には深くあると思います。ある言論を民主主義のプロセス、ルートになんとか乗っけようと努力します。黒人でも白人でも、怒りに任せてぶつかるのは恥ずかしいと思っている。民主主義の場で語るに足るスピーチの力を自分たちで身につけなければと、ディベートの訓練を積みます。だからスピーチはコンサートと同じように人を惹きつけるイベントになったりもします。スピーチや理性で物事を解決しようとする努力を台無しにするような、生の衝突を引き起こすような言葉は慎もうとする努力がありました。衝突を引き起こすような言葉を規制する法もありますが、憲法ではそれが広がらないように押さえ込む理論があります。それは、自発的な努力を信頼しようという思いがあったからこそ、法で規制してこなかったんだと思います。

 ところが、本当に悲しいことに、トランプ大統領はそうしたアメリカの努力に相当に無頓着な人で、みんながなんとか我慢して抑えてきた負のエネルギーをつっつく発言をそこかしこでしています。「憎悪の許可」に当たる発言です。それである種の人々のタガが外れやすくなった。負のエネルギーを気楽に放出できる社会をトランプはつくってしまった。その責任は大きいだろうと思います。

 その前段階に「文化戦争」が存在します。文化戦争は、一九八〇年代終わりから九〇年代に、J・D・ハンターという社会学者が提唱した概念です。文化的な事柄と思われるような、価値観の違いや見解の違いが、政治的な見解の違いとして社会を二分してしまうような現象です。例えば、選挙で誰に投票するかというとき、中絶反対派か賛成派かが候補者を見分けるポイントになっていて、それによって投票行動が左右されるというようなときです。『文化戦争と憲法理論』に書いたのは、アメリカのいくつかの州(政治共同体)では同性愛者の扱いをめぐって、世論と投票結果が決定的に分かれてしまうのですが、そうした現象のことです。それは、生の暴力や奴隷制から来ている利害関係だったりするのですが、しかし人間にはプライドがあるし、大義名分が立ちそうなストーリーを見出そうとするところがあります。八〇年代から九〇年代のある一時期、落としどころを「文化の違い」に見出すことが非常に多くあり、それが「文化戦争」と呼ばれるようになりました。

 明戸 トランプは社会の注目を集めてそれを票につなげる彼なりの手段として、左翼やリベラル(ヒラリーをはじめとする民主党など)に対するバッシングを利用してきましたが、PCをカリカチュアライズして批判するというのもその一つです。民主主義を保つためのささやかな努力に過ぎなかったものについて、その極端な部分だけを大きく見せて、「こういうPCがアメリカをダメにしてきたんだ!」とトランプは言う。だからこれは大変皮肉なことなのですが、先ほど志田さんがおっしゃったような蓄積がアメリカにあるからこそ、トランプの発言が効果を持ってしまうところがあると思います。そういう蓄積をむしろ弊害として壊してみせるというのが、トランプの一つのやり方ですから。

 また、九〇年代からトランプまでの間の重要な節目として9・11があります。トランプがやっているのは、いわば「9・11以降の文化戦争」なんですね。文化的な事柄にセキュリティの問題を絡めてくる。これは二〇〇〇年代以降は世界的な流れにもなっていて、例えば日本で朝鮮学校の話をするときも、北朝鮮を持ち出すことで、文化ではなくセキュリティの話にしてしまう。冒頭で触れたエルサレムをイスラエルの首都とする発言もそうですし、またトランプが選挙期間中から主張していたイスラム圏からのアメリカ入国禁止も、選挙中は「言っているだけだろう」と思われていたわけですが、大統領に就任して最初に大々的にやり始めたのがそれでした。つまり当初は文化戦争的に扱われていた論点が、トランプの大統領就任によって政治外交の「リアル」な問題になったわけです。例えば北朝鮮の金正恩を「ロケットマン」と呼ぶのも極めて「トランプらしい」ことですが、文化戦争を外交に持ち込んだら何が起こるか、トランプが本当に理解しているのか疑問です。

 志田 本来であれば、貧富の格差是正のための経済政策をどうするか、安全保障をどうするかといったストレートな議論があるべきところに、スケープゴート的に「この人たちが危険なんだ」という表象がまず示されてしまう。そこに人々の気持ちが集中してしまって、政策議論よりも社会的排除が起きてしまう。「あいつが悪い」と名指すときの指標が文化的なものになってしまっています。

