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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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新しい「知のクラフト」へ

――次の時代に向けて差し出す本
鼎談:清水高志×奥野克巳×石倉敏明

 ■奥野克巳・石倉敏明編『Lexicon 現代人類学』が以文社から刊行された。コンパクトな一冊だが、ぜひ手にとって目次を眺めてみてほしい。未知の世界がまだまだ広がっていることに驚きを禁じ得ないはずだ。本書をめぐって、編者の奥野、石倉両氏と、本書に参加した哲学者の清水高志氏に鼎談していただいた。(鼎談日・3月2日、東京・高田馬場にて。須藤巧・本紙編集)

 ■総合的な学知としての人類学へもう一度戻す

 奥野 二〇一六年から「マルチスピーシーズ人類学研究会」で、人間と他の生物種を視野に入れながら人間について考えているところです。それは、ここ五~一〇年ほど、アメリカで盛んに行われている研究です。最近、複数の方々から「人類学はいまこんな研究をしているのか」と驚かれました。彼らが抱いている現在の人類学の印象は、大きく二つあるようです。一つは、かつては輝きを放っていたけれども、勢いを失った学問というイメージです。これはいわれのないことではありません。ポストモダンやポストコロニアルの、ひたすら自己反省を続けてきたこの四半世紀に輝きを失ってしまったというイメージを持たれています。もう一つ、新しい「マルチスピーシーズ研究」や「存在論的転回」や「パースペクティヴィズム」などについては、ほとんど知られていない。こうした議論がいま、人類学内外で沸騰しているように感じられるのですが、それが人文知、人文学全体には届いていないように思えます。

 石倉 九〇年代以降、人類学に対してある種の誤解があったように思います。それは、未開社会や狩猟採集社会といった「アルカイックな」社会が全世界で縮小しつつあり、そこで人類学が対象そのものを失っていったという誤解です。もう一つは、人類学者はある地域に出かけていって、彼らの現実を彼らの視点から理解し書きますが、どういう権限でその表象をしているのかという批判があり、それに対して人類学者は様々な工夫をしたにもかかわらず、現実を見失い、一種のテクスト理論として人類学が矮小化されていったという誤解です。しかしこの間にも、人類学の方法を刷新していった人たちがいます。例えばブリュノ・ラトゥールです。二〇世紀の人類学は、ある地域の人間集団を同質的なグループと考えていました。しかし二一世紀になると、ある地域の人間の生命の状況は、決して人間集団だけで成り立っているのではないという理解が一般化します。例えば犬や猫や家畜動物、植物や野生動物、あるいは地質学的な状況といった、ヒューマンとは異質なカテゴリーとの関わり合いが社会的な集合をつくっていくという、新しい認識が生まれました。その大きな動因の一つとなったのはラトゥールの「実験室の人類学」や「科学人類学」であり、またそれに影響を受けた対称性を持った人類学でした。こうした潮流が、非人間的転回、あるいは人間的なものを超える「人間以上の人類学」という新しい問題系を発見しつつあります。また、新しい形而上学の定義が人類学から提案され、哲学者との間で対話が生まれています。でもこれがどれだけ大きな転回なのかは、まだ十分に他の領域に伝わっていません。

 奥野 人間と人間以外の存在を扱う学問として成長してきている人類学のあり方は、二〇世紀後半の文化人類学の肥大化の反動ではないかと思います。「人類内部の差異」を扱う学問としての文化人類学が、「文化相対主義」を引っ提げて肥大化してしまった。アメリカの人類学は二〇世紀初めにフランツ・ボアズによって築かれましたが、それは形質人類学、考古学、文化人類学、言語人類学の四領域を扱う、人間と自然の包括的な研究でした。ボアズは言語の研究をして、言語そのものが相対的に存在することを発見し、相対主義は人類学の大きなテーゼになりました。それがやがて文化人類学の中に入り、戦後に大きな力を持つようになったのです。フィールドワークが制度化され、クリフォード・ギアツに至っては文化を解釈するという大きな目的のもとに異文化を理解することが主題化され、それが私たちが知っている人類学になってしまった。二一世紀になって、総合的な学知としての人類学へと、もう一度戻していこうという揺さぶりが出てきたんだとも言えそうです。

