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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3355号(6月9日発売号掲載)

世の美しいことは、書かれない詩によって保たれている

インタビュー:金時鐘氏

 ■先ごろ金時鐘氏の『背中の地図 金時鐘詩集』(河出書房新社)が刊行された。東日本大震災と原発の破綻に向き合ってきた詩人の最新詩集である。また、これまでの詩とエッセイ、講演などを集成した『金時鐘コレクション』全一二巻(藤原書店)も刊行中だ。

 去る四月三日、済州島四・三事件から七〇年を迎えた現地での犠牲者追悼式に文在寅韓国大統領が出席し、島民を弾圧・虐殺した国家暴力の犠牲者と遺族に重ねて謝罪しながら、痛苦の歴史を直視し、憎悪と反目を乗り越えるよう訴えた。同月二七日には、一〇年半ぶりに板門店で南北首脳会談が行われ、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と文大統領が手に手をとって、南北の軍事境界線を越えた。

 朝鮮半島が動いている。他方で、歴史を直視せず、憎悪と反目を煽って動かぬ日本に私たちはいる。そのはざまで在日を生き、日本語と対峙し続けてきた詩人はいま、何を思うか。金時鐘氏に話をうかがった。(5月21日、奈良県生駒市にて。聞き手・菅原秀宣/米田綱路〔本紙編集〕)

 ■「在日を生きる」という命題

 ――二〇〇〇年四月、済州島四・三事件五二周年の講演会で金時鐘さんは、半世紀以上にわたる封印を解いて、四・三事件との関わりについて語り出されました。あれから一八年がたちます。

  今年はちょうど四・三事件から七〇年です。済州島で慰霊祭がありましたが、文在寅大統領が済州島に来られて、本当にいい挨拶をしました。これは私に詩として響きました。

 ――一九五〇年代に出された詩誌「ヂンダレ」を理由に、金時鐘さんは朝鮮総連から組織的批判を受けました。もしこの批判にさらされていなかったら、北朝鮮に帰還していたと書かれています。

  もう、いの一番に帰っていたはずです。それだけが夢でしたから。済州島で活動していたとき、日本から北朝鮮に行けるルートがあると聞いていましたので、姻戚や親族一人いないし東西南北も分からない日本に一人で来ました。日本から北に帰ることが、かろうじての夢だったね。結局私は、自分が詩をやったことで批判を食って、それで命を長らえることになった。

 「解放」の年の一〇月、父と母と私のわが一家は北朝鮮の元山に帰る三八度線近くの東豆川まで行きましたが、夜、川を渡る段になって米軍政庁に雇われた警察に捕まってしまって、着のみ着のままで済州島に戻ってきました。ですから私は、親父も越えられなかった南北分断の北緯三八度線を、日本で越えられると思ったものです。北緯三八度線は東へ伸ばせば、新潟市の北側を通っている。奇しくも朝鮮総連が音頭取りをした北朝鮮への帰国運動は、三八度線を越えることでもあった。ですから、帰国船に乗せてもらえなくても、本国で越えられなかった三八度線が、地政学的には越えられることになります。

 では、そこを越えて私はどこへ行くのか。どこにも行きようがなく、日本にいざるを得なくなる自分に突き当たるのです。気も狂わんばかりの組織制裁と批判を一〇年あまり受けてきましたが、どこにも行きようがないから、取り残された荷物のように日本にい続けねばならない。これが自分の生き方なのかと考えた。そして、「在日の実存を生きる」という命題に行き当たったのです。それでは長いので、「在日を生きる」と言い始めました。

 つまり在日同胞は、行き場がないから日本にいるのではない。日本という国で生きて、自分の国である南北対立の余波を日常不断に抱えている。一つの家の中で南と北、総連と民団の支持が親子や兄弟で違ったりもする。だからと言って、家族が嫌い合って四散して住むことはない。本国の対立を抱えながら、一つところを同じく生きてきたのです。冠婚葬祭も一緒に挙げなければならないしね。一つところを生きるということが、在日の最たる実存だと私は思っています。

