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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3352号(5月26日発売号掲載)

時代のなかで書くことの覚悟

――「フランス文学者」として
インタビュー:鈴木道彦氏 (聞き手・中村隆之氏)

 ■プルースト『失われた時を求めて』やサルトルの『嘔吐』などの翻訳でも名高い鈴木道彦氏の新著が、講演集『余白の声』として閏月社より上梓された。これを機に、御年八九歳、驚愕すべき記憶力の持ち主である鈴木氏に話をうかがった。聞き手は、『エドゥアール・グリッサン』などの著作がある中村隆之氏にお願いした。(インタビュー日・4月5日、東京・鈴木道彦邸にて。須藤巧・本紙編集)

 ■「言葉」と「行動」

 中村 鈴木先生には、『異郷の季節』(みすず書房、一九八六年)と『越境の時』(集英社新書、二〇〇七年)という回想録が既に二冊あります。本書『余白の声』は講演集ですが、その回想録の系譜に位置づけられると思います。本書には六つの講演が収められています。鈴木先生は想いをこめて本をつくられてこられたと思いますが、本書冒頭にはラテン語で「verba volant, scripta manent」(言葉は去るが、文字は残る)と書いてあります。

 鈴木 ああ、それは版元の閏月社の本の冒頭には必ず入っているんだそうです。

 中村 あ……、それは失礼しました(笑)。

 鈴木 ただ、その文言のようなつもりは常にあって、消えていく講演が本になるのはとても嬉しいことでした。

 中村 「余白の声」という表題がまず印象的です。副題の「文学・サルトル・在日」は、鈴木先生のお仕事を象徴する言葉で、これらの言葉がどれひとつとして切り離せないところに鈴木先生の独自性があるのだと思います。本書を読んでまず響いてくるのは、文学とアンガージュマンの関係で、とりわけ、「独自的普遍」というサルトルの言葉からプルーストに向かっていくところです。他者の「独自的普遍」を探求するという鈴木先生の文学者としての姿勢が深く響く。小松川事件(一九五八年)に接するときもそうですが、社会との関わり方のなかの鈴木先生の文学者としての立ち位置、態度は、サルトルを経由して培われてきたものだと感じます。

 鈴木 その通りだと思います。小松川事件のことを考えるときも、その前にサルトルの『方法の問題』(一九五七年発表)がありました。本来なら李珍宇のことを詳しく知っていなければ書けないけれども、当時はそれができなかったから、在日朝鮮人の普遍的な条件のなかに、彼の独自性が強く出てきているのではないかと考えたのです。そのように彼の心を想像して、一種の「感情移入」(empathie)をして理解することができるのではないか、と。サルトルはその方法を「了解」(comprehension)と呼んでいます。『弁証法的理性批判』だと一番強調されるのは「知解」(intellection)という言葉ですが、「了解」というのは一種の実存的な理解の仕方で、そのことが『弁証法的理性批判』の序文としておかれた『方法の問題』に書かれています。

 中村 鈴木先生は一九五四年にフランスに留学されます。当時はまさしくアルジェリア戦争(一九五四~六二年)の時代に当たります。そこから六〇年代末までのことは、『越境の時』で詳しく書かれています。

 鈴木 『越境の時』は、上野千鶴子さんにしきりに勧められて書きました。ぼくにとって、小松川事件もそうですが、金嬉老の事件(一九六八年二月)のときは全力投球をして、八年半ほど裁判に関わりました。一番脂の乗り切った時期をこの問題に捧げるわけですから、フランス文学者として「これでいいのか」という気持ちがないわけではなかった。しかしぼくはどうしてもこれをやらないわけにはいかない、と思いました。それが一段落ついて、公判対策委員会も解散して、時間の余裕ができたときに、これは初めての経験でしたが、『異郷の季節』という回想を書く気になったのです。しかし、まだそのときは、在日のことは書けなかった。

 中村 『異郷の季節』にはフランス滞在のことが書かれています。

 鈴木 ただ、その裏にはずっと在日のことが頭にありました。いまでも『異郷の季節』はときどき読み返すんですが、当時、他の人が言っていないことが出てくるので、書いておいてよかったと思っています。もう一つの回想としての『越境の時』は、『異郷の季節』で書けなかったことを書いてみようと思ったのです。

