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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3354号(6月2日発売号掲載)

戦後思想史の死角を書く

――上からの政治化に摘まみ上げられないために
インタビュー:佐藤泉氏

 ■このたび中央公論新社から佐藤泉著『一九五〇年代、批評の政治学』が刊行された。本書は一九五〇年代に活躍した批評家、竹内好、花田清輝、谷川雁の三人を中心に論じることで、戦後の「転形期」とも言えるこの時代を歴史的に位置づけようとする画期的な書物となっている。本書をめぐって、著者の佐藤泉氏に話をうかがった。(対談日・四月二五日、新宿区・高田馬場にて〈村田優・本紙編集〉)

 ■起こりはしなかったけれど起こりえたこと

 ――題名にあるとおり、本書『一九五〇年代、批評の政治学』は五〇年代の日本の批評を、竹内好と花田清輝、そして谷川雁という三人の思想・政治運動から考察しています。ただ、本書の「おわりに」では、佐藤さんは「批評一般に目を向けるようになった時期である八〇年代、九〇年代までを範囲にいれた戦後批評史になるはずだった」とも述べています。このたび、どうしてこの三者を取り上げるかたちで批評史を描こうとしたのでしょうか。

 佐藤 まずなにより一人一人が魅力的な書き手だから、それにつきるのですが、それは彼らの言葉が時代に介入する力を持っていたからこその魅力だと思います。三人とも文章そのものが素晴らしい、その点では一人一冊くらいの分量で論じたい気もありましたが、三人の主題がその意図なくして重なり合う部分が次第に見えてきて、そこに「焼跡から高度成長へ」という戦後史の流れにすんなりとは収まらない五〇年代独特の思想のかたちが浮かび上がってきました。そこで戦後思想史の死角と言える五〇年代の歴史を書いてみようと思いました。ただし思想のレベルで書きたい、思想の歴史であれば起こりはしなかったけれど起こりえたこと、夢や理想といったものを含めて考えることができるからです。批評プラス歴史という組み合わせにはこれまでも関心を持ってきましたが、砕け散った夢の破片を集めるような作業です。

 ――では、歴史を論じるにあたって一九五〇年代を選んだのはどうしてですか。

 佐藤 戦後史の流れを見ていくと、五〇年代の終わりに一つの大きな切断があったと思います。六〇年安保でそれまでの社会運動の力がピークに達する、しかし結果的に日米関係が固定化する、以後さまざまな意味で風景そのものが変わり、考え得ることの幅やら枠が固まってくる。そしてその延長上にあるのが現在のドンづまりだとすると、その間際の時である五〇年代こそ今読み返すべき時代ではないかということです。ここ数年で深まった無力感の政治のなかで、社会を変えられると思わなくなる以前に、自分が変えることができると思わなくなってしまい、人形が人形遣い以上に残酷になっています。でも、七〇年前の私たちはこんな未来を夢見ていたわけではなかった、そういうことを思い出したいです。

 ――本書では三人の思想と並行しながら歴史的な事実を的確に押さえていて、多くの読者にとっては批評史の格好の入門書だと言えます。研究書としてだけでなく、教える立場からの一種の教科書として読むことができる。

 佐藤 そうそう、まず読者として思い浮かべたのは私が日頃向き合っている学生の世代です。先ほど言いましたように、五〇年代の思想は今こそ読むべきイキのよいものですから、今の人にこそ触れてほしいわけでありまして、ほとんど入門書を書く心づもりでした。一文を短く、とか。ただ、学部生にこの人たち知ってる? と聞きますと、ニコニコしながら「誰それ?」という反応が返ってきまして……(笑)。永遠に開かない門の前にいるような、もうどうしていいかわかりません。

 ――たしかに、本書で取り上げた竹内好、花田清輝、谷川雁といった作家を現代の若者が知らないのは普通かと思います。文学系、批評系の本が好きな学生でも彼らの愛読者はごく一部のような気がしますし、読んだことがあったとしてもその歴史性まで考慮に入れて理解することはできないかもしれません。このなかでは花田清輝の著作が比較的手に入りやすいでしょうか……。

