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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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翻訳はいかにあるべきか

――『ハックルベリー・フィンの冒けん』はアメリカ小説の典型
柴田元幸氏トークイベント採録

 ■誰もが知っているマーク・トウェインの傑作『ハックルベリー・フィンの冒けん』を、泣く子も黙る柴田元幸氏が翻訳し、研究社から出版された。本書に「柴田元幸がいちばん訳したかったあの名作、ついに翻訳刊行」とある。これは読まねばなるまい。去る1月24日、東京・青山ブックセンター本店にて開催された柴田氏のトークイベント「『ハックルベリー・フィンの冒けん』と翻訳」の模様を、ここに採録する。(編集部)

 ■間違いの切実さやおかしさが満載

 今回は事前に参加者のみなさんに質問をいただいているので、それを先ほど控室でいくつか読んだのですが、意表を突かれるものもありました。「ミシシッピ川と、先生に馴染みの深い多摩川が訳している間に重なることはありましたか」とか(笑)。

 ミシシッピ川は海みたいに広くて、多摩川は向こう岸がすぐ見えてしまうので、残念ながら重なることはありませんでした(笑)。

 ぱっと見て多かった質問は、「原文が標準的でない英語をどう訳したか」というものですが、『ハックルベリー・フィンの冒けん』を訳すうえで、原文の特徴として三つのことが言えます。

 ひとつは、英語が標準的ではなく、文法的に正しくないこと。

 ふたつ目は、スペルの間違いなどがあり、ハックが書いたものであること。

 三つ目は、少し次元が違いますが、作品全体が行き当たりばったりに書かれていること。

 本日はハンドアウトをお配りしているので、それを見ながらご説明します。

 まずは、『ハック・フィン』第8章の一節を英文とあわせてご覧ください。

 “…Sometimes dey’d pull up at de sho’en take a res’b’fo’ dey started acrost, so by de talk I got to know all ’bout de killin’. I’uz powerful sorry you’s killed, Huck, but I ain’t no mo’, now.”
            Mark Twain,Adventures of Huckleberry Finn(1884/5), Ch. 8

 『ハック・フィン』の英語は間違いから生まれる切実さやおかしさに満ちています。その一番極端な例が黒人奴隷のジムのしゃべる英語です。この一節は、ジムが持ち主から――彼は奴隷なのでずっと誰か持ち主がいるわけで――逃げて隠れていて、それと並行してハックが殺されたという噂が広まっていて、隠れていたジムがハックが死んだという噂話を聞いたと語るところです。

 Sometimes dey’dのdey’dはthey’dで、pull up at de sho’のde sho’はthe shoreで「ときどきその船を岸べによせて」。en take a res’ b’fo’ dey started acrostのenはandで、res’はrest,b’fo’はbefore,acrostはacrossだから「ひとやすみしてから川のむこうがわに行く」、そうやって川からハックの死体が出てこないか、川をさらっているんですね。で、ジムはso by de talk, つまり「その話をきいていて」(deはthe)、I got to know,「おれもわかったんだ」。all ’bout de killin’は正しい言い方にすれば all about the killing です。I’uz は I was,powerful sorry は powerfully sorry が正しい。つまり「おれはすごくかなしかった」。you’skilled, これは正しくはyou were killedです。I ain’t no mo’, now はI’m not [sorry] any more nowということです。

 この一節を「標準化」すると、

 Sometimes they’d pull up at the shore and take a rest before they started across, so by the talk I got to know all about the killing. I was powerfully sorry you were killed, Huck, but I’m not any more now.

 となります。

 言っていることはまったく同じですが、伝わってくるものがまったく違います。あっもうひとつあった。これは文法ではなく論理の間違え方が面白いのですが、I’uz powerful sorry you’s killed「あんたがころされておれすごくかなしかったよ」は、このままだと相手が本当に殺されていて、そのことが悲しかったという意味になります。正しくは、I was sorry to hear you were…と言わないといけない。このように直すところだらけです。でも直してしまったら、文章の味わいはあらかたなくなってしまいます。そういうジムの英語に慣れた後に、ハック自身の英語を読むと結構正しいように思えてきます(笑)。18章の引用をご覧ください。

 I never felt easy till the raft was two mile below there and out in the middle of the Mississippi.Then we hung up our signal lantern, and judged that we was free and safe once more. I hadn’t had a bite to eat since yesterday;so Jim he got out some corn―dodgers, and buttermilk, and pork and cabbage, and greens――there ain’t nothing in the world so good, when it’s cooked right――and whilst I eat my supper we talked, and had a good time. I was powerful glad to get away from the feuds, and so was Jim to get away from the swamp. We said there warn’t no home like a raft,after all. Other places do seem so cramped up and smothery, but a raft don’t. You feel mighty free and easy and comfortable on a raft.
                        Adventures of Huckleberry Finn, Ch. 18