 中村 六〇年代、鈴木先生は既に様々な著訳書をお持ちでした。例えば、これは一九七〇年のことですが、『政治暴力と想像力』(現代評論社)を出されます。

 鈴木 その本の最初に収録されている「民主主義のなかの暴力」は、山﨑博昭が死んだ一九六七年一〇月八日の羽田闘争のころ、「暴力学生」と呼ばれて、学生がメディアの袋叩きにあっていた時期のものです。もちろんぼくは全面的に学生と同意見ではなかったけれど(ぼくは「大学解体」という言葉を使ったこともなく、高橋和巳と違ってヘルメットもかぶっていません)、マスコミが暴力学生といって学生を叩く不当なやり方は、必ず批判しなければならないと思っていました。しかし、それはかなり勇気がいることでした。バッシングがすごいのです。同じことが在日や朝鮮について発言したときも言えます。北朝鮮が拉致問題などで悪の塊のように見なされているときに何か言うと、必ずたくさんの批判が飛んできます。しかし、やはり言うべきことは言わなければならない。

 中村 「民主主義のなかの暴力」は最初、『現代の眼』(現代評論社)という雑誌に掲載されました。

 鈴木 もちろん『世界』などの雑誌も既にありましたが、『現代の眼』や『展望』(筑摩書房)などは、わりに自由にものが言える雑誌でした。

 学生の“暴力”について当時ぼくが最初に書いたのは「一橋新聞」の「事実とは何か―大合唱に抗して」でした。メディアの報道では、山﨑博昭が死んだのは、警察の放水車を学生が奪って、それを運転して彼を轢き殺したことになっているけれども、そんな証拠がどこにあるのか、いかにメディアが警察発表のタレ流しをしているか、という指摘です。それに続いて、「民主主義のなかの暴力」を書いたのです。その「事実とは何か」を友人の哲学者竹内芳郎が読んで、連名の公開質問状を朝日新聞に出そうということになりました。それで『展望』に相談すると、『展望』は迂闊にも誌面を提供してくれたのです(笑)。

 公開状への反響はすごいものでした。当時、もちろん「新聞は偏っている」なんて評論家的に書く人はいましたけれど、このようなかたちで新聞に直接切り込んでいく批判の仕方はありませんでした。しかも公開状が出たあと、またぞろ『展望』は迂闊にも(笑)、朝日の社会部長に面会を取りつけてくれましたが、そのころになってあちこちから『展望』への圧力が強まってきて、編集部がビビり始めた。しかし私たちはもうそこまでやっちゃっているんだから、その面会の状況も結末も書こうじゃないかということで、二回目の原稿を『展望』に書いたのです。当時、竹内好や荒正人などは、『展望』から頼まれたのか、それを書かせまいとして直接間接に圧力をかけてきました。だから竹内芳郎とぼくの二本目の論文の最後には、竹内好を念頭において、「水に落ちた犬を打つのはフェアプレーの精神に反する」が、「フェアプレーは時期尚早である」と書いたのです。

 中村 時代のなかで書くことの覚悟を感じます。書くことによって自分の身を晒したり追い込まれたりするような言葉の強さ、あるいは書き手の覚悟を感じることが難しくなった時代に、いまはなってきている気がします。

 鈴木 だからみんな何も言わずに黙っているでしょう。

 中村 現代の言論についてはどうお考えですか?

 鈴木 批判的なことを書こうとする人の書く場がなくなっていますね。昔のような総合雑誌もあまりないから、事情が違うとは思いますが。しかしいずれにせよ、何か言ったら、吐いた言葉はもう取り戻せない。その意味で、ものを書く人間と政治家は違います。政治家はすぐ撤回するじゃないですか(笑)。ぼくは、物書きの端くれとして、その覚悟だけは最初から持っていました。例えばアルジェリア戦争のとき、「一二一人宣言」というのがありました(一九六〇年)。フランス人でありながら、植民地体制の崩壊に寄与するアルジェリアの民族解放戦線(FLN)を支持し、それに対して武器をとることを拒否するフランス人の態度を正当と見なす、という一種の「非国民」宣言です。それを紹介するときに、肯定的に書けるだろうかと考えました。もしそれを称賛したら、同じようなことが起こったときに自分も同じように行動するしかありませんから。しかし、思いきって覚悟を決めました。

 中村 書くこと自体は孤独な作業でもあると思いますが、同志というか、この時代にこの人がいるから連帯しあえるという同時代の書き手には、どんな人がいますか?

 鈴木 非常に親しくしていたのは竹内芳郎ですが、彼とぼくはずいぶん違います。彼には、肉体を動かすということがありません。知的にはものすごくレベルが高く、書くことは非常にラディカルでしたが。

 中村 鈴木先生にとって、言葉との関係において「行動」はどういう位置づけだったのですか?

