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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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将来の再設計のために

――被災者の避難を年表と図表で示し公論形成のための基盤を提供する
インタビュー:堀川三郎氏

 ■福島原発震災から七年を迎える。被災地のニュースは年を追って少なくなり、関心も薄れがちだ。だが、福島第一原発ではいまも事故の収束作業が続いており、依然として住民の避難が続いている。震災は何も終わってはいない。冷厳たる現実は「復興」「帰還」の陰に隠されている。

 先ごろ、すいれん舎から『原発災害・避難年表――図表と年表で知る福島原発震災からの道』が刊行された。福島原発震災の実相をわかりやすく伝えるとともに、とりわけ避難の現実に焦点を当て、事故からの七年間の動きを詳細に記録した年表である。本書をめぐって編集委員の一人、堀川三郎氏に話をうかがった。(2月16日、東京都千代田区にて。聞き手・米田綱路〔本紙編集〕)

 ■年表の方法的なイノベーションの成果

 ――まず本書刊行の経緯についておうかがいします。

 堀川 『原発災害・避難年表』には大きなポイントが二つあります。第一に、なぜ年表なのかということ、第二に、なぜ避難と若者に焦点を当てるのかということです。

 第一についてですが、公論形成のためのデータベースとして、年表は非常に使いでがある。ですので、二〇一四年に刊行された『原子力総合年表――福島原発震災に至る道』(すいれん舎)の続編をつくるということで企画がスタートしました。

 年表というのは、少し特殊な歴史認識のあり方だと思います。誰かが「私は歴史をこう思いました」という叙述をする歴史書と比べると、似たところもありますが異なる点もある。歴史書というのは、著者の歴史認識をそのまま語って聞かせるというヒストリー(ヒズ・ストーリー〔彼の歴史〕)です。著者の見解という単数の歴史です。それに対して年表は、複数の読みを許容する形式です。

 もちろん編者である私たちが選んだ歴史的記述がそこに書いてありますから、主観的であることは免れません。それでも、コラムが複数欄あるとすると、ふつうの歴史書とは違うことができてしまう。

 たとえばA、B、Cの三つの欄があるとして、ある人はAの一番目A1が原因で、Bの三番目B3の事態が起こり、それがCの一一番目C11を結果していくという因果連関を想定します。つまり、その年表からA1―B3―C11という流れを読み取るのです。ところが、同じものを見て、それは違うという人がいる。A1が原因だけれども、それは結局A6に関係していて、A6が起こったからB12に行って、それが最終的にC11に行くのではないかと考える。

 そういう意味で年表は、複数の読みを許容する形式なのです。たしかに恣意的であるという意味では、歴史書も年表もどちらも変わらないのですが、ふつうの歴史記述だと、極端にいえば「御説ごもっとも」と受けとるか、全然納得がいかないかのどちらかになる。ところが年表は、複数の解釈を許容し、それについて人と議論することができる。あるいは同じ素材で、他の可能性もあるかもしれないと考えることができる。そういう意味で、非常に特異な――だけどオープンな――記述の形式です。

 それから、年表は歴史学で長らくある形式ですが、複数欄にするということは、特に環境社会学のなかで発展してきた、歴史学とは異なる方法論だと考えています。

 公論形成のためには、原発推進派も脱原発派もともに活発な議論ができるような基盤が必要です。そのデータベースを提供するのが環境社会学の仕事の一つであり、よりよい政策形成のための公論形成の基盤になってほしいという思いを込めて、『原発震災・避難年表』をつくりました。

 第二のポイントは「避難」と「若者」です。福島事故から七年を経てなお、多くの人々がいまだに避難生活を余儀なくされているのは何故なのか、避難生活にはどのような問題があるのか――「3・11から」を対象としているこの年表にとって、「避難」が中心的なテーマになるのは至極当然のことである。と同時に、編集委員会は「若者」にも着目した。大人であれば、長期化する避難生活を乗り越えて、生活再建に動き出すこともできるかもしれない。しかし、人生をこれから選ぼうとする一〇代であの「3・11」に遭遇した中高生といった若者世代は、一体、どのような被害を受け、どのような苦難の道を辿ってきたのか。人生の基盤を築く直前にその基盤をまるごと奪われてしまった若者たちは、「子ども」というには大きすぎ、「大人」というには早すぎて、マスコミでも十分には報道されずにきている。乳幼児や老人の被害や避難生活がさかんに報道されてきたこととは鋭い対照をなしている。だからこそ、語られてこなかった「若者」の被害の実態を明らかにする必要があると考えたのです。

