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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3349号(4月21日発売号掲載)

野獣の膨れた腹の中にサイードを解き放つ

――批判的知性の再構築がどうできるのか
鼎談:姜尚中×早尾貴紀×洪貴義

 ■ハミッド・ダバシ著『ポスト・オリエンタリズム――テロの時代における知と権力』が作品社より刊行された。浩瀚な本書の日本語訳出版を機に、姜尚中氏をお迎えし、訳者の一員である早尾貴紀氏、洪貴義氏に鼎談していただいた。(鼎談日・3月14日、東京・日本橋にて。須藤巧・本紙編集)

 ■「弱い思考」による「ゲリラ戦」の書

 早尾 本書の著者ハミッド・ダバシは一九五一年イランに生まれ、現在はアメリカに住んでいます。コロンビア大学教授で、専門はイラン研究、シーア派中心のイスラム研究です。そのうえで本書のようなポストコロニアル批評やアメリカの中東政策に対する時事的で論争的な批評をしています。あるいはパレスチナの映画祭にコミットし、パレスチナ映画に関する編著もあります。

  本書の翻訳には相当の苦労をされただろうと思います。著者のハミッド・ダバシさんは生前のエドワード・サイードと同僚であり同志だったということですね。

 私から、お二人に聞きたいことをいくつか申し上げます。まず、第六章で扱われている「内方浸透」についてです。難しい言葉ですね。しかし、北朝鮮をめぐる報道と、イスラムをめぐる報道には似ているところがあると思います。この「内方浸透」という考え方は、いまの北朝鮮をめぐる問題を見るときにも重要かなと思います。あるいはサバルタンや「従軍慰安婦」の問題についても。

 本書は全体として、「主体の危機」のなかで、主体をもう一度再生していこうというときに、サイードの『知識人とは何か』を再考しています。『知識人とは何か』は原題はRepresentations of the Intellectualで、「知識人の代表(・代理・表象)」と訳せます。『敗戦後論』を書いた加藤典洋さんが、若い人が「従軍慰安婦」のような非常に高度な問題に最初から入るのはダメだと言っていました。家で言えばすぐに二階に上がるようなもので、まず一階からだと。「おっ」と思いました。それを批判する人が、当事者でもないのに、どうしてそこまで代表できるのか、ということが一般的によくあります。その問題点を「知識人とは何か」という問いのなかでどう考えていったらいいのか。

 それから、日本においてそもそも「知識人」をどう考えたらいいのか。本書では知識社会学の手法がとられていますが、なぜ日本では知識人が弱いのか。なぜこんなに無力なのか。明治以来の知識人の社会的な弱さがあるでしょう。知識人がお互いに領域横断的にネットワークをつくり、パブリックな空間で問題を提起し、批判的な知性を養うというよりは、既存の組織に帰属があるかどうかによって知の有無をわけてしまうようなところがあります。『維新の影』(集英社)という本を出したのですが、公害やハンセン病の問題などをなぜ百年も放置してきたのか。大学の知のあり方が、「知識人」とまるっきり縁もゆかりもなくなってしまっています。これは個人の問題ではなく、制度的な問題です。私は、大学を辞めてよかったと思っています。

 丸山眞男の言葉を使えば「擬似知識人」――この「擬似」は決して「似非」という意味ではありません。日本は他の国と違って、中程度の知の広がりが広範にあります。例えば足尾に行くと、大学を出ておらず、学校社会の優等生でもない、「有機的知識人」としか言いようのない人がいっぱいいて、日本の可能性のようなものを感じました。それに比べると、制度圏の知識人には問題があると思います。「知識人はサバルタンを代表できるか」と、よく批判する人がいます。それは若い人を逡巡させる。韓国で若い学生たちが「従軍慰安婦」の問題をやっているのを見ると、「なぜ当事者でもないのに」と素朴に言える知識人が日本にいるわけです。