 韓国の憲法の前文には反共がうたわれています。だから、北朝鮮と関わったと目されたら死刑になる。同じように北でも、韓国と通じ合っていると見なされれば強制収容所か、ある日突然いなくなるような状況です。そういう対立激化の中で、それでも在日同胞は一つところを生きてきたのです。

 これを目的意識化できれば、在日同胞は想像以上のインパクトを持つ存在です。南と北を同視野に収め得る立地条件を生きていますから、北朝鮮や韓国の軍事政権下の国民が知らないことを、私たちは日本国民と同じように先に知ることができる。

 ともあれ、日本は開かれた大国です。在日同胞は無権利状態を延々と強いられた存在体、生活体ですし、いまでも基本的には労働権が保障されていません。人間は労働権を保障されていないと、実際は生きようがないのです。一九八〇年代、九〇年代と比べて、いまは日本の人権意識が目に見えて改善され、高まってきたとはいえ、在日朝鮮人が一流会社に入ることはいまもってない。

 それに日本は、在日同胞が根を張って暮らしていけるほどの基盤などない、かつての植民地宗主国であった国です。自分たちどうしで白い毛根を岩盤に絡ませ合って生きているような生活実態です。こそぎ合って暮らしながらでも、根を絡ませ合っている。その実存を同一視野の展望に据えることが、在日同胞の能動的な存在性の意味なのです。

 実際、在日同胞の果たしている食生活の影響はとてつもなく大きい。日本人は意識しないでしょうが、キムチも食べるし、焼肉も日本の隅々まで広がっている。あの味は在日の文化で、猪飼野から始まって本国にまで広まっていっているものです。文化というと、とかく何か華やいだものと受けとりがちですが、きわめて独自的なものです。

 在日の先代たちは、低賃金労働者としてたくさん日本に流れてきた。強制徴用で連れてこられたまま居着きもした。心ならずも日本に来たことがしこりになって、誰彼となく望郷の念に駆られていた。ですから食べ物も国にいたときの食事のままで、生活のしきたりも地方色が濃いですが、金科玉条のごとく守ってきたものです。

 私は一九八八年に日本の高校教師を辞めましたが、その頃までも朝鮮人を悪しざまに言うセリフが「チョーセンニンニク臭い」でした。だから近寄るな、あっちへ行けと言われていた。ですが、我が先代たちが日本人から忌み嫌われていたからといって、キムチを食べるのを止めて日本の御新香を食べていたとすれば、日本人がキムチを口にするのはまだ何十年も先だったかもしれません。

 ホルモンもそうですね。戦時中は牛豚の内臓の大方は手余し物でした。糞尿の臭いがきつ過ぎて、被差別部落の人もごく少量しか食べきれなかった。でも朝鮮人は騎馬民族の末裔だけあって、調理の仕方を知っていて、メリケン粉か蕎麦粉で内臓を洗うことで、臭いをきれいに抜いたのです。私が民戦(朝鮮総連の前身)の活動をしていたとき、ホルモンは金盥一杯二〇〇円で買えた。猪飼野の本通りに陣取って、焼いて食べたものです。活動家もそれで命をつないだ。戦時中も飯場の朝鮮人だけはホルモンを食べて、栄養が足りていたのです。

 ですから、在日同胞がそういう独自的な生活に執着したことで、食文化はすでに朝鮮人固有のものではなくなって、日本人の食文化にもなったわけです。

 北九州の明太子も朝鮮人固有の食べ物だったのです。特に私の親父の出身地の元山や清津辺りは明太子の出荷地ですが、それが行き着いて北九州の食文化になった。

 文化のいいところは、行き着いた場所でいちばん成熟することです。文化は非常に独自的なものであるからこそ、それに出会った人たちは豊かになる。行き着いた先で実りが大きくなるのが文化なのです。

