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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3360号(7月12日発売号掲載)

北朝鮮の普通の暮らしを撮る

――「日本は蚊帳の外」を自覚し、路線転換をせよ
対談:初沢亜利×蓮池透

 ■初沢亜利氏の写真集『隣人、それから。――38度線の北』(徳間書店)が刊行された。さる6月12日、「歴史的」な米朝首脳会談が行われたが、はてさて、「美しい国」は……。本写真集をめぐり、初沢氏と、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)元副代表で、拉致被害者の蓮池薫氏の兄、蓮池透氏に対談していただいた。(対談日・6月7日、東京・高田馬場にて。須藤巧・本紙編集)

 ■平壌の変化は嘘ではない

 蓮池 平壌の写真ばかりでは、北朝鮮の本当の姿は見えないんだと、よくいわれます。今回の写真集『隣人、それから。――38度線の北』には、田舎の山間部の写真なども入っています。それで思い出したのは、終戦前後に北朝鮮で亡くなった日本人の遺骨問題です。本来であれば遺骨は外務省や厚労省が収容すべきなのですが、それがかなわないので、民間で組織をつくり、ボランティアで、故人を弔うための遺族の訪朝をサポートしていました。二〇一四年のストックホルム合意の前ですが、そのときの訪朝にはプレスも同行していました。田舎のほうに行ったとき、テレビは相当に制限をかけられていたそうですが、遺族がお線香をあげているところなどはちょっと撮るだけで、日本でテレビ放映されたのは「北朝鮮の地方へ初潜入!」とか、あるいは木のない山肌を放送して喜んでいる。ひどいなと思って、「便乗報道しないでくださいよ」と言った覚えがあります。メディアは興味本位なんでしょうけど、初沢さんはあえてそういった場所に入り、興味本位でなく写真を撮る。

 初沢さんは北朝鮮側の中国との国境の街、新義州に行かれたということですね。「(新)義州」というキーワードで、「これは、横田めぐみさんが行ったことのある病院があるところだ」と思いました。弟(蓮池薫氏)たちが、めぐみさんがその病院に行くのを見送ったと言っていたんです。また、その移動のための車の運転手からも後でその話を聞いたとのことでした。当時、調査団が日本から何度も行っていたので、義州の病院に調査に行ってくれと要請したのです。北朝鮮側の発表では、めぐみさんは平壌の病院で自殺をしたことになっています。だからなのか、義州というキーワードをこちらが出したときに、すごい言い訳をしていました。最初は義州の病院に行く予定だったが、当日になって平壌の病院に急遽変更したんだと。「だからめぐみさんが義州に行ったと思っている人もいるのかもしれない」といった感じです。北朝鮮側が平壌だと言っている以上、それが覆されるのは困るというわけでしょう。とにかく、その中朝国境の病院まで、日本の調査団が行かないんですよ。そうしているうちに、めぐみさんのものとされる遺骨を北朝鮮側が出してきたので(二〇〇四年)、それどころではなくなってしまったと。ストックホルム合意の際の再調査でも、義州というキーワードが出てこなかったんです。

 初沢 ぼくは北朝鮮に七回行っているのですが、たまにネットで「一人くらい拉致被害者を見つけてこられないのか」などと書かれたりします。

 蓮池 そうなんですか。それは政府の役割です。

 初沢 新義州の街にぼくは降り立ったことはないのですが、何度も通過しています。貿易都市で、平壌に次いで栄えているので、地方であるにもかかわらず真新しいタクシーを見かけました(P92)。またこういうことを言うと、「そのタクシーは初沢さんが通過するのにあわせて置いておいたんだ」などと言われてしまいそうですが、それなら隣のP93の男性には、ぼくが通過するのにあわせて田んぼの真ん中で歯を磨かせたのでしょうか。

 テレビカメラの話ですが、彼らがかなり制限されているのは当然のことなのです。遺骨の収集、墓参の取材だけが目的で入国審査が下りているからです。例えばサッカー日朝戦の取材の場合では、平壌市内のサッカー場で、サッカーの取材だけをしてくださいと言われます。当然、カメラマンや同行したスタッフの側からしたら、それ以外に何でも撮ってやろうという話になる。だから移動中の車内からはげ山を撮り、帰国後に「初潜入」と銘打って喜々として映像を垂れ流す。ぼくの場合は「隣人」というタイトルとコンセプトの写真集制作が目的であり、地方の街並みを撮ることも、一定程度許されることになる。