 石倉さんが述べてくれたような二一世紀の人類学の変容の過程は、われわれが住んでいる現代世界の変化にも関わるのだとも思います。最近、こんな経験をしました。ファミレスで三〇歳くらいの男性と、それより若い男性が話している。いまやネットやスマホがない状況は考えられないが、そうした時代には逆に人間の内面性が大切になってくるのではないか。そのあらわれがSNSで、写真をアップして「いいね」をもらって、内面性を「見える化」しているのではないかと。大きく変わりゆく世界をどう捉えるかは、哲学を含む人文学や人類学の課題でもあります。近未来の変化に敏感な若者のリーダーとして思い当たるのは落合陽一さんです。彼の『日本再興戦略』では、「百姓」は実は「百の生業」のことだと言っています。百姓は一つのことに特殊化してやるのではなく、横断的に様々なことをやる人たちだったんだと。あるいは、遠くない将来に車の自動運転が現実化する。自動車産業は、車の乗り心地などを考えてきたけれども、コンピュータ・テクノロジーが高度化する中で、車を通じて社会と人間の新しいあり方を提起しなければいけないと落合さんは言います。日本の歴史や社会の構造を踏まえて、新時代の処し方を語っています。聞くところによれば、清水さんは落合さんと本を出す計画があるとのことですが、現代世界に人文知や人類学がどう関わっていくべきだと思いますか?

 清水 いま人類学の外見上の退潮という話がありましたが、それには哲学にもおおいに責任があると思います。哲学と人類学の関係がもともと深かったために、その後哲学が内部で複雑に発達させた文化相対論的な価値観や、西洋文明内での自己反省としてのポストモダン思想が、逆に人類学にきわめて深くまで入り込んでしまった。日本でも八〇年代後半までは、丸山圭三郎や栗本慎一郎など、いくつかの分野を跨いだ人たちが横のつながりを持って華やかに活躍していたし、ニューアカデミズムと呼ばれたムーブメントもそうした土壌に支えられて開花したと思います。しかし九〇年代以降、諸学問は急速に分裂していって縦割りになってしまって対話が途絶えました。ホリエモンの『多動力』という本がヒットしていますが、現在では縦割りの社会構造はもはや産業レベルでも成立しなくなってきています。ホリエモンは例えばその本で、「三つの肩書きを持てば、あなたの価値は1万倍になる」と言っています。ある一つの学問や専門に十年専念すると、あなたは百人に一人の人材になれるだろう。二つやれば一万人に一人。三つやれば、百万人に一人なはずなんですが、本の見出しには「1万倍」と書いてある(笑)。それはそれとして、これは正しいと思います。いくつかの分野をミックスしながら、かつての学問は創造を行ってきた。例えばマルセル・モースは宗教と社会学と人類学をやったし、あるいはガブリエル・タルドのように社会学と心理学の開拓者であったりとか、ウィリアム・ジェイムズが心理学と哲学のどちらにも大きな業績を残すなど、二つ三つやっている人ほどクリエイティブな仕事をしているというのが本当だと思います。しかしそうした流動性が様々な分野でなくなってきていて、弊害を生んでいる。

 とはいえ、そうしたかたちはいままた劇的に崩れてきたと思います。哲学でもグレアム・ハーマンやカンタン・メイヤスーなど、人間の文化を相対化するだけではなく、自然やモノも何極かのものとして捉えられないかという考えが出てきています。これは実際に、人類学の多自然論と連動した動きです。そこにおいて人類学は早期に、強力な言説を形成していると思います。例えばマリリン・ストラザーンの再帰人類学批判は、実に見事なものですね。ポストモダン的な文化相対論では、文化を相対化する媒体のようなものがあります。様々な文化を跨いだ旅人のような存在がいて、その人はどの文化にも完全に属しているわけではないけれども諸文化を相対化できる、といった設定が採られていましたが、しかしストラザーンはいろんな文化をつないだり相対化する媒体として、《道具》やモノを採り上げ、文化が部分的につながったり分かれたりすることを語っていました。