 明戸 二〇一七年九月、DACA(Deferred Action for Childhood Arrivals 幼少期に米国に到着した超過滞在者への暫定的在留許可)を半年後に撤廃するとトランプが宣言しました[二〇一八年一月現在、メキシコ国境沿いの壁建設と引き換えにDACA該当者に市民権を付与する方向で交渉中]。DACA廃止はさまざまな国の出身者、とりわけヒスパニック系の若者たちに影響しますが、彼らはそれによって非常に不安定な状態に置かれることになりました。トランプはそれをどのくらいのリアリティを持ってやっているのか。本人的には支持者へのリップサービスくらいの気持ちで言いだしたことなのでしょうが、その結果何十万人もの若者の人生が狂わされるわけです。トランプはあまりに無責任です。

 志田 九〇年代の文化戦争は、政治家たちがそれを意図的に引き起こそうとしていたのではありませんでした。トランプはむしろ、有権者の関心を自分に引きつけるために、意図的に文化戦争的なものを自ら呼び起こした。知恵をつけたというか……。

 明戸 「再帰的な文化戦争」ですよね。

 志田 同感です。

 明戸 対立を煽り、ひっかきまわすほどトランプ自身の地位は安泰になるという構造がある。

 志田 永久にトラブルメーカーですよね。いつでも危機を煽って、自分の熱烈な支持者を確認する。

 明戸 トランプはあまりに露骨すぎますが、日本の現政権の動きも北朝鮮問題などについてはそれと重なるところがあります。これは官僚レベルにも広がっていて、現政権の雰囲気に加えて、民主党政権時代の「弱腰」イメージを覆したいという気持ちも働くのか、それを「忖度」して追随する。実際、現政権が二〇一二年末に誕生してから五年、この間に現政権の方向性が政府全体にかなり浸透したのではないかと思います。逆に言えばトランプ政権はまだ一年そこそこなので、末端までその雰囲気が行き渡っていない。トランプがいなくなれば、元に戻る可能性もまだあるでしょう。しかし、もしなんだかんだで四年居座ったら、あるいはまかり間違ってもう一期となったら、と考えると本当に恐ろしいです。

 志田 トランプが居座りたいがために騒ぎを起こし続けるのだとしたら、世界中が混乱に巻き込まれてしまいます。「トランプはそんな人」と世界中で合意して、トランプが何を言っても振り回されないようにしようとみんなが思えればいいですが、大統領の発言はその地位により法的効果、外交的効果を持ってしまいます。ですから「トランプなど相手にしなければいい」では済みません。

 明戸 これだけトランプのひどい所業が報道されると、「日本はまだマシだ」と思う人がいるかもしれない。そうかと思えば、逆に「トランプの移民政策よりも日本のほうがひどい」という反応もあったりします。トランプがやろうとしているようなことは、日本ではとっくにやられているじゃないかと。でも難しいのは、そう言ったらそう言ったで、今度はトランプを免罪することになってしまうことです。

 志田 トランプが舵をきった方向にあらかじめ日本はいたという議論をし、なおかつトランプを免罪しない。「トランプひどいよね。でも日本はもっとひどいんだから、それをちゃんと認識しようね」という方向の議論が必要だと思います。

 明戸 そうですね。どっちがいいか悪いかではなく、両方の問題をきちんと提示していくべきですね。

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「世界」を震撼させることの可能性を見通す

吉本思想の深遠へ、さらに深奥へと論及
評者:久保 隆

 著者が本書の中で、「初めて訪ねたのは、一九六〇年の九月か一〇月のことであった」と記しているように、吉本隆明と長い交流を続けてきたことはよく知られている。機縁はもちろん、六〇年安保闘争であるのはいうまでもない。著者はその後、社学同全国委員長になり、七〇年には、神津陽とともに共産同叛旗派を結成する。叛旗派の集会や中央大学で、吉本はしばしば講演をしているが、それはひとえに三上治との通交によって実現したものだといっていい。「図書新聞」紙上で、「吉本隆明と中上健次」と題して連載が始まった時、没後、多くの吉本論が氾濫するなかで、現実的な場所で〈政治運動〉として吉本思想の核心を、最も実践してきた三上治(味岡修)が、吉本を本格的に論ずることになったことを、わたしは期待を抱きながら読んでいた。いま、一冊に纏まったかたちで通読して、やはり著者だからこそ、吉本思想の深遠へ、さらに深奥へと論及していることに、率直に共感したことをまず述べておきたい。