 佐藤 講談社文芸文庫に入っていますね。花田は以前からとても好きな作家でしたが、白状すると、当初は自分が本当に花田を理解できているのか自信はゼロでした。『復興期の精神』はじめ、ものすごく面白い。けれど、一体なにを言っているのかさっぱりわからない。それでも、花田の思考のイメージが素晴らしいことはわかる。たとえば、花田は自己を流れとして捉えます。他の流れとの集合のなかで、絶えざる流動として自己差異化する。凍りついた死の内にさえやがて生まれ出る劇的な動きを予兆として見出していく。戦後の批評は「わたし」を前提にしましたが、それとはまったく違うところから出てきた思考のスタイルですね。読んでいくうち、あるとき、歯車がカチリとかみ合いまして、この特異な思考がどんな歴史の文脈に置かれていたのかがわかってくると、俄然花田が面白くなりました。まあ、長い時が必要でした……。

 ――五〇年代の批評家と言えば一般的には吉本隆明や江藤淳となりますが、この三人を選んでいるのが面白いですね。

 佐藤 熱心な読者は多いものの、基本的に冷戦のこちら側で経済成長しようという日本では、主流になる条件が決定的に欠如した三人だと思いますよ。逆に言えば、むしろ現在の水準でこそ、彼らの思考の運動が持つ意味がわかるのでは。異なるテーマを持っていた批評家三人を並べたときに見えてくる重複部分にこそ五〇年代という時代の突出した可能性が隠れていると言えるので、この組み合わせとなりました。他の評論家は、重複しない気がします。五〇年代は文学史で言うと第三の新人が登場する時期で、彼らについて論じる評論家は多々いましたが、それはあえて回避。平野謙らも近代文学史、批評史において重要ですが、前の本で扱ったこともありまして回避。いずれにせよ他の評論家の志向はこの三人が持っていた問題意識とは違う次元にいるように思えます。

記事掲載はここまで。続きは本紙でお楽しみください。
7月上「旬以降、全文掲載予定です。

「戦争の歴史」としての日本近代史

――戦後観の刷新こそ、いま求められている
評者:白井聡

 ■明治維新150周年の今年、日本近代史を総括しようという意図を持った著作が、次々に世に問われている。我田引水で恐縮だが、拙著『国体論――菊と星条旗』(集英社新書)もそのような試みのひとつだ。そして、福井紳一氏による『戦中史』もまた、一貫したパースペクティヴから「近代日本とは何であったか」という問いに対する答えを出そうとする意欲に満ちた仕事である。

 福井氏が本書で採用するパースペクティヴは、タイトルに表現されている。すなわち、近代日本150年全体を「戦中史」としてとらえるという姿勢が打ち出されている。この観点を基礎として、制度、経済、思想、アジア主義の四つの側面から、日本の近代史(主に戦前期)を本書は記述してゆく。あらためて考えてみれば、維新から1945年の第二次大戦終結までの日本史は、まさしく間断なき戦争の歴史であった。維新からわずか6年後の1874年には、近代日本政府として初めての対外的軍事活動である台湾出兵が行なわれ、その翌年には江華島事件が発生していることを福井氏は強調している。「戦前の時代の日本の戦争」といえば日清・日露そして15年戦争という三つの大きな戦争が真っ先に思い浮かぶが、その前後にも中小の軍事行動がほとんど休むことなく起こされていたわけであり、その意味で「戦前」の時代はつねに「戦中」であったのだった。

 そして、「戦後」。評者の考えでは、「戦後」という言葉は、日本人にとって二つの意味を有してきた。ひとつには、「第二次世界大戦以後の時代」という世界共通の意味である。だが、もうひとつには、これはほとんど無意識的な歴史意識であると言えようが、日本人は同時にこの言葉に「(少なくとも日本人にとって)あらゆる戦争の後の時代」という意味合いを感じ取ってきたのではないだろうか。それは、日本人にとってあの戦争が核兵器の使用という黙示録的な光景を現出させて終わったことが強く作用しているだろう。核兵器が使用可能となった以上、今後の戦争は即、人類の終焉を意味する、したがって先の大戦は「最終戦争」であり、もはや戦争は不可能である、という感覚がここに成立する。膨大な犠牲と引き換えにこの感覚を得た戦後日本は必然的に平和主義を国是として採用することとなるのであり、このことが戦後日本人の密かなナショナル・プライドを支えてきた。「私たちだけが、あの戦争の真の意味を理解しているのだ」、と。