 こうした交錯するような運動が、学問全体のうちでもすでに起こっていると思います。さっき奥野さんも触れられた落合陽一さんは、デジタルネイチャー論というのを展開しています。彼は「いま、コンピュータは人間のかたちをしている」と言うんですよね。人間の感覚に合わせたものを擬似的に再現するとか、そうしたバイアスでいまだ捉えているけれども、人間が全然感覚できないものをモノから引き出してくることもできると落合さんは言います。逆にそれを数理モデル化して、人間が見たらこうだけど、コウモリが見たら全然違うといったようなものをレゾリューションとして出していく。落合さんがメディアアートでやろうとしているのはそういうことです。従来ならありえないものが出てくることと、人間のパースペクティヴとは違うものがいくつもあることを、数理モデルと実際のモノの双方で追求していく。それらが交差し合いながら、もはやネイチャーそのものも変わってしまうというのです。

 それは人類学が、非人間が世界を捉えるパースペクティヴを問題にしていること(パースペクティヴィズム)と非常に近いのではないかと思います。デカルト以降の科学は、物事の筋道を順序立てて説明する鎖のようなモデルを持っていましたが、コンピュータ・サイエンスが発達してくると、もはや筋道自体がわからなくなっている。ディープ・ラーニングの結果、アルファ碁が変わった手を打ちますが、それを人間は必ずしも理解できない。人間の知覚やパースペクティヴを超えたかたちでアウトプットされたものから、さらに別様にアウトプットされたものへという変化が、これからわれわれの眼前に出てきて、世界についての考え方を変えていくと思います。

 近代のモデルは、われわれの古くからの文明のものとはだいぶ異質なものを積み上げた独特なものでしたが、それが崩れたときに出てくるものは、ひょっとしたらもっと古いものなのではないかという予感があります。例えば仏教やアニミズムといったものが、自然科学やテクノロジーが発達した末に、かえって出てくるのではないかと思っています。その新しい局面を、ただ「馴染みがない」と捉えるのではなく、一種の快や解放として捉えながら、様々な領域で二〇世紀モデルの見方(例えば社会学)を変えていく必要があるのではないかと考えています。

 奥野 人類学の退潮は、一人で悶々と悩んだことの必然的結果だったのですね(笑)。さて、清水さんが執筆した「34  交差する現代思想と文化人類学」(P148)ではメイヤスーの相関主義批判から説き起こし、ストラザーンに言及しています。再帰人類学は複数の文化をつなぐ媒体となって断片的に文化を提示するだけだったのが、モノを取り上げ、それを、集団をつなぐ媒体として見て、部分的につながっていく様を描くことで、人間主体ではないものを中心とする理論を構築する可能性がストラザーンには見られるのだと書かれています。哲学者である清水さんを経由して、ストラザーンをわれわれは新たに理解することができます。その次の項目「35  虚構と実在」(P152)は上妻世海さんが書いていますが、世界を「一つの実在」と「複数の虚構」というかたちで捉えた上で、多文化主義を説明してくれていますが、これも人類学外からの視点が入ることで抽象度がいっそう上がって、非常に新鮮でした。

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「個別性の追求」の試み

――読者は書き手の息の乱れに目を凝らさなくてはなるまい
評者:渡邉悟史

 ■砂浜に少年が砂をすくって馬蹄の絵を描いている。波がそれを打ち崩すが、彼はまた砂を盛る。眼前には陸前高田の海に防波堤建設のためのクレーン船や重機船が停泊している。その海はかつて住民たちが自分たちの暮らしを自分たちのペースとやり方で模索するための場として守った海であった。この光景に立ち会った社会学者は「アイコン化する以前の陸前高田にあった、人びとの営みと国家への対峙の仕方の記憶」を描き留めようとする。しかしその記憶の持続と継承は困難と共にあるだろう。「いくつもの異なる道」を示唆する声は「重機の轟音のかげでつぶやかれる」他はないのである。

 福島市の農地の放射能汚染状況を細かく丁寧に把握しようとするプロジェクトに参加した農村研究者はある青年に出会う。その青年にとってこのプロジェクトは自身の故郷の姿形を思い出と共に改めてつかみ直す営みでもあった。彼の昔話は語り直される故郷の身の上話でもある。しかしプロジェクトは道半ばで解散してしまう。