 だから朝鮮人蔑視は、文化の否定につながります。一定量の人たちが一つところで世代を二代も三代もつなぐと、そこには生活文化が出来上がっている。それが在日朝鮮人の独自性であり、在日を生きることの担保なのです。私はそう考えてここ四、五〇年、在日を生きると言い続け、書いてもきたのです。

記事掲載はここまで。続きは本紙でお楽しみください。
7月上旬以降、全文掲載予定です。

ヴィクトリア朝精神史の表層と深層を同時に追究

――吸血鬼ドラキュラと切り裂きジャックを壮大に組み合わせた「コンセンサス・ワールド」
評者:岡和田晃

 ■ユニヴァーサル・スタジオやハマー・フィルムの古典的なホラー映画を例に出すまでもなく、私たちの想像力は、おびただしい怪物に囲繞されている。ドラキュラ伯爵のように民話やゴシック小説の系譜に連なる怪物もいれば、切り裂きジャックのように実際の事件がマスメディアによって喧伝された結果、生まれた例もある。ああ、おぞましくも蠱惑的な怪物ども! 彼らは大衆にスペクタクルを与える寓意的な存在として、さかんに批評の対象ともされてきた。事実、近代の吸血鬼小説の元祖たるブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(一八九七)は、英文学研究に限っても、精神分析、ジェンダー、ポストコロニアリズムといった批評理論から精緻な解釈が施されている。

 一方で、切り裂きジャックの内実は、まだまだ未解明だ。研究の多くは些末な部分に拘泥するあまり、陰謀論に傾斜してしまう。顔のない殺人者は底辺を生きた五人の娼婦を惨殺し、臓腑を持ち去った。そうかと思えば、犯行声明を新聞社に送りつけて世論を煽り……唐突に姿を消して事件は迷宮入りしてしまった。犯人の決定的証拠がないからだ。

 二十世紀を代表する怪奇幻想文学の書き手H・P・ラヴクラフトに十代の頃から師事し、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『サイコ』(一九六〇)の原作者としても知られる作家のロバート・ブロックは、長きにわたりこのテーマに憑かれてきた。同年発表の短編小説「未来を抹殺した男」でブロックは、切り裂きジャックが殺したのは、うわべだけ紳士的に取り繕ったヴィクトリア朝イングランドそのもの、つまり虚飾に満ちたヒューマニズムや倫理そのものなのだと作中人物に語らせている。時代精神を殺した存在、それこそが切り裂きジャックの本質なのだと、ブロックは喝破していたわけだ。

 本書『ドラキュラ紀元一八八八』の著者キム・ニューマンは、ブロックが初めてこのテーマに挑んだ「切り裂きジャックはあなたの友」(一九四三)の続編「レッド・ジャックス・ワイルド」(二〇一五)を書いている。本書の刊行にあわせ、邦訳は「ナイトランド・クォータリー」誌のVol.13に掲載された。同作でジャックは、一九〇九年には黒人の子どもを殺し、一九三三年には流れ者の出稼ぎ労働者を殺し、一九五〇年代には字義通りの「赤狩り」として共産党員を殺した存在だと自らを語っている。負の情念を背負ったジャックというあり方は、ブロックのそれを継承したものであるが、同時に『ドラキュラ紀元一八八八』の基調にもなっている。

 原著は一九九二年に刊行されたが、異様な迫力に満ちている。ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』を中心に置き、以前・以後に発表された無数の吸血鬼小説や映画の登場人物が綴れ織りのように重なり合い、ヴィクトリア朝ロンドンの政治・文化・社会のすべてを大胆に書き換えてしまっているのだ。一九八〇年代を代表する文学運動「サイバーパンク」の旗手と理論家による競作『ディファレンス・エンジン』(一九九〇)を彷彿させる方法なのだが、同書を著したウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングの重点的な関心が「もう一つの産業革命」といった技術的な側面にあったのに比して、キム・ニューマンはヴィクトリア朝という時代そのものを、お高くとまったリアリズムでは到底なしえないやり方で表現するのに重点を置いている。俗悪をきわめることで、その底を抜いてしまおうというのだ。つまりニューマンは、精神史の表層と深層の両方に関心があり、それを同時に追究しようとしている。