 北朝鮮を訪れるごとに、ついてくださる案内人への感謝の念が深まっています。「ショーウィンドーと呼ばれる平壌だけを撮り日本で写真集をつくっても、プロパガンダだと批判されるでしょう。貧しい地方の写真も多少はないと厳しいでしょうね」と、案内人がむしろこちらのことを心配してくれるのです。地方出身者だというその案内人は、「我が国の地方は依然として厳しい、しかしみんな懸命に生きているんです。それをそのまま伝えてくれれば何の問題もないと思うんです。しかしお願いですから、貧しい写真を撮って、そこに悪意を込めた体制批判、最高指導者を批判するキャプションをつけないでください。なぜならわれわれが傷つくから」と言っていました。ぼくはそれを彼の本心だと受け止めています。本書の写真にキャプションを載せていないのは、そういう理由もあるのです。彼ら案内人は、本来撮らせていいものよりもっと、ぼくに撮らせてくれようとします。リスクを背負っている彼らとの信頼関係は何より大切です。もしぼくが彼らを裏切ると、彼らの仕事の減点になるだけではなく、彼ら自身が危険な目に遭う可能性もある。彼らがぼくを信用し、少しずつでも撮らせる意志自体が命がけだ、と思うと、苦しい思いがします。こちらがフリーランスだから信用してもらえる面もあるんです。テレビ局や新聞社の人間だと、現地で案内人と信頼を築いても、帰国後に伝え方に関して上司からダメ出しされ、「初潜入!」だとか、悪意全開の番組や記事がつくられてしまう。現場での友好関係とつくられた番組や記事とのギャップから、彼らは長年傷ついてきたわけです。「怒る」とかではなく、「傷つく」という言葉を彼らは使うんですね。もちろんぼくもどこでも自由に撮れるわけではありません。口論になることもあります。しかし、先方にも事情があるわけです。日本の常識で文句を言っても通りません。辛抱強く関係を積み重ね一歩一歩扉を開いていくしかない。撮影も外交もその点では同じではないかと思います。こちらの感情をぶつけるだけでは信頼は生まれず、一歩も前進しません。

 前回の『隣人。』は二〇一二年に出版しました。二〇〇二年から一〇年後のタイミングでしたが、日本人に伝えるメッセージとしては一応完結しました。当時は核ミサイルの開発途上で、完成する前にストップさせるべきだ、と考えました。拉致問題の解決には対話以外に道はないと一貫して感じていました。対話をするためにはまず相手を国家として認める必要があり、国民がその国を知る必要があると確信していました。写真集の後書きに伝えるべきことは書き、次のテーマに移行しました。二〇一三年後半から沖縄に移住し、二〇一五年の夏に写真集『沖縄のことを教えてください』を刊行しました。ところが東京に帰ってきて、金正恩政権が安定期に入った二〇一三年頃から平壌が急速に変化してきたと聞き、どうしても自分の目で確かめたくなりました。前回の『隣人。』のときは、日本人から見て「違和感」を感じる部分は既にメディアで流れていましたが、一方で北朝鮮の人々の暮らしのなかに「共感」できる部分もあるのではないか。つまり「違和感よりも共感を」という意思がありましたが、今回はこちらの心境にも変化が生じました。五年振りの街並みや人々の表情の変化に純粋に驚き、シャッターを切っていました。

 平壌の変化は嘘ではありません。経済制裁に充分な効果がないこと、自律的な循環型経済がまわり始めたこと、そして核開発を進めることで通常兵器を買い替える必要がなくなり、その分の資金を経済建設に使えるようになったことなどがその理由だと分析されています。タクシーの台数は明らかに増えましたし、デパートに行けば国産の洋服がやたら増えている。品質のいい国産のストッキングも出てきています。新商品の開発には相当なエネルギーと開発費がいりますよね。この変化は何だろうと思います。われわれは、北朝鮮には経済制裁がきいていてほしいという願望を投げかけてきましたが、彼らは独自の体制のなかで、独自の方法で経済発展を開始してしまった。その事実を受けとめる必要はあります。