 この「平和国家日本」の「被害者ナショナリズム」の虚妄を正面から撃つのが、戦後の時代をも「戦中史」としてとらえる本書の史観にほかならない。戦後日本が平和主義の外被の一方で、「朝鮮戦争・ベトナム戦争など、アジアにおける戦争に関与する中で急激な成長を遂げて」(9頁)きたという事実を直視することの必要性が強調される。何のことはない、戦後日本の平和主義とは、「戦争のある世界」からたっぷり利益を引き出しながら、自分たちだけが「戦争のない世界」へとすでに移行したかのように思い込むという御都合主義にすぎなかった。こうした戦後観は、いま話題の山本義隆氏による『近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書)が打ち出した、「戦後日本は、戦前の《近代化=軍事的強大化》という国家主義の図式を、敗戦を経ても《近代化=経済的強大化》という図式に再編して無自覚的に延命させてきた」とする戦後観にも通じている。

 このように、戦後観の刷新こそ、いま求められている。というのも、安倍政権下で軍事的なものの前景化(防衛予算の拡大、集団的自衛権の行使容認、武器輸出と軍事研究の解禁による日本版軍産複合体の活性化の策動、そして文民統制の破綻)は露骨に進行してきたが、批判者たちは、この虚妄と無自覚にとらわれている限り、有効な批判の陣地を構築し得ないからである。安倍政権やそれを支える財界の本音は、「日本は平和国家のはずだって? いえいえ、そんなのは元からただの見せかけですから」というものであるが、それは歴史的事実に照らして正しいだけに強烈である。

 こうした状況下で、福井氏の採る戦略は二正面作戦的なものとなる。一方では、戦後の平和主義の虚飾を脱ぎ捨てて本音に開き直る者たちと戦わなければならないが、他方で「戦後日本=平和国家」という戦後民主主義的常識に依拠することはできず、むしろこれを棄却しなければならない。

 そのとき、批判の立脚点として何が残りうるのか。本書がとりわけ焦点を当てるのは、橘樸や尾崎秀実らに代表される「左翼アジア主義」と福井氏が呼ぶ潮流である。彼らはそれぞれ、石原莞爾の東亜連盟、近衛文麿の新体制運動といった、後の戦後民主主義の価値観が「ファッショ化の一環」と断じた組織や運動に関わりつつ、「一五年戦争下の液状化する東アジア情勢の中にあって、アジアの連帯を構想することを通して、国家・民族を超える思想的な契機に肉薄した知識人」(435頁)であった。福井氏は、彼らの実践に、敵の懐に入り込みながら理想を見失わない抵抗の形態を見て取ろうとしている。福井氏の二正面作戦は橘樸や尾崎秀実の二正面作戦を受け継ぐものであり、そしてまたわれわれがいま採用することを迫られているものにほかならないのである。

 (政治学者)

絶望の中に希望を創出する努力

――美術教育の未来を考えることは、全ての人間の共通の課題
評者:宮田徹也

 ■今日、世界は破綻している。政治、経済、医療、科学、学問、宗教、哲学、芸術だけではなく、道徳や法律までも破綻しようとしている。何から破綻するのか。民主主義であろう。しかし本当に民主主義や近代が正しかったのかを問えば、答えは見つからない。人類は未曾有の危機に陥っているのか。悪夢の始まりなのか。

 それは、夢や希望を見出せない時代に突入したことを示す。無間地獄から抜け出せる日はやってくるのであろうか。人類は常に破滅の境地に立たされてきた。それでも生き延びてきた。どれだけ悲惨な状況に陥っても人間は希望を見出し、夢を携え、実現不可能と考えられても本来の人間の姿を回復する未来を切り拓かなければならない。