  重要な問題提起をしていただきました。そのためいまの姜さんの問いには後に応答していくことにして、まずは私の方から本書の全体像を示してみようと思います。本書の紙面掲載した書評をご紹介「図書新聞」の書評コーナーになっている「ポスト」という言葉、日本語ではすでに食傷気味な言葉なのですが、ダバシはこれを重視し、「ペーパーバック版への序文」でベンヤミンの歴史の概念を引用しながら、「時が止まる瞬間」として論じています。彼が例として挙げているのは、二〇〇一年の米軍によるアフガニスタン侵攻、〇三年のイラク侵攻、〇八年のイランでのグリーン革命、一〇年のアラブ革命で、これらのことを新しい物語、主題、理論の可能性を切り拓く特異な変容の瞬間だと言います。その意味では二〇一八年、三月という現在の瞬間、つまり北東アジア世界の新しい地殻変動をどう考えたらよいでしょうか。これを朝鮮半島の南北や、アメリカと北朝鮮のこれまでの敵対関係が中断され、時が止まって、新しい歴史が始まる「メシア的停止」のモメントと言ってもよいのかもしれません。朝鮮半島としては一九四八年に南北分断して以来どころか、近代が始まって以来、あるいは近世から見ても、この北東アジア地域の歴史を動かす主要なエージェントとして初めて登場しているのではないでしょうか。今後の動きを楽観はできませんが、その意味では「歴史的な時」にちがいありません。そもそもダバシは、大胆にも本書の全章をベンヤミンの歴史哲学の注解として読んでもよいとまで書いています。

 本書は一見各章がバラバラと無関係に並べられているように見えますが、そうではなく各章が密接に有機的に連関し合って配列されています。真ん中の三、四、五章で核心的な議論がなされるのですが、それを包むようなかたちで一章と七章、二章と六章がそれぞれ離れていながら対になって同一主題を論じ、最後の結論部に至るという構成になっています。第一章でサイードの『知識人とは何か』を論じ、サイードはその本の真ん中の第三章に「手榴弾」をしかけているとダバシは言います。真ん中の章で核心的なことを論じ、そこで爆弾が破裂、あるいは咲こうとしている花のように知識人が生まれるという比喩を使っていますが、ダバシの本書の構成もそのように真ん中に核心部が置かれています。第一章では亡命知識人、というよりもそれに対する「カウンター」としての対抗解釈者が論じられます。亡命といっても実質的なものというよりもメタファーとして使われ、「異郷にいる(ノット・アット・ホーム)」のに「くつろいでいる(アット・ホーム)」ことだと。第七章ではそれを両生類的と言い直しながら、さらにアメリカにおけるネオコンのイデオローグや、在米イラン知識人の堕落した様態を、罵倒や怒り、皮肉を込めて激しく批判しています。

 第二、六章はオリエンタリズムがどのように生成、変容、終焉し、別の知識の生産様式に変わっているかについてです。二章ではゴルトツィーエルという特異なオリエンタリストの生涯を追いながら、サイードの『オリエンタリズム』(原著一九七八年、日本語訳一九八六年)を知識社会学の観点から読み直し、その限界と可能性を論じ、六章ではアメリカの知的状況を批判的に分析しながらオリエンタリズムの終焉後に使い捨てにされる知識の生産様式のあり方を内方浸透として記述しています。第三、四章はサバルタンと主体形成についての議論です。三章でスピヴァク『サバルタンは語ることができるか』とサイードの批判的人文主義を再考し、両者の限界を明らかにすると共に、それらを揚棄する第三の可能性を明らかにします。第四章ではイラン人映画監督モフセン・マフマルバフの映画にあらわれるサバルタン性を「美学」の問題として論じていきます。

 第五章はチェ・ゲバラ、フランツ・ファノン、マルコムX、アリー・シャリーアティーという四人の革命的越境者の生涯についてです。サイードとスピヴァクの限界を超えた可能性というときに、実際に国境線を引き直すように越境した人たちのインオーセンティックな旅の生涯こそが逆説的にオーセンティックな意味を持つと。以上の三、四、五章において論じられた課題の解決の可能性を結論の「対話者を取り替える」で再度詳述していきます。本書は過剰とも言えるほどレトリックを駆使しながら、アイロニーや逆説、矛盾に満ちた荒々しい文体によって記述されています。ダバシは本書を決してオーセンティックな研究だとは考えておらず、繰り返し「弱い思考」による「ゲリラ戦」だと述べています。サイードに献辞をしているのですが、理論的爆弾を爆破させ現代という「暗闇のど真ん中、野獣の膨れた腹の中にサイードを解き放つ」というわけです。属するジャンルは明確でなく、歴史学でも哲学でも社会学でも文学でも地理学でもない。そのような諸ジャンルを横断する「カウンター」、つまり高度の「アマチュアリズム」にもとづくcounter historico‐geopoliticsとでも言うほかないような非常に面白い批評となっています。