 I never felt easy till the raft was two mile below there――彼らはまたトラブルから逃げてきました。とにかくジムとハックはいろいろなトラブルから常に逃げ出そうとしているわけで、ここでもいかだで逃げていきます。two mileはもちろんtwo milesが正しい。言っているのは「いかだで二マイル下流に行かないとおちつかない」、and out in the middle of the Mississippi, つまり「ミシシッピのまんなかまで出ないとおちつかない」、そこまで行ってThen we hung up our signal lantern, 前から来た蒸気船に見えるように合図のランタンをつるすわけですね。そしてand judged that we was free and safe once more, 「ここまで来ればだいじょうぶだ、安心だとおもった」。ここはwasをwereにすればいい程度ですね。

 I hadn’t had a bite to eat since yesterday, 「きのうからなにも食っていなかったから」、so Jim he got out, このJim heは「ジムが」という口語的な言い方で、これは間違いというよりよくある口語表現ですね。some corn―dodgers, and buttermilkは「トウモロコシパンとか、バターミルクとか」、and pork and cabbageは「ブタにくとかキャベツとか」、and greensは「なっぱ」、これをみんな使って料理するとthere ain’t nothing in the world so good――「世の中これほどうまいものはない」、もちろんthere ain’tはthere isが正しいです。when it’s cooked so rightは「これをちゃんとりょうりすれば」、whilst, これはwhileのちょっと古い言い方です。I eatとありますが、これは過去形なのでエットと読みます。whilst I eat my supper we talkedで「おれが飯を食いながら、二人でしゃべって」、and had a good timeは「たのしくすごした」。

 I was powerful glad to get away from the feuds――二つの家族がいがみ合って、殺し合っていた、それがfeuds(宿怨)で、そこから「逃げられてすごくうれしかった」、and so was Jim to get away from the swampというのはその間「ジムは沼地に隠れていなければならなかった」わけで、それも大変で、それからも逃げられてうれしかった。We said there warn’t no home like a raft, after all, これもthere wasが正しいですが「なんだかんだいって、いかだほどいいうちはないよなと、おれたちは言った」、Other places do seem so cramped up and smothery, これはハックにしてはレベルの高い表現ですね。「ほかの場しょはすごくせまくるしくてイキがつまる感じだけど」、but a raft don’t, まさにここが『ハック・フィン』という作品の言葉の真髄だと思います。「でも、いかだはそうじゃないんだよ」という意味ですが、これをbut a raft doesn’tと標準化すると、なんか全然感じが違ってしまいます。そもそもきちんとした文章を書こうとする人だったら、but a raft doesn’tとも言わないだろうと思います。もっと改まった、例えばbut not so with the raftとか、気の利いた別の表現を考えると思います。でもそうではなくて、but a raft don’tというこのシンプルな言い方の響きがいいんですよね。そして、You feel mighty free and easy and comfortable on a raft――「いかだの上にいると、すごく自由で気ラクで、気もちがいいんだ」と締めくくります。

 『ハックルベリー・フィンの冒けん』にはいろいろなよさ、楽しさがありますが、こういうミシシッピの川を下る二人の牧歌的な姿がまとまった形で書かれるのは、実はこの箇所が最後になります。この後は嫌なやつが次から次へと出てきて、彼らの平和を乱すという展開が中心になります。これが18章の終わりですが、ここから19章の最初の数ページがそういう牧歌的『ハック・フィン』のいわばクライマックスです。といってドラマチックな出来事が起きるわけではまったくありません。19章の頭には、こういう挿絵(『ハック・フィン』19章、二一二ページの挿絵。下図)がまず出てきて、昼の間は川に出ると危ないのでこうやって隠れて、よその船を見ている二人の姿です。この挿絵は『ハック・フィン』に収録した一七四点の挿絵の中でもっとも有名なものではないのですが、個人的にすごく好きな一枚です。この後二度と、二人にこういう平和は訪れないと思ってこの挿絵を見ると、結構切なくなります〔19章冒頭を朗読〕。