 ――本書の前編である『原子力総合年表』をめぐって、編集代表の故舩橋晴俊・法政大学教授がインタビュー(本紙3170号「脱原発の公論形成のために――年表型データベースの構築、さらにその先へ」)で、公論形成のための共通基盤をつくる重要性を強調されていました。

 堀川 『原発災害・避難年表』も舩橋先生のそのお考えを引き継ぐものです。二〇一四年八月一五日に舩橋先生が急逝されました。『原子力総合年表』刊行のわずか一ヶ月後です。実は生前、先生はこの年表の続編を構想しておられ、八月一六日に第一回目の編集員会を招集されていたのです。まさにその前日に訃報を受け取り、編集委員会は途方に暮れてしまいました。それでも数度の話し合いの後、先生のご遺志を継いで刊行を目指そうということになり、それから三年三ヶ月を経て、ようやく上梓できたのが本書です。舩橋先生の方針を引き継いでいることは、この経緯からも明らかです。

 それに補足すると、世界的に見て、年表は東アジアにしかないものです。にわかには信じがたい話ですが、ヨーロッパでは歴史を語り下ろす、またはヒストリカル・アトラス(歴史地図)の知的伝統がある一方で、年表はほとんど発展しなかった。それに対して東アジアでは、たとえば司馬遷の『史記』のように年表が連綿とつくられてきた。西洋のヒストリカル・アトラスに対して、東アジアは年表であるという違いがあることは、なかなか面白いと思います。

 では、なぜ年表が東アジアにしかないのか。歴史哲学研究者の佐藤正幸さんは、暦のつくり方の発想が東洋と西洋では基本的に違うからではないかという議論しています(佐藤正幸『歴史認識の時空』知泉書館、二〇〇四年)。西洋の場合には、キリスト生誕を原点(紀元)にすえて、一本の数直線で時間を認識します。西洋は絶対通年紀法なのです。キリストの生誕から後は紀元(Anno Domini〔A.D.〕)何年というかたちで、ある歴史的出来事は数直線上のどこかにプロットできる。キリスト誕生以前は紀元前(Before Christ〔B.C.〕)で、やはり数直線上を逆にたどっていけば、あらゆる歴史的出来事がこの数直線上に必ずプロットできる。

 それに対して東アジアは、干支という六〇年で一巡する循環紀法をとっています。循環するということは、相対的な位置づけしか出来ないということを意味します。たとえば「壬戌」とだけ書いたら、いつのことだかわからない。年号を加えて「天応二年壬戌」と書けば相対的に正確になるものの、それが中国や韓国の何年にあたるのかは見当がつかないし、西暦(七八二年)との対応関係もわからない。「壬戌」は複数存在するからです。つまり、年号と干支の組み合わせ紀年法は、相対的な区別は可能だけれども、絶対的な座標軸にはなりえない。

 そうすると、「天応二年壬戌」は中国ではいつに当たるのかというコンヴァージョン・テーブル(早見表)が必要になる。それが必要だったからこそ年表が発達したのではないか。つまり循環紀法をもっていたからこそ、お互いに理解するための変換表が必要だった。それが年表だったのではないか、ということです。ですから私たちも、東アジアの伝統に則って年表をつくってみよう、という思いもありました。

 日本の環境社会学のこれまでの歩みをふりかえると、一九七〇年代に飯島伸子さんが『公害・労災・職業病年表』(公害対策技術同友会、一九七七年)をたった一人でつくられた。これは人間業とは思えぬほどすばらしい仕事ですが、索引がなかったので、舩橋先生と私と湯浅陽一先生の三人で索引をつくり、『新版 公害・労災・職業病年表』(すいれん舎、二〇〇七年)として再刊しました。

 一九七七年のオリジナル版『公害・労災・職業病年表』で飯島先生は、年表を複数欄構成にするという方法的革新をしています。政府がこういうことをしていたときに、運動はこういうことをしていた、と同時に見られるようにした。公害の原因企業の動きと、それに対抗して動く被害者運動の動きをダイナミックにとらえようとして生まれた工夫が複数欄構成の年表だったわけですが、そうして複数欄で複数の解釈を許容するものをつくりはじめたんですね。これが第一の方法的イノベーションです。