 鈴木 「言った以上は」ということです。そう思っており、そう書くならば、そう行動すべきだろうという単純なことです。例えばデモに行くとか、あるいは日本で脱走兵の問題があったときは、それに関わるとか。

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国家主権との「断絶」

――問われているのはレヴィナス的な「顔」ではなく、プルースト的な「頬の味」である
評者:白石嘉治

 ■階段をおりて、地下の展示室にはいる。コンクリートの瓦礫が散乱し、何冊もの六法全書が打ち捨てられている。「これらが現行の資本主義下で不可能なら、資本主義の方が間違っている。資本主義を変えろ。」――会田誠はこうした「セカンド・フロアリズム宣言」(「NO GROUND PLAN」展、二〇一八年二月)で、二階建てよりも高い建築物はいらないという。住居に屋根があるのはとうぜんだろう。屋根を二階として活用しようというのもわからなくはない。だが、それ以上は邪悪な意志がはたらいているというほかない。せんじつめれば、文明とは巨大建築への意志であり、法もその建設にわれわれを動員するためにある。「宣言」がみすえているのは、文明そのものをぬけたさきの風景である。

 本書の契機となったウォール街やタハリール広場の「アセンブリ(集会)」にも、会田ならば同様の「セカンド・フロアリズム」をみてとるはずである。広場にひしめくテントは反グローバリズム運動のスタイルの延長であるが、ごく端的に巨大建築にたいする拒絶でもあったのだろう。そしてわれわれもまた、国会や官邸前に群れつどう。特定の法案や政権に反対しているだけではない。警察との押し合いのなかで、目のまえに屹立するのは近づくことのできない巨大な建築物である。それらは古墳やピラミッドのように、やがては打ち捨てられるのだろう。あるいはウィリアム・モリスが幻視したように、肥料置き場になるのかもしれない。いずれにせよ、バトラーはこうした「アセンブリ」の湧出にたいして、『ジェンダー・トラブル』(竹村和子訳、青土社、一九九九年)いらいの言語行為論をつうじてよりそう。標的はリベラルが準拠するアレントやレヴィナスのスキャンダルであり、あらためて練りあげられる概念は「プレカリティ(不安定性)」である。

 八〇年代のショシャーナ・フェルマンの『ドン・ジュアン』読解はあざやかだった(『語る身体のスキャンダル――ドン・ジュアンとオースティンあるいは二言語による誘惑』立川健二訳、勁草書房、一九九一年)。晩年の林達夫が『ドン・ジュアン』の研究に専念していたのも、エピクロスの徒としてはとうぜんだろう。ドン・ジュアンの神話的な形象じたい、マキャベリの君主と同様に、エピクロスやルクレティウスの古代原子論の賦活なしにはありえない。ドン・ジュアンがつぎつぎと結婚の約束をかわすのは、原子が偏差をともないながら遭遇をくりかえすのとおなじである。このカオスの様相のもとに、フェルマンは言語行為論を脱構築してみせる。発話は事実確認的なものと行為遂行的なものとに判然とわかれるのではない。世界はドン・ジュアンの約束=行為遂行性だけからなりたっている。フランス革命の前夜に、モーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』がなりひびいたことを想いおこそう。

 バトラーもフェルマンを参照しつつ、アイデンティティ・ポリティクスのくびきをときほぐしていく。ジェンダーが事実確認的ではありえないように、「アセンブリ」にたちあらわれる正義も行為遂行的なものである。イスラムにたいするレイシズムをかくさなかったアレントの「あらわれ」ではもはや不十分である。かつて梅木達郎が『支配なき公共性』(洛北出版、二〇〇五年)で語ったように、より即自的な出現が問われなければならない。われわれの「あらわれ」そのものの行為遂行的な一義性によって、アレントが固執した経済と政治のしきいはとりはらわれる。同様に、パレスチナ人にはいかなる「顔」もないと主張するレヴィナスの倫理は、もちろん読みかえられなければならない。倫理が行為遂行的なものであるかぎり、たんなる契約関係に切りつめられない。ドン・ジュアンの約束には身体を欠くことができない。それは「懇願、誘惑、情熱、そして侵害へと曝される身体」であるだろう。この行為遂行性にともなう「身体の曝され」は、われわれの「プレカリティ」を「可傷性(ヴァルネラビリティ)」にむすびつける。「アセンブリ」が肯定されなければならないのは、それが不安定であるからだけでなく、そこに可傷的な身体がみいだされるからである。問われているのはレヴィナス的な「顔」ではなく、プルースト的な「頬の味」である。