 法を前提にする教育の現場と、嘗てない世界を産み出そうとする美術の理念は、分類を前提とする近代の発想では相容れないものであったろう。ましてや教育も美術も破綻しかけている。このような状況の中で小松佳代子は哲学を援用し、新たな地平を見出そうと探求している。その成果の一端が、本書である。

 本書の第一部では小松が国内外の美術教育の歴史を検証し、美術教育で何を学ぶべきかを論考し、ABR=芸術的省察による研究という未知の学問の可能性を追究している。第二部では、ABRを実践したアーティスト達による論考が掲載されている。これは単なる学生の論文集ではない。未来を見出そうという意欲に満ち溢れている。

 小松の印象深い言葉を抜き出そう。敗戦後日本では「教育哲学と美学との間にまったく研究的な交流がなかった」(二二頁)。「現代アートの動向に目を背けて「眼と手の訓練」として成立した美術教育、あるいは創造美術運動に端を発する自己表現としての美術教育に固執するだけでは、現在危機に瀕している美術教育は生き残れないだろう」(三三頁)。

 「エビデンスに基づく研究が主流である学問の世界において、ABRが認められるのはまだまだ遠い道のりであるように思う」(七八頁)。「わかりあえないものを提示することで、鑑賞者がそこから思考を始めること、そして、提示した制作者自身もその中で思考を重ねること、それが芸術的省察なのではないか」(八一頁)。

 小松は不十分な研究を提示しているのではない。絶望の中に希望を創出しようと努力する。そして「美術教育は解放されなければならない」(一二二頁)と提案する。アーティスト達は自らの言葉を紡いでいった。

 橋本大輔は「リアリズム絵画」を言語学から分析する。「リアリズム絵画という「もの」への問いからリアリズム絵画という「こと」への問いへの転回」が重要であり「「芸術的省察による研究」とは、自らを過程の座とした語りを、体系をつくり変えるただ中で語ることであるとわたしは考えている」(一六四頁)。問い続ける現代美術の思想を前提とする。

 三好風太は、民俗学研究の態度を携えて作品と向き合う。「作品の部分と全体の把握を交互に行うという行為は、「まれびと」としての性質を備えた表現者が、世界を把握するときの態度と対応しており、それを支える「まれびと」的な視点は、「芸術的省察」における「質的知性」を構成する重要な要素となっている」(一九五頁)。視線を更新している。

 櫻井あすみは「基本的に科学は「交換」の領域にあり、芸術は「贈与」の領域にある。芸術は、科学が交換的なまなざしのもとに覆い隠してしまう、事物が本来有している交換不可能な贈与性を拾い上げる。だからこそ「芸術に基づく研究であるABR」(略)は、従来の社会科学的思考の問い直しになりうる」(二一二頁)とし、自らの制作を論述する。

 菊池匠はベンヤミンとマチスを比較し、オフモダンとしてのカバコフを研究し「歴史的事実が持つ深刻さの深浅とは一旦距離を置き、その時代、その場所で、その人が取り交わした「秘められた出会いの約束」(ベンヤミン)を果たそう努めることが重要なのだ」(二五〇頁)と結論付ける。「隔たり」をキーワードとし、歴史を往来している。

 齋藤功美はアドルノを援用し、作品を考察する。「〈芸術的知性〉がABRと通底するものであるということ、そしてその知性が既存の美術教育を通じて獲得可能であることは示せたのではないかと思う。ABRは従来の美術教育に代わるものとしてではなくその延長として位置づけられる」(二七四頁)。ABRに対する解釈は多様に存在することを示す。

 栗田絵利子は「探求」という主題をデューイから探っていく。「美術とは、大きな枠組みで捉えるべき人間の総合的な生の営みである」(二八一頁)と定義し、制作、展示会、研究といった循環を見つめ直し「学校教育に美術の探求活動を取り入れることで、美術による質的知性を多くの人と共有できる社会になることを祈っている」(三一〇頁)とする。

 美術教育の未来を考えることは、全ての人間の共通の課題でもあることが、ここに示されている。

 (京都嵯峨美術大学客員教授)