 ところが、一つのパラドクスが生じた。複数欄にしたことによって、かえって一覧性が失われてしまったのです。そうすると、たとえば水俣病について調べてみたいときには、水俣病のことを相当よくわかっている人でないと読み解けないというパラドクスです。つまり、膨大な情報が森を見失わせ、複数欄構成が読み解きをさらに難しくさせてしまい、結果的に「玄人向け」の年表になってしまった。一覧性があるのが年表のよさなのに、木は見えても森が見えなくなってしまった。バベルの塔のメタファーと同じで、本を集めれば集めるほど、かえって本が見つけられず、ないのと同じになってしまったのです。

 そこで舩橋先生が、個別の年表は詳しくし、そこから大事なことだけを抽出して骨格を見やすくするための「統合年表」をつくるという、二段構えの工夫をされました。詳細性と一覧性を両立させようという、第二の方法的なイノベーションだったと思います。その成果が『環境総合年表――日本と世界』(すいれん舎、二〇一〇年)と、『原子力総合年表』でした。

 ――『原発震災・避難年表』はそれらの成果に基づいてつくられたものですね。

 堀川 ええ。本書は『原子力総合年表』の延長線上にあるものですが、学校教育現場での使用も想定していますので、できるだけコンパクトかつ見通しのいいものにすることを心がけました。ですから、本当に大事なエッセンスだけをギュッと濃縮した年表になっています。先ほどから複数欄構成についてお話ししてきましたが、今回は中高生にも使える年表をという意図がありましたので、とりわけ一覧性を重視しています。ですから前書のような複数欄構成はあえて採らず、複数を重ね合わせて読めるよう、コンパクトにまとめられた個別年表を掲載しています。

 さらに、ビジュアルな要素を付け加えてみようという、年表と図版の有機的統合が、今回の方法的なイノベーションです。つまり、年表で示された事柄を、誰でも見て直観的にわかるような図表にし、一緒に掲載しています。被災者の避難についても、こんなに遠くに移動したのかと、地図でわかるようにしました。

 それから独自のダイアグラムをつくりました。縦に時間軸をとり、横に移動距離をとって、たとえば七人家族の場合、お父さんが大黒柱で仕事の関係上、福島を離れられないけれども、それ以外の六人はものすごく遠くまで移動した、という経緯が見えるようにした。その後、学業の関係で何人かは戻ってくるけれども、郡山までしか戻らず、浜通りには行かない、というふうに、いつ家族がばらばらになり、どのタイミングで戻ってきて、もういちど家族団らんになれるのか。あるいは、ついぞこの家族は一緒になれず、ばらばらのままであるということが、ダイアグラムを使ってたちどころにわかるようにしました。

 ダイアグラムからは、稼ぎ頭が相対的に移動の可能性が低く、食い扶持に制約されていることが視覚的にはっきりと見えてきます。そして奥さんと子どもは、特に小さい子どもであればあるほど、遠くに避難する傾向がある。あるいは、学校が制約になって意外に動けないなど、かなりいろいろなことが社会学的に分析できます。いずれも、人として当たり前の対処行動だと思うでしょうが、実際に生きている実在の人物の、実際の生の軌跡を図化して目の当たりにすることで見えてくるものを侮ってはいけないと思います。同じデータであっても、一覧性を持たせる工夫をすると、新しい問いが浮かんできます。こうした分析を可能にするデータベースとしても活用できるように心がけました。これらは、第三の方法的イノベーションであったといえるかもしれませんね。

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「倫理的な肉食者」へといたる、肉食をめぐる旅

――現代における食への思索が深まっていく過程は感動的だ
評者:安井大輔

 ■あなたは肉を食べるだろうか。鶏から揚げ、ポークソテー、焼肉、ステーキ……食卓に肉料理が上がるのは見慣れた風景であり、肉が大好きな人も大勢いる。しかし、日々の肉食が深刻な環境破壊や家畜の残酷な扱いを引き起こしているとしたら、どうだろうか。知ってしまえば、以前ほど気楽に肉が食べられなくなるかもしれず、場合によってはヴェジタリアンに代わる人もいるだろう。

 実際のところ、現代の工業的畜産は地球環境への負担となっている。家畜の口から出るゲップに含まれるメタンガスは温室効果をもたらす原因の一つだが、その総量は全世界の航空機、車、列車の出すガスよりも多いのだ。また家畜飼料として利用されている穀物をまわすだけで飢餓・低栄養状態にある人間のための食は充分賄える。