 開巻(「第一章 死の風景・精神の断層」、なお「序章 『三・一一』の衝撃」では、小沢一郎との対談が〝幻〟に終わったことが記されていて興味深い)、三・一一以後のほぼ一年間の〈最後の吉本隆明〉へ、静謐ながらも鮮鋭に視線を射し入れていく著者の言葉はなによりも苦闘の中から滲み出ているといいたくなる。

 「経験として取り出した言葉や抽象には、他者の経験が介在してもいるのだ。事実そのものと、事実として取り出したものとは同じではない。これは前提である。しかし、事実は先験的な理念との現実の誤差を教えてくれるのであり、それは理念を開いていくことを可能にする。」「僕は、吉本がなぜに原発容認の考えであったかをエコロジカルな思考への批判も含めて知っていた。(略)僕が吉本に魅かれてきたのは、その思考が事実に対して開かれていること、経験的であることだった。原発問題でも気にかけていたのはそこだった。」「吉本が繰り返し述べているのは、原子力エネルギーに害があるのであれば、その防御策を同時に発展させるのが根本問題であり、止めるのは科学的でないということだ。これは彼の強固な科学技術についての考えであり、福島の事故を目にしても変わらなかったものである。/僕はこうした考えを取らない。人間が生み出した科学技術を人間の意志で止められないとは考えない。また、ある領域で科学技術の進展を留めるのを人間の退化だとも思わない。」

 わたしも、〈最後の吉本隆明〉に接して、戸惑いを払拭することが出来なかった。頑迷に、「科学技術は後戻りできない」とする主意に、『最後の親鸞』で、〈往相〉、〈還相〉という概念を析出した吉本にとって、科学技術(科学知)に関しては、〈還相〉がないことになると思ったからだ。つまり、著者の言葉を援用していくならば、なぜ科学技術や科学知をめぐって「理念を開いていく」ことをしなかったのかということになる。

 本書は、「第二章 安保闘争のころ」から「終章 『いま、吉本隆明25時』」まで、吉本の思想を語り、中上健次の文学を語り、著者と中上が企画して、八七年九月に行われた「いま、吉本隆明25時」をめぐって述べながら、本書を閉じていく。

 「我が列島に存在してきた共同幻想の歴史的な構造を析出し、その一部に過ぎない天皇制的な共同幻想が支配力を持つ現状を無化する試みは未知の思想として今も残されているといえる。このころ『共同幻想論』は別の形でも読まれて衝撃を与えていたが、その中に中上健次も存在していた。」「吉本も中上も文学を基盤として活動していたのだから当然だが、彼らが執着していたのは幻想ということだったように思う。幻想としての人間の存在を追い、それを生涯にわたって考え抜いたのだと思う。彼らが遺した膨大な作品は、彼らが紡ぎだした幻想にほかならない。幻想とは幻影でも想像力でもない。それらを含む人間の精神的(心的)な表出であり表現なのだ。」

 中上健次が『岬』で芥川賞を受賞したのを契機に、わたしは読むことになる。いつしか、芥川賞作家などという冠を忘失するほどに、旺盛な中上の仕事に随伴していった。敢えて絞りに絞って述べるならば、わたしは『千年の愉楽』と『鳳仙花』がいいと思っている。中上の、『共同幻想論』角川文庫版の解説がいい。中上らしい熱い言葉に散りばめられた文章がうれしかった。著者が、「幻想とは幻影でも想像力でもない。それらを含む人間の精神的(心的)な表出であり表現なのだ」と述べて、吉本隆明と中上健次を繋ぐ時、それは「世界」を震撼させることの可能性を見通すことであったと、わたしなら思う。中上は、吉本の詩「廃人の歌」のなかの一節「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ」を好んで援用していた。ならば、本書に誘われながら、わたしは微力ながらも、そのことを追認し、先へ先へと進むしかないと思っている。

 (評論家)