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会話の妙を楽しむ

――どれも上演すれば五分から十五分程度の短編戯曲集
評者:水谷八也

 ■クレイグ・ポスピシルの作品は二〇一五年に『ショート・ストーリー・セレクト4』という企画の中で三編の短編戯曲が翻訳上演された(その時の翻訳は演出も兼ねたTori)が、日本ではほとんど知られていないアメリカの劇作家である。そのポスピシルの短編戯曲集『人生は短い/月日はめぐる』(月城典子訳)が出版された。「人生は短い」に八編、「月日はめぐる」には十二編の短編が収められており、どれも上演すれば五分から十五分程度のものだ。「人生は短い」の何編かをのぞいてみよう。

 「階級闘争」は小学校に初登校した六歳の二人の子供の会話。メーガンは弁護士を目指すエリート意識の高い女の子で、育ちも良い。一方ビリーはどこにでもいる幼さが前面に出た男の子で、メーガンの将来に対する妙に具体的な展望と無邪気なビリーのちぐはぐな会話が大人の俳優によって演じられることで面白さが増す。「結婚二重奏」は結婚式前の更衣室でウェディングドレスに身を包んだデボラと、彼女の不安や不満を語る鏡に映る彼女の分身との対話を中心に、その心中など少しも察することのない両親の言葉にイラつきながらも、なんとか自分を抑え、式場に向かおうとするデボラの姿が描かれる。

 「ママと呼ばないで」は出産した赤ん坊を不良品であるかのように返品したいと病院にクレームをつける夫婦と病院側の予想外の対応を描くナンセンス・ブラック・コメディ。「母の愛」は子供の保護に関するメリッサの一人語りだが、良俗に触れる単語が出るたびに、D―R―U―Gのようにスペルアウトし、次第にその単語の数が増えていく語りの面白さを見せたダーク・コメディ。「最後の十二月」は寒い冬の夜のある老夫婦の会話だが、ラストシーンでの心温まる状況に思わず笑みがこぼれる。

 また「月日はめぐる」の十二編は、それぞれが一月から十二月というタイトルがつけられているが、連作というわけではない。しかし登場人物は四組の夫婦やカップルとその兄弟、友人に限られており、一作品に登場するのは多くても四人で、全員が同時に登場することはないため、月が進むにつれ、彼らの緩やかな関係がほのかに見えてくる仕掛けになっている。大晦日のカウントダウン・パーティから始まり、ハイスクールの卒業式のスピーチ(五月)、結婚式直前の更衣室(六月)を経て、十二月のクリスマスまでの各月を通して語られるのは失敗した結婚と新たな出会い、結婚準備に追われるカップルのギクシャクした関係、新婚生活のあれこれ、HIV+の友人(ある登場人物にとっては兄)の死、老夫婦と独立した子供たちとの関係など、ニューヨーカーのライフスタイルと人生の岐路、苦悩、そして喜びが短い会話からにじみ出る。

 ポスピシルは多幕劇も書いているが、彼の本領はここで紹介したような短い戯曲にあるようだ。演劇・劇場文化が日本とは比べ物にならないほどすそ野が広く、地域社会の底にまで組み込まれているアメリカでは毎年各地のコニュニティー・シアターが「十分間劇」のフェスティバルやコンテストを催している。またそのような短編だけを集めた戯曲集も毎年出版されているのはアマチュアでも取り組みやすいためだろう。ポスピシルはその分野では常連のようだ。ワン・シチュエーションで物語の展開の面白さよりは、その状況での会話の妙を楽しめるこのような短編劇はアマチュアだけではなく、プロの俳優を目指す者にとっては格好の基礎訓練の素材となる。

 先に紹介した「人生は短い」の中の六編はいずれもニューヨークのネイバーフッド・プレイハウス(演劇学校)のワークショップで初演されている。サンフォード・マイズナーが長年「リアル」を演技に求め続けてきた学校でのワークショップなら、その会話はリアルであるはずだ。ここで日本の翻訳劇の「リアル」について考えざるを得ない。