 少年が波に洗われる砂の絵を何とか留め置こうとしたように、消えつつある記憶や消されてしまう記憶を辿ること。『復興に抗する』の著者の一人は、東日本大震災は「多くの人がこの国の開発の歴史を振り返り、本来ありうるべき姿を想像する契機となりえた」と書く。「しかし、結局そうはならなかった」。そこで著者たちは「被災地」のみならず震災の影響をさまざまに受けた地域を周り、開発が消してきた道、そして震災後に消されようとする道を辿ろうとする。著者たちはこの後ずさりにも見える身振りを「個別性の追求」と呼ぶ。人々や地域の営みの個別性は自明のものとしてあるものではない。それは追求されるものなのである。救い出されるものと言ってもよいのかもしれない。

 容易なことではない。個別性の追求は、ときとして記憶の追悼行為でもあるだろう。彼が暮らす秋田で放射性廃棄物処理が政策課題となったとき、突如廃棄物処分場が現れたかのように錯覚する自分自身に人類学者は驚く。日常性の破れには戦後の鉱山の衰亡史が死に体を晒していることだろう。あるいは別の人類学者はその秋田へ放射性廃棄物を送りこんだ埼玉のごみ処理場の建設過程を追う。それはその地域に根差して生きてきた障害のある人たちが迷惑な存在として隔離されていく、そしてそのことを忘れたことすら忘れていく過程を前史として持っていた。放射性廃棄物は「ここではないどこか」から「ここではないどこか」へ送られ、人々は政策対応の成功に安堵する。

 記憶を語らせまいとする圧力もすさまじい。「風評被害」という言葉が毀損し、安全性や危険性をめぐって思考することそのものを強権的に停止させようとする語として機能してきたと指摘する現代史家は、人々が地域との関わりを持たない形での消費社会がすでに形成されてしまっていたことの苦い確認をする。そこで彼は琵琶湖や柏市における生産者と消費者の連帯の可能性を想起しつつも、この苦い確認を手放してはなるまいと、自身の首都圏からの「避難」の記憶を語る。そこにはデマに踊らされたり、結果として間違いだったりした行動も含まれているだろう。しかし、やり直すためにはまずは何をしたのか個々の記憶において語られなくてはならない。ただしそれは多くの叫び声にかき消されかねないだろう。

 終章の記述には鬼気迫るものがある。苦しみながら次の言葉を探すような文体が描こうとするのは、イチエフ構内で働く日系ブラジル人の存在である。日本社会がいつでも棄てる準備をしている彼らは言う、「日本人がやらないなら我々がやるしかない」。「日本人」は偶々彼らに救われているのに過ぎないのではないか。読者は書き手の息の乱れに目を凝らさなくてはなるまい。そこにはこの社会が根底から失敗してきたのではないか、そのことをまた見なかったことにして済まそうとしているのではないかという問責に打ちのめされる思いがあるように見える。彼らの問いを忘却したままの「いくつもの異なる道」などあるのだろうか。

 個別性の追求という試みは私たちの抱える二つの困難を明らかにしていると評者は思う。ひとつは痛切な失敗の経験として震災と復興をその前史を含めて受け止められるのかということ、そして瀕死の記憶を当事者性、加害者性、被害者性を規定する力学の連関において読みとることができるのかということである。復興に抗する。誰が、何が、復興に抗するのだろうか。不快なものを遠ざけ、いくつもの矛盾や破綻、そして失敗を認めることを先送りしてきた社会でこの主語を埋める作業を続けていくためには、この問いに何度も躓かねばならないだろう。個別性の追求とはこの躓きの惨めさや痛みをつかみ直すことなのではないか。平易な文体の中に著者たちのかけた労力と熱意の分だけ、今こそ考え抜くべき問題をぎゅうぎゅうに詰め込んだ本である。再読を重ねたい。

 (農村社会学)

「考えず、シンプルに」がイップスの予防・治療法だ

――イップスは病院では治らない
評者:大野秀樹

■本書は、阪神タイガースの若きエース・藤浪晋太郎投手に異常に四死球が多いのはイップスが原因なのではないか、という疑惑からはじまる。二軍落ちした二〇一七年の四球四五、死球八という一軍での数字は、投球回数五九からすれば尋常ではない。藤浪自身はイップスであると公言はしていないが、深刻な制球難に陥っているのは間違いない。