 本書の姉妹編にあたるのが、『ベルベットビースト』(一九九一)。『ドラキュラ紀元一八八八』と同じく、六百六十年を超えて生きる、吸血鬼の少女ジュヌヴィエーヴが登場する。同作はミニチュアゲームやロールプレイングゲームなど多角的なメディア展開を見せる《ウォーハンマー》のノベライズとして紡がれているが、舞台となっている神聖ローマ帝国をモデルにした国エンパイアの首都アルトドルフの描写には、明らかにヴィクトリア朝ロンドンが投影されている。時代のズレによる異化を前提に、切り裂きジャックを模した連続殺人事件が起きる。このモチーフは『ドラキュラ紀元一八八八』においては、銀のナイフを用いて吸血鬼の娼婦ばかりを殺して回る殺人鬼、という変化球の設定へと昇華されている。

 偽史的な切り裂きジャック研究をも飲み込みながら、ロンドンを神話的に再解釈するという点で本書は、一九八九年に連載が始まったアラン・ムーア原作のグラフィック・ノベル『フロム・ヘル』とも共鳴する。同じくムーアが原作を書いた、ミナ・ハーカーら世界文学の登場人物が一堂に会して冒険を繰り広げるグラフィック・ノベル『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』(単行本一九九九)ともども、『ドラキュラ紀元一八八八』と相互に応答関係をなしているとみてよいだろう。

 なお、本作は《ドラキュラ紀元》としてシリーズ化されていて、現在、ニューマンは「日本サイバーパンク」を謳った第六部を書いているそうだ。それだけではなく、『ベルベットビースト』のように既存のジャンルを超えて物語が合一する「コンセンサス・ワールド」として、ジュヌヴィエーヴが登場するProfessor Moriarty(二〇一一)といった作品も発表されている。《シャーロック・ホームズ》にラヴクラフトらのクトゥルー神話をブレンドしボードゲーム化もされた、ニール・ゲイマンの「翠色の習作」(二〇〇三)とも照応するだろう。この流れに、近年の日本SF最大の話題作の一つであった、伊藤計劃+円城塔『屍者の帝国』(二〇一二)を位置づけることは自然であり、事実、「ナイトランド・クォータリー」Vol.13のインタビューでニューマンは同作への関心を表明している。本書の旧訳は長らく絶版が続いていたが、「もうひとつの結末」、映画シナリオの草稿、関連短編など、重要資料が付されたうえで、このように再刊と相成った。そこではなんと、ドラキュラその人が切り裂きジャックだったらという思考実験までもが展開されている。

 (文芸評論家・ゲームデザイナー)

〈死生観〉への真摯な論及

――『ねじ式』という作品に普遍性があるのはなぜか久保隆
評者:宮田徹也

 ■一九六八年という〈場所〉から、五十年という〈時間〉を刻んだことになる。十年刻みでメモリアルな想いを込めることに、わたしの感性は動かないし、わたしにとって、六七年も六九年も同じように地続きな時間としてあるから、六八年だけを特化して捉え返すということはしたくないと思っている。つまり、全国的な学園闘争が惹起したことや新宿を中心とした国際反戦デー闘争、あるいは三億円事件を、六八年を象徴するものとして見做すことはしないということをいいたいだけなのだ。後年、〈六八年革命〉などという大仰な捉え方をすることに、わたしは明確に否といいたい。わたしにとって、最も大きな事件は、吉本隆明の『共同幻想論』(十一月下旬刊)を読んだことだ。もうひとつ、付け加えるなら、つげ義春の『ねじ式』(『ガロ』六月増刊号)が発表されたことになるのだが、つげ作品から受けた衝撃度としては、高校生の時にリアルタイムで読んだ『沼』(『同前』六六年二月号)の方が大きかったし、『ねじ式』の直ぐ後に発表された『ゲンセンカン主人』(『同前』七月号)も『ねじ式』と同等の評価をされるべき作品だと思っている。