  晩年のサイードがバークレーで講演したとき、ひどいヤジでした。パレスチナ出身者でこうなのだから、ダバシさんのようにイラン出身では、どうなのだろうと思います。一九七九年、私が旧西ドイツにいたときイラン革命が起きましたが、イランからの留学生と親しくしていました。あのとき初めて、「islamic fundamentalism」(イスラム原理主義)という言葉が英語で出てきました。七九年は旧ソヴィエトのアフガン侵攻が始まった年でもあります。その前年、七八年にサイードの『オリエンタリズム』初版が出ているわけです。私は当時、その原著を読んでいないし、イスラムにも注意をあまり払っていませんでした。当時のドイツでも、本書P19のイラストにあるように、新しい西洋への脅威がムクムクと湧き上がっている時期でした。一九五一年イラン生まれのダバシさんは七六年にアメリカのペンシルヴェニア大学に留学しますが、これはかなりレアケースだと思います。その三年後にイラン革命が起こっている。どういう立場に立たされただろうと思います。ダバシさんは文化本質主義的なものに陥らずに、ヨーロッパの思想の脱構築をしながら、本書に結実するような地点に辿りついていく。ちょっと私には想像できないような面があります。イラン出身で、いまアメリカでそういうポジションの人は、少ないのではないですか?

 早尾 はい。本書ではダバシ以外のイラン出身の知識人の名をあげては、アメリカの現体制に迎合的であり、主要メディアにも便利に使われていると書いています。単にイランを捨ててアメリカに安住し、ダバシの言い方では「安全圏」からイランを批判する知識人はいっぱいいると。アメリカに「Campus Watch」というネオリベ・親イスラエルのシンクタンクによるプロジェクトがあります。アメリカの中東政策やイスラエルに批判的な大学の研究者は警戒され、「こいつはこんな非国民的発言をした」とあげつらわれる。ダバシはその筆頭であり、アメリカ国内でバッシングを受けたりもしますが、彼はひるむことなく先鋭的な発言を続けています。その意味でもサイードのポジションを受け継いでいると言えます。中東出身で、アメリカで内在的にアメリカ批判をする知識人です。

  やはり珍しいと思います。サイードはキリスト教的な教育を受けていますが、ダバシさんはシーア派のイスラム神学ですね。

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群盲よ、象を撫でろ!

――この本は皮肉にも、読者に日本という国の在り方を見つめ、問い直す機会を生むだろう
評者:渡邊未帆

 ■この2月、6度目のモロッコ滞在中、「旅行記を兼ねてこの本の書評を」と編集長よりメールをいただいた。

 旅とは異国人としてのつかの間の快楽を味わうことである。「眠りこけた古都」の異名を持つメクネス。明け方、ひんやりとひと気のないメディナに、四方八方のモスクから幾重にもなって響き渡るアザーンは、コンサート・ホールで聴くポリフォニーよりも、私には美しく聴こえた。その声は言う。「礼拝は睡眠に勝れり……」。やがて、どこからともなく鶏の鳴き声、バイクのエンジン音、男たちの交わす挨拶、物売りの声が入り混じり、街にいつもの喧騒がやってくる。尖った屋根のモスク、市場で売られるハラールの牛肉や羊肉や鶏肉、家の扉に付けられた「ファティマの手」、店先に並ぶ色とりどりのヒジャーブ……。旅人の目に映るイスラームの「表層」は、モロッコの地では住人たちの生活と切っても切り離せない。祈りの声と街の喧騒が浸透し合うのと同じように。

 しかし、意を決して祖国を離れて、日本に暮らすムスリムたちにとっては話は別であろう。当然、こうしたイスラームの「表層」は、この国においては異文化の物珍しいものとなって立ち現れる。

 本書は、地域雑誌「谷根千」の創刊で知られるエッセイストによる、日本に住む様々な国籍のムスリムたち13人へのインタビュー集だ。現在、日本に暮らすムスリムは10万人以上、その出身国は中東、北アフリカといったアラブ世界だけではなく、ウイグル、キルギス、ウズベキスタンといった中央ユーラシア、マレーシアやインドネシアといった東南アジアに及ぶ。2001年9・11を機に東京の街で生きにくくなっているイスラームの人たちに想いを寄せ、2011年の3・11を機に被災地支援をする大塚モスクの人々に出会って心を動かされたという著者は、日本に住むムスリムたちに「豚肉は食べない」「お酒は飲まない」「1日に5回お祈りする」「女性はヒジャーブをする」といった日本でも一般的に知られるイスラームの習慣について、率直に丁寧に尋ねていく。日本のマスジド、レストラン、ハラール・フード店、絨毯屋、大使館、大学、会社という自らの居場所を見つけた彼らが、苦労を重ね、折り合いをつけながらも、日本の社会の中でアイディアを生みながらたくましく生きている姿が、現在進行形で描かれている。