チェコの裏表を凝視し結実した美しさ

画家ならではの目線で「プラハの春」を観察する
評者:増田幸弘

 ある夜、無人駅で待っていると、どこからともなくトランクをもつ女や、だれかを探す人が現れた。切符売りに硬券を手渡されて列車に乗ると、乗客がいろんな国の言葉でなにやら話している。意味はわからないものの、「戦時中の混乱した列車にでも乗り合わせてしまった」ようだった。またあるときはトラム(市電)の停留所で知らない女性に声をかけられ、コンサートに誘われる。ベートーベンの第九を一緒に聞き、「またいつかどこかで会いましょう」と握手して別れた。その女性がどこのだれなのか、最後までわからなかった。野暮だと思い、自分も名乗らなかった。

 まるで夢の一コマだが、二〇〇二年からプラハで暮らす絵本画家の出久根育が実際に体験したことである。四季折々の出来事を綴ってきたエッセイをもとに絵を描き下ろし、春からはじまる十二カ月の物語になった。「プラハの春」という言葉を耳にすると、一九六八年のチェコ侵攻や音楽祭を思い浮かべるが、そもそもこの街の春にはたぐいまれな美しさがある。だからこそ、幾重もの意味をまとい、イメージが膨らんだ。都市名と四季が組み合わさり、世界中に知れ渡った例はほかに思いつかない。出久根は画家ならではの目線で「プラハの春」を観察し、自分の見つけた美しい色や形を描写する。「木々の枝先が赤く芽吹き始めると、次第に山全体が薄紫色ににじむように色づき始めます。細筆でそっと引いた白樺の白い線や、三角に尖った針葉樹の連続模様。レース編みのように繊細な枝振りの木。空に向かって跳ね上がる枝先、うねって複雑に絡み合う木」。まるで画家が色を選び、線を引く造形思考を垣間見ているようだ。

 春の訪れを喜び祝う祭りがヴェリコノッツェ(復活祭)である。柳の若枝でつくった鞭で男が女の尻を叩いて健康を願い、女はお礼に彩色した卵を渡す。門つけして酒を飲み交わし、歌い、踊る。なんでもないチェコの日常なのだが、サブタイトルにある通り、日本の読者はきっと「おとぎの国に暮らす」と感じるのだろう。

 しかし、そこかしこでふいに顔を出す現実も画家は見逃さない。「昔ながらの風習も簡略化し、家族のありようや地域とのつながりもおそらく変わってきて」いるなかで、同時に「伝統回帰の動きが活発になってきた」と出久根は感じる。それは一九四八年から八九年までのおよそ四〇年にわたってチェコを支配した全体主義的な共産体制下で根絶やしにされたものを、少しずつ、一つひとつ取り戻してきた過程でもある。信仰が抑圧され、祭事が社会主義の行事に置き換えられたのだ。「土地家屋の私有」が認められなくなり、強制的に手放さされた家が革命後、姉妹のもとに戻ってきたエピソードも何気なく挟み込まれる。家はろくろく手入れもされずにすっかり痛んでいて、年金生活を送る姉妹は改修するのを諦めて売らざるをえなかった。国家の暴力に国民がさいなまれる時代だった。それはいまだに影を落とす、「おとぎの国」の悲しい素顔でもある。そうした歴史にも目を背けず、興味をもってチェコの暮らしを見つめて昇華することで、単に「かわいい」だけではない、単に「うまい」だけではない、出久根独自のスタイルを確立してきたのだろう。

 最後の章で出久根は、雪のプラハを好んでスケッチする取り組みに触れる。春の芽吹きから一転、「上へ横へと光を求めて枝を伸ばす木々の姿が、愛すべき風景となって私の心をとらえる」。そこで日本の民話を描いた赤羽末吉が「本当の雪が描きたい」と、雪が降るたびに出かけたエピソードを重ねる。赤羽もまたじっくり観察することで「崇高な造形美」を生み出したのだが、単に雪を美しいものとしてではなく、「人の命も軽々ととってしまう魔性」をも見出していたことではじめてなしえた表現だった。出久根の描く作品に感じる美しさもまた、チェコの裏表を凝視してきた結実にちがいない。それは一人の市民として長く静かに暮らすことではじめて辿り着いたのが、文章の端々から伝わってくる。

 本書に収録された原画展が二〇一八年一月一五日から二七日まで、東京・青山のギャラリーハウスMAYAで開催。

 (フリー記者、在スロヴァキア)