 2ページ以降はこちら

精神の荒廃から自分を守る

プルーストを読むとは読書の意味を絶えず私たちに問いかけることにほかならない
評者:高遠弘美

 最初に個人的回想に筆を割くのをお許し頂きたい。一九八七年に刊行された本書の原書の初版をパリの書店で買ったのが一九九一年。だが迂闊にも当時はこの本の重要さに気がつかなかった。それが魂が震えるほどに感動して読み終えたのは、二〇一二年、パリでポーランド出身のさる大使夫人に薦められて、二〇一一年の増補改訂版を入手したときだった。さっそく当時新聞に連載していたエッセイに書き、拙訳『失われた時を求めて』第三巻の解説でも九ページにわたって紹介した。プルーストに正面から向かっているときだからこそ、著者チャプスキの心境がひしひしと胸奥に迫ってきたのだろうと思う。

 本書はポーランドの画家・批評家ジョゼフ(ポーランド語ではユゼフ)・チャプスキ(一八九六~一九九三年)によってフランス語で書かれたプルースト講義ノート、直訳すれば『精神の荒廃に抗するプルースト』とでもなる書物の待望の邦訳である。それにしてもなぜ「収容所の」プルースト講義なのか。

 チャプスキが最初にパリに渡ったのは一九二四年。プルーストが他界して一年半あまり経った頃で、『失われた時を求めて』はまだ最終巻まで出ていなかった。たまたま手にしたある巻は社交界の描写に何百ページも費やしていて、若きチャプスキをうんざりさせるだけだった。しかしその二年後、チフスの療養で入院しているときに改めて読み始めると、今度は打って変わってプルーストの文体の魅力、観察と洞察の鋭さ、真実を求める精神の姿勢、人物造型の確かさ、藝術に対する深い理解、新しい詩的世界、豊かな文学形式に心打たれて何度も読み返すことになった。

 それから十年以上が経った一九三九年九月一日、ドイツ軍がポーランドに侵攻。ポーランド軍将校だったチャプスキは間もなくソビエト軍の捕虜となった。一九四〇年の春、何ヶ所かに収容されていた多数のポーランド軍将校たちがソ連の秘密警察に殺害される「カティンの森事件」が秘密裡に起こっていた。チャプスキは奇跡的に生き延びたごく少数のポーランド軍将校の一人である。チャプスキはいくつかの収容所を転々としたあと、その年の厳冬を廃墟と化した元修道院に収監されて過ごすことになる。

 明日への希望も断たれたなかで、囚人たちは各自が得意な分野について講義をし合うことを思いつく。それがせめても人間らしさを失わず、精神の荒廃から自分を守る方法であった。チャプスキが選んだテーマは絵画と文学、そしてプルーストの小説だった。他のテーマのときがそうだったように、『失われた時を求めて』をめぐるさまざまな話を真剣に聴く仲間たちの姿に感動したチャプスキは序文で書く。

 「いまでも思い出すのは、マルクス、エンゲルス、レーニンの肖像画の下につめかけた仲間たちが、零下四十五度にまで達する寒さの中での労働のあと、疲れきった顔をしながらも、そのときわたしたちが生きていた現実とはあまりにもかけ離れたテーマについて、耳を傾けている姿である」

 当然ながらプルーストの本など一冊もない環境でチャプスキはすべてを記憶だけで語った。再びチャプスキの言葉を引こう。

 「わたしがなるべく正確に描こうとしたのは、プルーストの作品に関する記憶でしかない。だから、これは言葉の本当の意味では文学批評ではなく、わたしが多くを負っていた作品の思い出、私が二度と再び生きて読み直すことができるかもわからなかった作品についての思い出を提示したものである」

 原書でもチャプスキの引用はすべてプルーストの原文(本書では翻訳)と照合できるのだが、それをつぶさに見てゆくと言いようのない感動に包まれるはずである。細かく言えば単語が違ったり抜けていたりするにせよ、肝腎な部分は細部も含めてよくぞここまでというくらい正確な引用なのである。

 これほどに記憶するまで読んで初めて書物はそれを読む人間の精神を限りない豊かさで満たすのではなかったか。プルーストを読むとは読書の意味を絶えず私たちに問いかけることにほかならないとさえ言いたくなる。薄い本ではあるけれど、プルーストに関する講義ノートを中心に据えた本書はじっくり腰を据えて読む読書にこそ醍醐味があることを思い出させてくれる素晴らしい書物である。解説や註の充実ぶりも十分評価に値する。

 ただ、最後に言いにくいことをあえて書けば、明らかに誤訳とおぼしきところ、固有名詞の表記違い、誤植や脱字はそれなりに目についた。さらに、読みやすさを考慮して改行を増やしたと訳者は書いているが、プルーストの講義であるだけにその必要があったのか個人的には首を傾げざるを得ない。プルーストの世界への恰好の入門書であり、文学の基本に立ち返らせてくれる名著であるだけに、そうした憾みが残らないわけではなかった。

(明治大学教授・フランス文学)