 こうした「アセンブリ」が開示する可傷的な身体のスキャンダル=「プレカリティ」は、バトラーによれば、デモクラシーが依拠する「議会的形式」に「反対」するのみならず、そこから「超出あるいは超過する何かが存在する」という直観をもたらす。それはかりそめに「人民主権」とよばれもするが、むしろ国家主権との「断絶」そのものである。われわれとしては、そこにヴェルナー・ハーマッハーのいう「遂行中断的(アフォーマティヴ)」なものをみてとりたい。彼はベンヤミンの『暴力論』を読みときながら、国家の事実確認的な統治にたいして、たんに行為遂行的であるだけでは、経済の行為遂行的な統治にのみこまれてしまうという。国家(=事実確認的)/経済(=行為遂行的)という統治の「神話的暴力」の循環からぬけでるためには、「神的暴力」の遂行中断性が発動されなければならない。ベンヤミンにとっては、この遂行中断性は「革命的ゼネスト」としてたちあらわれるが、それは国家や経済の統治にたいする「断絶」それじたいであるような「アセンブリ」の「プレカリティ」でもあるだろう。

 いずれにせよ本書のおわりで、バトラーの同僚でもあるダナ・ハラウェイへの言及が示唆するように、アントロポセーヌ(人新世)を生きるわれわれは、もはや「人間についての理念的形式」をあてにできない。神による支配としてはじまった文明は、やがて人間による支配となり、産業革命以後はモノによる支配として組織される。そうした文明の支配のもとで、われわれは神殿や城砦、あるいは原発といった巨大建築をつくるためにかりだされてきた。アントロポセーヌが産業革命以後のモノによる支配の別称であるかぎり、たとえその結晶であるような原発が爆発しても、人間的なものへと回帰することはなんら解決にはならない。それは今日のモノによる支配にかつての人間による支配を上書きするだけにおわるだろう。しかも本書の訳者たちも別のところで主張しているように、原発はいうまでもないが、芸術もまた巨大建築をささえるインフラの触手に捕獲されようとしている(『脱原発の哲学』人文書院、二〇一六年/『地域アート――美学/制度/日本』堀之内出版、二〇一六年)。しかしながら、会田の「セカンド・フロアリズム宣言」に端的であるように、われわれは芸術の「透視」(ランボー)なしにはアントロポセーヌのモノによる支配からぬけでることはできないのではないか? 芸術では、支配とは別様の関係がモノとともに生きられる。それは「アセンブリ」で生じていることでもある。ルソーを想いおこそう。彼は法の根底に契約の行為遂行性をみいだしただけではない。文明との対峙のはてに『告白』のスキャンダルにいきつく。以後、芸術や文学は即自的なあらわれの地平を開示しつづける。バトラーのいう「良い生」も、それなしにはありえないだろう。文明=巨大建築の錯誤は、芸術や文学の、あるいは「アセンブリ」の神的暴力のなかで罷免=脱措定されなければならない。行為遂行性のはてにみいだされるそれらの「アセンブリ」の「断絶」=遂行中断性とともに、あるいは会田やルソーとともに、われわれはふたたび自然という段階にはいっていかなければならない。

 (フランス文学)

    • 『室伏鴻集成』
    • 室伏鴻/著 中原蒼二/編 鈴木創士/編 渡辺喜美子/編
    • 河出書房新社

土方巽から室伏鴻へ

――「同一なものの一度として同じでない回帰・反復」としての「〈外〉のエクスペリエンス」
評者:竹重伸一

 ■この本に集められたのは、2015年6月に惜しくも68歳でメキシコにおいて急逝したダンサー・振付家室伏鴻が生前密かに書き続けていた膨大な日記の中から、編者の中原蒼二、鈴木創士、渡辺喜美子によってピックアップされたものが中心になった、ほとんどが生前未発表の文章である。世には舞踏の系譜図というものがあり、それらは土方巽と大野一雄の2人の「創始者」を起源にして、家系図のように多くの舞踏家をその系譜のどこかに位置づけるもので、それに従えば室伏は土方と麿赤兒のすぐ下に来ることになる。多くの人の室伏に対する認識も大概そんなものであろう。しかし例え生前の室伏の公演を観たことがなくても、本書を読んだ人は先ず舞踏のそうした伝統芸能のようなヒエラルキー構造自体に疑いを持つことになるに違いない。なぜならこの本に書かれていることは舞踏=土方巽の限界を飛び越えて、ダンスそのものの根源的な思想にまで到達しているからだ。