 そして、経済効率のもと過酷な生育環境と苦痛を強いられる家畜動物の扱いが問題となっている。先進諸国の家畜は体の向きを変えることもままならない狭いケージに押し込められ、太る機械、産む機械とされることがもっぱらだ。欧米を中心に動物たちの不当な扱いを告発する運動が展開され、畜産動物の飼育条件、輸送、屠畜に関する指針・規則・法令が整備されてきている。

 こうした現状を前に、今日の世界では無条件に肉食を正当化するのは難しいかもしれない。しかし釈然としないものを感じる人もいるだろう。肉を食べることは伝統や文化でもあり、世界各地で多様な形態を持つ肉の文化を一絡げに否定するのは浅薄な押し付けであり、西欧のエリート主義、金持ちの独善と非難されることもある。

 この「雑食動物のジレンマ」に対して、英国の女性環境ジャーナリストが出した回答は、自分自身で殺した動物だけを食べるというものだった。肉をめぐる施設や団体、多様な取り組みについて次々とアタックし、肉を食べることについて考え続けた二年間近くの体験の過程を描いたものが本書である。ウサギ猟に始まり、貝の採取、豚、羊、子牛の屠畜、キジ撃ち、サバ、タラの漁、サケ釣り、そして鹿狩り。獣を狩り、食肉解体の現場を訪ね、魚を釣ることで、自身が納得できる方法を捜し求める彼女のたびを追うことで、読者はイギリス社会における自給生活を追体験できる。ハラル屠畜が紹介されるのは多文化社会イギリスにおいては当然としても、変わったところでは、車に轢かれた動物や昆虫食や植物性代替肉の取り組みなども紹介される。

 本書は、自ら撃ち、釣り、屠り、味わった生活のリアリティを伝えてくれる。生き物の命を奪うことに対する著者自身の葛藤、獲物を取り逃がした失敗、うまくできなかった後悔、食べることへの感謝の気持ちがあますところなく描かれる。そして、動物と向き合う現場の声をすくいとっていく。「動物が死ぬところなんて、そりゃあ見たくないが、これは仕事だし、できるだけきちんと処置してやることしか俺たちにはできない。(…)遮断しないと。ある程度、気持ちをオフにする必要がある。完全にではないが、それでも……」(126頁)。養豚場、屠畜場での取材はかなり苦しかったようで、違和感や気持ち悪さまでが正直に吐露される。

 しかしそれでもなお、わたしたちは自分たちの食べている肉がどこから来るのかを知らなければならないと書く。その根拠は肉食の害を説く論理というよりも、人間としての感覚に根ざしたものだ。たとえば、養殖サケは、川を遡上することなく陸に上げられ、打撃で気絶させられエラを取られる。迅速な打撃による気絶は動物福祉の観点からは望ましいことだが、著者は何千キロもの距離を泳ぐことも深く潜って跳ね上がることなく一生を終えるサケの「野生を剥奪していること」に疑問を抱く。もちろん養殖は増え続ける新鮮な魚介需要をまかなうために必要な技術であることはたしかだ。だが、ここには釣り人を翻弄し自然の恵みに感謝をいざなうような魚の尊厳はない。

 仕留めた獲物に感謝し、肉と繋がり、生命を繋ぐ。動物と肉が一体化していた時代ははるか昔となってしまった。いまやほとんどの人が自分の食べているものの来歴を知らず考えようともしない。いのちをいただく循環から乖離したことで、人間は弱くなったという。「生き物を食べるなら、その価値を確認したい」という気持ちから始まった彼女のたびは、土地や旧世代との繋がりを回復しようとする試みでもある。ナイーブとも言える気持ちだけが空回りしていた彼女が、生き物を見つけ屠り皮を剥ぐやり方を身につけていく道程とともに、現代における食への思索が深まっていく過程は感動的だ。「自分で生き物を屠らなくても、せめてそれがどうやってそこにたどりついた肉なのか知る努力をすべき」というメッセージ自体はありふれたものかもしれないが、そこにたどり着くまでの厚みが圧倒的に違う。「いただきます」と言うだけでは到底わからない感覚が味わえるノンフィクションだ。

 (明治学院大学社会学部専任講師)