 本書の著者は、わたしより七歳ほど年少で、「『ねじ式』を初めて読んだのは19歳の時、1975年」だったという。七五年といえば、作品集『夢の散歩』(北冬書房)が刊行された時ということになる。わたしが本書に対して率直に感受できたのは、『ねじ式』をテクストとして、著者の思考の根拠を全篇にわたって透徹させていると思ったからだ。『ねじ式』論であるとともに、著者による思想論であるということに、わたしの心性は大いに刺激されたといっていい。

 もちろん、『ねじ式』の解読、つまり、〈ヒミツ〉の解析は、十人の読者がいれば、十通りのアプローチがあって当然だと思うし、どれが正解などというのは、まったく埒外にあるといっていい。著者の視線を、わたしなりに収斂させて述べるならば、〈死生観〉への真摯な論及ということになる。

 「『ねじ式』の冒頭のコマ絵は、死と重苦しい敗戦・占領の雰囲気に満ちている。それでは全面的にマイナスのイメージに覆われているかというと必ずしもそうではないと思われる。それはページの下半分に『海』が描かれているからである。あたかも海の彼方から到来してくるように主人公が、つまりつげ自身がこの漫画に登場してくるからである。戦火に傷ついた《マレビト》のように痛めた左腕を押さえて彼が到来してくるからである。」「『ねじ式』の本筋は、《日本人の死生観の変容》であり、(略)《その死生観の劣化》である。(略)お手軽な死生観(生き方死に方)に、彼は本気で強い違和感を底流では表明している。」

 このように述べていく著者の鮮鋭な『ねじ式』論に敬意を表しながらも、一九六八年時、十八歳(誕生月は十一月)で、『ねじ式』に接した立場から、少しだけ異和を述べておきたい。わたしもまた、冒頭の飛行機にベトナム戦争の〈影〉を見たのは確かだが、だからといって著者が「つげ義春にもこうした米国のアジアのベトナム戦争軍事介入に対する《義憤》があり、それに基づく反米感情があったと感じる。それがこの1968年に創作された『ねじ式』にも底流に流れていると強く感じる」と述べていくことには首肯できないといっておきたい。表現者つげ義春にとって《義憤》や「反米感情」は、最も遠い感性だと思うからだ。だからこそ、『ねじ式』という作品に普遍性があるのだ。著者が、作品から反戦、反米といったことを感受することは否定しない。だが、作者がどういう意図を持って表現したかは別問題であり、作者の感性の深層まで切開していかなくても、作品論は成立するものだといえるはずだ。

 スパナ男は、木村伊兵衛が撮ったアイヌの教育者・言語学者の知里高央を引用したものだという論及から、アイヌの「他界と現世を往還する」死生観に着目していくのは見事だと思う。そして、次のように導いていく著者の論旨は、あらたな『ねじ式』論の達成を象徴しているといっていい。

 「生死が連続する循環的な死生観、私たち日本人の本来の死生観においては死と生は通路でつながっており、再生の回路が確固としてあるという意味なのである。そこを《ニライ・カナイ》と呼ぼうが、《根の国》《常世の国》、あるいは《アフンルパルの他界》と呼ぼうが、どう呼んでもいいと思うが、私たち日本人の魂の根源の国は、再生のない死穢の黄泉の国ではなく、命の再生がある点が最大の特徴の聖所だということである。つげはそうした意味で『それほど死をおそれることもなかったんだな』と言っている。」

 わたしもまた、つげ義春という表現者の作品には、絶えず、「死」というものの陰影が潜在していると見做してきた。『ねじ式』は、確かに死と生が往還する物語と捉えることを可能にしていると思う。それは死を救済することによって、生を根源化して表出することを意味するからだ。

(評論家)