 室伏が生涯を賭けてダンスにおいて追い求めたものを乱暴に要約してしまえば「同一なものの一度として同じでない回帰・反復」としての「〈外〉のエクスペリエンス」と言えると思う。例えば彼はあるメモの中でこう書き記している。

 「反復 同一なものの 一度として同じでない 
 反復 それはたえずくりかえされる 起源なき空への連打!! そういう反復なのだ」(180頁)

 思い返せば彼のソロダンス自体、デビューした1970年代後半から一貫してタイトルは時に変わっても、表面的にはいつも同じことの繰り返しであった(逆に、公演タイトルは同じでも場所が違えばほとんど別の作品であったと言える)。木乃伊、硬直、痙攣、銀塗り、不意の転倒、舞台上に置かれたり天井から降り注いだりする物質の腐敗に抵抗するようなたくさんの塩……。具体的な風景やテーマが描かれることは決してなく、タイトルも内容も禁欲的なまでに抽象的であった。驚くべきことに、書かれた年代順に並んでいる本書に含まれているたくさんの文章も、ダンスのようにほとんど同じ内容の繰り返しなのである。なぜ彼の場合、そうした抽象的な反復が退屈な自己模倣に陥らず、むしろ年を経るごとに更なる強度を獲得していったのであろうか? それは上の文章にあるようにその反復が「起源なき空」に直面するエクスペリエンスであったからである。室伏が生涯拒否し続けたのは、彼がその〈外〉の思想を受け継いだミシェル・フーコーと同様に、主体としての自己同一性という幻想である。つまり「起源なき空」とは「私の消失」であり、底抜けの空虚に触れることだったのだ。彼はこうも書いている。

 「ある時、土方が、別の固有名詞、あるいは全く無名なものと混同され、あるいはとりちがえられ、あるいは変貌し、海のものとも山のものとも見分けのつかぬ在り方で存在することの方に、より現実性があるのだ。」(126頁)

 固有名への疑いと徹底的な匿名化・非人称化への志向。この本の中には「死人称」(56頁)という言葉まで出てくる。そしてそれは同時に、人間に自己同一性を保証する顔の無化でもある。土方巽あるいは大野一雄と違って、室伏鴻の顔の表情は彼のダンスにおいて何の意味もなしていない。意図的に表情を作ることはおろか、観客を正視することさえしない。

 全ては「必死で突っ立っている死体」を踊るためなのである。もちろんこれは土方の言葉だが、土方自身は、室伏も書いているようにその後そこから離れ、表現主義的な“マイム舞踏”(舞踏譜の舞踏)の方に行ってしまった。しかし室伏はあくまでもその地点に踏み止まった。なぜならそこにこそ“舞踏の原点”=「踊りの表現技術を全て沈黙させる技術」を見て取ったからである。目指されるのは身体を硬直させて金属のような硬い物質に変容させることである。ただしその金属とは水銀のように流動的な液体や揮発した気体の運動性も内包している。

 「われわれの身体は金属で出来ている。〔…〕どこか知れぬ〈間〉や〈すき間〉にあって力=意志であるもの、それは変成的なものだ。少なくとも水でも土でも火でも空気でもない。いや、それらをより合わせ、その混成によってそれらを超脱し、逸脱するもの。それが金属だ。その孤児性!その切断性!硬く、そして同時に柔らかいわれわれの筋肉、神経の秤は、重量を欠いた軽味だ。軽さを欠いた重みだ。だから、どこへでも移動する旅人だ。」(153頁)

 そしてその硬直の瞬間、時間に亀裂が入り身体は痙攣を始める。「私は痙攣するダンサーである」(341頁)。そこにおいて土方の〈衰弱体〉を更に発展させた室伏の晩年のキーワードである〈無能力〉というエフェメラルな〈弱さ〉が踊られるのである。

 土方巽から室伏鴻へ。ダンス(舞踏ではない!)のパラダイムは変わるべきである。21世紀のダンス、「来るべきダンス」はこの本から始まる。同時に忘れてはならないのは、室伏鴻のダンス自体はあくまでもこの「書かれたもの」の〈外〉の名付け得ぬ領域にあったということである。だが同時にその名付け得ぬダンスは、本書がほんの一部に過ぎない彼の膨大な「書かれたもの」がなければ決して生まれることはなかったということも、本書は示しているのである。

 (ダンス批評家)