 私はこの著書にも何度か登場するアラブ・イスラーム学院に在院してアラビア語とイスラーム文化を学んでいる。先生は日本に住むサウジアラビア、エジプト、スーダンのムスリム、生徒は私のようにアラビア語やアラブ世界に興味を持つ非ムスリムの日本人もいれば、外国人ムスリムを親に持ち日本で育った若者、ムスリムと結婚し改宗した日本人女性、日本在住の外国人ムスリム、自ら改宗した日本人ムスリムなど様々。まさに日々が「お隣りはイスラーム」の状態で、日本の社会では味わえない体験をしているところだ。

 旅先であるモロッコの地で感じる空気と、サウジアラビアの国立大学の東京分校で感じる空気はまったく異なったものであるし、自分が見聞きしたものだけで、全てを理解しているつもりはまったくない。けれども、私自身「信仰」について強く意識せざるを得なくなった。人の年齢や性別や職業やあらゆる所属や立場とは無関係の、自分自身の問題である。果たして我々はイスラームの信仰について、その「表層」以外何を掴めるだろうか。ただ、少なくとも私が感じるのは、ムスリムは何世代にもわたって連綿と常に、生まれたときから既に、「神」という超越的な存在と対峙してきたということである。

 日本でも「群盲象を撫でる」という諺で知られるインド発祥の寓話がある。ある暗闇に運ばれてきた象を、各々が手探りに触れ、耳に触った者は「平べったい絨毯のような生き物だ」、鼻に触った者は「管のような危険な生き物だ」、足に触った者は「太い柱のような生き物だ」と言う。この話は、イスラーム神秘主義の『スーフィーの物語』(イドリース・シャー編著、美沢真之助訳、平河出版社)では「被造物は神の本質を知ることができないし、通常の知性に基づく学問にそれを知る道はない」という教訓で結ばれる。人間の想像が及ばない絶対的な存在について考えを巡らすことで、己がいかにちっぽけな存在であるかということを死ぬまでにどれくらい実感できるだろうか。

 しかし、そんなこととは無関係に日本におけるムスリムはゆっくりと増え続けるだろう。その時我々は、身近な現実、自らの皮膚で感じた感触から始めるしかないだろう。本書は、その方法の一つを提示する。ただ、本書に登場する日本在住のムスリムたちが、本人たちの努力と、掴み取った幸運によって、この道を開いてこられた人たちのさらに一部にすぎないということも忘れてはいけない。つい先日も日本で難民として認められなかったシリア人男性4人が国に難民認定を求めた訴訟の判決で「迫害を受ける恐れはない」として、訴えが退けられたというニュースがあったばかりだ。

 ムスリムたちが祖国を離れざるを得なかった理由は戦争、貧困、野心、野心を秘めた「恋愛」など、人によって様々な事情がある。それでも彼らは祖国を想い、自国の文化に誇りを持っている。

 翻ってこの本は皮肉にも、読者に日本という国の在り方を見つめ、問い直す機会を生むだろう。自分が生まれた国とその文化、その言葉、その価値観を、これから愛していけるだろうかと。

 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」(寺山修司)

 (音楽学)

どのような質問にたいしても、真摯に切実に応答する姿勢

――安藤昌益の思想をヴェイユや親鸞へと敷衍していくのは吉本らしい
評者:久保隆

 ■『質疑応答集』の本巻は、「『受け身』の精神病理について」、「異常の分散――母の物語」、「言葉以前の心について」、「自己とは何か」など〈人間の心身〉をめぐってなされた講演後の質疑応答をⅠ、Ⅱ章に配置し、安藤昌益についての講演も含む〈農業〉をめぐる講演後の質疑応答をⅢ章として、編まれている。