あらたなナチズム論、ファシズム論と出会った

――薄っぺらなポピュリズムを見通すことが切実
評者:室沢毅

 ■表紙カヴァーに、〝RED〟という大きな文字が赤地のなかで浮き上がっている。帯に〝ヒトラーのデザイン〟という文字がなければ、共産主義の〝赤〟を連想してしまう世代だからかもしれないが、直ぐに山本直樹の傑作『レッド』を連想してしまった。山本が漫画(劇画)という手法によって連合赤軍事件の深奥へと徹底的に切開していくように、「デザインの歴史探偵」を自称する著者は、ヒトラーによって像型されたドイツ的ファシズムの様態を縦横に解析していく。本書を読み終え、わたしにとって、あらたなナチズム論、ファシズム論と出会ったという思いだ。

 著者は、ナチズムの様式の根源を次のように述べていく。

 「カトリックが数百年かけて確立した様式を、ヒトラーは、カトリックのスタイルを真似て、過去の遺物を現代的にアレンジすることで、たかだか二十数年で完成させてしまった。しかもこの様式には、親衛隊やゲシュタポなどの恐怖装置、効率重視の収容所の無機質なデザイン、虐殺のシステムなど負のデザインも数多く含まれる。」

 著者は、「ヒトラーは稀代の編集者」だと見做しているわけだが、周知のように、若きヒトラーは画家を志していたから、後年の模倣や美術的なデザインセンスも、当然のことのように思えてくる。だが、それでもなぜ、ドイツ民衆が、あれほどまでに煽動されていったのかを、わたしは納得出来ないでいた。著者は、「赤色、カギ十字、制服、行進や敬礼の仕方などさまざまなパーツが、ヒトラーの演説も含めて官能的だったから」、受け入れられたのだろうとしている。確かに、「官能的」であることは重要なファクターであると思う。最近でこそ死語になりつつあるが、新興宗教や悪徳商法などのトラブルがあった時、マインドコントロールといったことが問題になったわけだが、ヒトラーの手法はそのような言葉では収まりきれないものがあるといえる。

 「ヒトラーが夢想したドイツのグランド・デザインは、端的にいえば、失われた領土を取り戻し、新たな領土を獲得すること。パリからモスクワまで広がる第三帝国の形成である。内実はユダヤ人を排除した国粋主義革命による、神話的でロマン主義に満ちたドイツ民族共同体国家樹立。」「スターリンは、皇位継承みたいなものでレーニンの死後、政治的根回しで権力を手に入れた。大衆の支持は必要なかった。だから独裁制を保つために自らの立像を必要としていたのだ。/ところが、ヒトラーは街頭行進や演説を通じて、大衆の人気を得ていった。いわばライブによってのし上がっていったのだった。だから物いわぬ立像などポリシーに合わなかったのだ。/ただし、ヒトラー・クローンをつくりだすために学校の教室にはヒトラーの肖像が飾られ、また、ヒトラーの顔や写真やイラストのついた紙コップやクラッカー、ビールジョッキなどは大量に出回った。まさにアイドルである。そこがスターリンとは大きく違う。」

 アイドルといえば、本書でも触れているが、一昨年の秋頃、アイドルグループ、欅坂46のファッションが「ナチス風だということでアメリカのユダヤ系人権団体(略)から批判され、謝罪に追いこまれた」という〝事件〟があったわけだが、わたしには魔女狩り的で過剰な反応としか思えないし、ならば、「アメリカのユダヤ系人権団体」は、自国の大統領の白人至上主義を徹底的に糾弾しているのかといいたくなる。アメリカ政府は一貫してパレスチナ・イスラエル問題に関し、イスラエル側の立場である以上、それはありえないことではあるのだが。

 さて、本書の最大の魅力について最後に触れておかねばならない。それは、「ナチス・デザインを語るために、多くのナチス関連映画を取り上げている」ことだ。リアルタイムで観た、ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』の退廃美に衝撃を受け、もう十年以上前の作品になってしまったが、ポランスキーの『戦場のピアニスト』を観て、しばらくショパンのピアノ曲が頭の中で悲しく鳴り響いていたものだった。本書を読みながら、そのようなことが思い出された。過去の事象が忘却の彼方へ追いやられたとしても、映画作品によって、確かに「思いださせてくれ」て、しかも「リアルに感じ取」ることができるといっていい。

 「ナチスは政治と芸術を合体させて『国家』をアートにしようとした。アートを、意味と関係なくカッコいいと思ってしまう感性を手玉にとった、とも言える。」(「おわりに」)

 著者は最後に、こう述べている。「ナチス」という主語をいくらでも置きかえてみることは可能だ。本書を読み通して、薄っぺらなポピュリズムを見通すことが切実になっていると、あらためて納得したといっておきたい。

 (社会批評)