最後の探訪記者・本橋信宏

新橋という昭和史の迷宮に迷い込む、変化に富んだタウンガイド
評者:鈴木義昭

 エロ本水滸伝ふうに言うなら、ピンク映画をめぐる闘いがエキサイティング・ムービーマガジン「ZOOM‐UP」を舞台に展開した後、アダルトビデオの時代がやってくる。その拠点となった白夜書房の元祖AV専門誌「ビデオ・ザ・ワールド」からは、多くの特殊エロ本ライターが輩出された。そのパワーと筆力は、写真週刊誌全盛期に開花し今日に至る……。その筆頭ともいうべき猛者の書き手が本橋信宏だ。テリー伊藤や村西とおるの弟子といわれ、村西の評伝は評判を呼んだ。エロから犯罪まで幅広いジャンルを書き分けるが、文体は往年の男性週刊誌調。今や風前の灯火とさえ言われる男性週刊誌の黄金期のニオイを遺す数少ないライターだ。近年は、街歩きをテーマとしているようで、鶯谷に始まり、渋谷円山町、上野、そして新橋と東京の異界、アンダーグラウンドな都会の迷宮へと潜り込む。いわゆる風俗体験記者育ちならではの手法とスタンスで攻めてくる。ちょっと脱線気味だが、結論やオチよりも読ませることに主眼をおいているから読んでいて心地よい。街歩きシリーズ累計6万部という数字が驚異的で、最後の探訪記者というべきか。

 最新刊の新橋篇も情報量の多さに圧倒される。新橋という誰もが知っている東京の盛り場の誰もが知らないアンダーグラウンド地帯に絡むショートショートの連打である。エロ本育ちのライターらしいいかがわしさと独特の生真面目さが混然一体となって、読者を飽きさせない。文体にハマると、もがけばもがくほど、ふらり曲がった路地から大通りへは戻ってこられない。あの先にあの建物があったはず、あの道を右に曲がればどこかに出られたはずと思いながら、道に迷ってしまうように。美しい女性に手招きされるまま道を踏み外してしまうが如く新橋という昭和史の迷宮に迷い込む。変化に富んだタウンガイドである。

 東京下町生まれの人間にとって、新橋は好きな街の一つだ。確かに、僕はこの街で牛丼の味を覚え、焼き鳥の食べ比べをした。酔っては烏森神社にお参りした。その昔、鉄ちゃんだったこともあるから、駅前広場に蒸気機関車が置かれているのも嬉しい。「汽笛一声新橋を」と歌い始まる鉄道唱歌が身近に感じられる。いや、本書には、そんな通り一遍なことは書かれていない。もっとディープな新橋の物、人、場所が書かれている。悪所巡りがお得意の本橋信宏らしい歩き方だ。歩きながら、人と出会う。本書でも、ガード下の完熟ホステス七十代、九十一歳のママに始まり、とにかく多くの人たちが登場する。熟女パブ・コダマへ昔行ったよなと思う間もなく、昭和の深い闇。通称オヤジビル・ニュー新橋ビルには闇市の名残りが生きている。読み進むうち、僕は、ここに事務所を構えるある昭和の超有名画家の遺族に取材に行ったことを想い出していた。

 よくある新橋駅前の街頭インタビューとは違い、一人一人が街に溶け込んだ異人ばかりでヘビィだ。なのにさらりと読めるのは、まさに著者自身が街の一部になって異人たちの足跡を解析してくれるからだろう。アサヒ芸能元編集長の川田修、スタジオジブリ代表の鈴木敏夫、日本最後のフィクサーと呼ばれる男・朝堂院大覚、かつてカリスマ編集長といわれたミリオン出版元社長・比嘉健二、目白の闇将軍田中角栄を叔父さんと呼ぶ男で元ポルノ男優の山科薫……。とにかく知る人ぞ知るその筋の異人から街の地図を読み解く手捌きはスルドイ。昭和の不思議な地下水脈を辿って、いったい著者はどこへ出ようとしているのか。まもなく平成も終わろうとする時代、昭和が深い眠りに落ちるその前に、街の深層に触れておこうという魂胆のようだ。

 昨年夏、ひょんなことから横浜寿町で著者と共にパネルディスカッションに出た。帰りがけにあれこれ聞かれ、後になって取材だったと気がついた。本書第八章「消えた成人映画会社『東活』」に、私がチラと登場する。とは言っても、はるか昔、東京駅地下街にあった成人映画館でバイトをしていた頃をほんの少し話しただけだが。ヘンな人かもしれないが、大物でも美女でも異人でもないのはオイラだけだなと思いつつ、新橋に思いを馳せた。

 (ルポライター)