イップスとは、スポーツ選手が突然、当たり前のようにできていたことができなくなってしまう運動障害のことだ。藤浪投手は、元来コントロールがよくなかったので、あまり目立たず、それで疑惑に留まっているのかもしれない。本書は、藤波投手のような一流のプロ野球選手三名(岩本勉投手、土橋勝征内野手、森本稀哲外野手)と、ツアー優勝経験があるプロゴルファー二名(佐藤信人選手、横田真一選手)のイップス体験をドキュメントのように描いている。野球、ゴルフに限らず、あらゆるスポーツでイップスは出現し、多くの選手が罹っている(た)が、なかなか自分の弱さを語ろうとはしない。自ら症状を公開し、隠すことなくその苦労、対処法、そして人生やスポーツにおいて新たに見えたことを語っている本書は貴重な存在である。

 例えば、横田選手は、学生時代から天才的と評価されてきたアプローチショットがイップスに陥った。一九九七年、全日空オープンで初優勝直後にアプローチイップスに罹り、二〇一〇年にツアー二勝目を達成するまでに一三年を要した。その間、克服方法がわからずに、手当たり次第に計六〇人くらいの先輩プロらに尋ねた。「カットに打て」「インサイドに打て」「緩く握れ」「ヘッドアップしろ」「ボールをよく見ろ」「ノーコックで打て」「コックを入れろ」。助言はさまざまで、一つとして同じものはなかった。人によっては正反対の内容を言われることもあって、かえって混乱するばかりであった。尾崎建夫プロには「お前、いいライ(球のある場所の状態)で練習しろ」と言われ、一方、片山晋呉プロには「先輩、そんないいライでばっかり打っているからダメなんですよ」と言われる始末だった。結局、すべてのアドバイスを捨てて、自分の感覚を大切にしようと決めた。そのとき、グリップも自分にしっくりくるものを選んだ。そうすると、ボールがカップに寄っていくイメージが浮び、イップスが治っていくのがわかった。二勝目のカシオオープンは、石川遼プロを振り切っての優勝だった。

 一方、超一流プロはイップスにはならない。超一流と呼ばれる選手は、小脳(知覚と運動機能の統合)から大脳にいくニューロンをいろいろなところで使わず、ものすごくシンプルに使用している。ニューロンも含めて、選択肢が多いとイップスが発症するのだ。パットの名手・青木功プロも「上りはコンと打って、下りはトンと打って」と実に簡潔な表現をする。いつもの自分のスイングから逸脱することを嫌うのだ。超一流プロの感覚は、第九〇回アカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した辻一弘の人生哲学と重なりそうである。〈実現したい夢があるなら、親、先生や友達が何と言おうが聞いてはダメ。一八歳を過ぎたら、自分の人生は自分で決める。そうでないと、後で後悔する〉。イップスの予防、治療にも通じるものがある。

 何故イップスになるのか、どうやって治すのか、まだ決定的な結論はなく、誰もが暗中模索の状態である。イップスは医師が診断して決めるものではない。本人の認識でイップスかどうか決める(イップスは医学用語ではない)。すなわち、微細なものでも本人が認めれば症状になるし、深刻なものでも本人が認めなければ症状にならない。イップスになりやすい選手は、マジメで性格がよく、完全主義の傾向がありそうだ。〈イップスは八割方は気持ちだと思いますね。自己顕示欲が強いと、人はできるのに、自分は何故できないんだと思い込みます。軽い気持ちになれないのですね〉(土橋選手)。イップスが厄介なのは、治癒しても、消えるというよりも残って引きずるからだ。姿を隠す。もう大丈夫だとプレーに自信をもったとき、それは忽ち姿を現す。

 興味深いことに、イップスの人は腸内環境がものすごく悪い。腸は、腸内細菌の存在によって第二の脳と呼ばれている。発酵食品の摂取などによってビフィズス菌、乳酸菌、酪酸菌などの善玉菌を増やすと、イップスが劇的に改善する。副交感神経が優位になるからだ。思い切って休養をとることも効果的だ。コンディションが上がり、ストレスを減らせるメリットがある。

 イップスは病院では治らない。本書が、閉ざされた状況に置かれているイップスに風穴を開け、最近では宮里藍プロのように引退を余儀なくされるアスリートの減少に少しでも寄与することを期待したい。まずは、藤浪投手に、だ。その合い言葉は、「考えず、シンプルに」である。

 (社会医療法人財団大和会理事長・杏林大学名誉教授)