 時として、当日の講演をさらに深化させていくかのような言葉を発しながら、吉本の、どのような質問にたいしても、真摯に切実に応答する姿勢は、本巻でも、貫かれている。

 例えば、「『生きること』と『死ぬこと』」(八〇年六月)の講演後では、当時、六十三歳の男性の質問者が、「『生きること』と『死ぬこと』というような抽象的なことではなく、政治的なことで」質問があると述べ、「今の憲法にたいして全然批判的ではない。実績は評価している」としながらも、「今の憲法を立派にするためには、軌道修正する必要がある」と思うが、「どう思っておられますか」と聞く。吉本は、こう答えていく。

 「あなたと僕とでは、『新憲法は立派じゃない』と思ってるところがちがうと思うんです。たとえば、『天皇は国民統合の象徴である』というところがあるでしょう。僕はああいうところが立派じゃないと思うんです。(略)とにかく僕は、そこでは不満をもっている。(略)とにかく、そこがガンだと思っています。」

 わたしの記憶のなかでは、吉本が明快に第一条の象徴天皇条項に触れた記述に接したことがなかったから、即座にこの発言に惹かれたといっていい。第九条に込められた理念を積極的に評価する吉本にたいし、同意するとともに、やや逡巡してきたわたしにとって、ようやく共感できる位相に出会ったことになる。この国の〈憲法〉が、九条の前に、一条(「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」)から八条まで天皇条項が配置されることに、わたしは、まったく首肯できないでいたからだ。「主権の存する日本国民の総意に基く」と記述されるわけだが、いったい、いつどこで、国民の総意がかたちづくられたのかといえるからだ。不満だ、ガンだという、吉本の裁断は極めて先鋭だと強調しておきたい。

 もうひとつ、わたしが本巻に収められている質疑応答のなかで、特に視線を注ぐことになったのは江戸中期の思想家・安藤昌益をめぐるものだ。

 「(略)日本の思想家は近世ならたいてい儒教の影響を受けています。安藤昌益だけはそういう影響を身につけてはいますが全部排除するというか否定するというか、そういうことを徹底してやっている人です。何はともあれ安藤昌益のいちばん根本的な思想は何かというと、『直耕』という概念です。」(講演「安藤昌益の『直耕』について」九八年九月――『吉本隆明〈未収録〉講演集〈3〉』)

 そして、その講演で昌益の思想をシモーヌ・ヴェイユや親鸞へと敷衍していくのは、吉本らしいといえる。だが昌益を最初に発掘したのは、E・H・ノーマンだと述べているのだが、狩野亨吉という漱石の友人だったことだけでも知っていて欲しかった。質疑応答のほうでは、「直耕」という概念を『母型論』のなかの重要なモチーフとなった贈与へと連関づけていることに、わたしは重視したことを記しておきたい。

 さて、ここからは、『質疑応答集』の校訂と解説を担当している詩人・批評家の築山登美夫氏が論述している「『劇』としての人間」と題した本巻の解説に触れたい。静謐な文体から滲み出てくるのは、解説文という枠を超えた鮮烈な吉本論である。なぜなら、徹底して吉本の有様に、築山氏自らの心性を注ぐように言葉を紡ぎ出しているからだ。

 講演「農村の終焉――〈高度〉資本主義の課題」(八七年十一月)の後の質疑応答では、国鉄の分割・民営化に反対して労働運動を指向していくとする質問者にたいして、「それはちがう」と激しく応答する吉本を捉えて、「口調はしだいに急き込んで、激流のようにとどまることを知らなくなり、たぶん途中からは質問者を含めた会場を凍らせるようだったのではないでしょうか」と記していく。そして、次のように述べて、この文章を閉じていく。

 「この応答の場面では、最後にいたって吉本さんの口調は我に返ったかのようにやわらかくなり、質問者へのいたわりを見せます。考え方の相違とはべつに、彼もまた無名の民衆の一人として、時代の波に翻弄されながら自分の運命をつくって行くほかない。そのことに例外はないのであって自分もまたそうしてきたのだ。そのかなしみが吉本さんを襲ったのだと、私には思われるのですが。」

  *

 築山登美夫氏は、わたしの親しい友人である。彼からは、かなり前の段階で『質疑応答集』の企画を聞いていた。そして渾身の思いをかけていたことは、校訂作業に入ってからの彼の言葉のひとつひとつから伝わってきていたといっていい。だが、昨年末、彼は急逝した。突然の訃報に、わたしは、いまだに哀しい寂しいという言葉が直截に出てこない状態が続いている。彼の不在を確信したくない自分がいるからだ。

 彼の〈死〉によって、『吉本隆明 質疑応答集』の四巻以降の刊行は、暫くの延期となっている。

 (評論家)