 翻訳劇の日本語は長らく「翻訳調」と言われるものが大半で、その文体は少なからず俳優の演技にも影響を及ぼしてきた。しかし、そのような流れに変化が出始めるのは、日本の現代演劇の演技スタイルの変化に負うところが大きかったのではないだろうか。端的に言えば、平田オリザの現代口語演劇から初期の岡田利規の戯曲は、日本語口語表現の「リアル」の一つの極北を示したと言ってもいい。それ以後の日本の現代演劇の言葉は彼らが示した(している)「リアル」が基準になっているように思う。その日本の現代演劇の文体の変化は確実に翻訳劇にも影響を与えているし、逆に戯曲の翻訳者は影響を受けるべきであると評者は考えている。

 このような観点からすると、今回の翻訳は、会話の妙が要であるポスピシルの作品の翻訳としては、少々「翻訳調」が目立つような気がする。それは上演の際、稽古場で演出家、俳優、スタッフと共に翻訳家が様々な試行錯誤を経て解決すべき問題であると思う、豊かな上演のために。

 (早稲田大学文化構想学部・文芸ジャーナリズム論系教授)

神の光に映し出された珠玉の世界

――実に示唆に富む解釈が打ち出されている
評者:小池寿子

 本書は、「北方近世美術叢書」の最終巻をなす。全三巻では、15世紀から17世紀のネーデルラント(低地地方)、すなわち今日のベルギーとオランダを包含する地域の美術について尖鋭的な論考が集約されており、総じて、北方美術に初めて接する読者にも専門家にとっても、きわめて魅力的で刺激的なシリーズとなっている。

 私たちは、イタリア・ルネサンスというとレオナルドやラファエロ、ミケランジェロなどなじみのある芸術家を思い浮かべるであろう。しかし、同時代の北方(アルプス以北)の美術については、どれほど知っているだろうか。ネーデルラント美術については、昨今、ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルの作品の来日が続いたため人気が高まり、17世紀オランダの巨匠レンブラント、とくにフェルメールについては日本にも多くのファンがいる。とはいえ15世紀、16世紀、17世紀へと展開していったネーデルラント美術の全容については、その歴史の複雑さもあいまって、いまだ、周知されていない。フランス、神聖ローマ帝国、スペイン、イギリス、北欧などの国々との関係性の中で熟成されたネーデルラントの社会と文化は、錯綜した歴史と混迷の宗教事情を背景にしつつも類まれな光彩を放っていたのである。そこでは、中世の宗教画から近代市民階級の美術への緩やかな移行が促されていたと言ってよいであろう。

 まず15世紀において、今日のベルギーとオランダの一部は、フランス・ヴァロワ王家の末子により築かれたブルゴーニュ公国の支配下にあった。毛織物産業の興隆のもと、ブルッヘ(ブリュージュ)やブリュッセル、ヘント(ゲント)では、ヨーロッパに追随なきほどの富と権力、経済力を蓄えて、当時の最先端の文化を謳歌していた。宗教画をもっぱらとするこの初期ネーデルラント美術は、15世紀前半を担ったヤン・ファン・エイク、ロベール・カンパン、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンに始まり、15世紀後半の第二世代を率いたハンス・メムリンクらの旺盛な活動を経て、15世紀末期には奇想の画家ヒエロニムス・ボスを産み出すに至る。ついで16世紀前半の過渡期を担う画家たちの関心は、古典古代と人文主義を理念にもつイタリアへと向かい、アルプス南北と神聖ローマ帝国都市プラハなどとの広範な交流の中で、国際マニエリスム様式を展開していった。一方、土着的な自然観察眼を失うことなく次世代の方向性を規定していった巨星ピーテル・ブリューゲルを育みながらも、1566年の聖像破壊運動の荒波、そして新教の旗手となったオランダ独立への激動の16世紀後半を経て、17世紀には市民社会を築き上げたオランダの黄金時代へと向かうのであった。

 本書では、「コぺルニクス的転回」を遂げたこの時代に豊かな個性を発現した画家たちがつぎのように取り上げられている。第1章「《ヘント祭壇画》が映しだす救済の世界」(木川弘美)、第2章「ヤン・ファン・エイク《ロランの聖母子》と都市描写の伝統」(今井澄子)、第3章「ハンス・メムリンク《聖ヨハネの祭壇画》のメッセージ」(今井澄子)、第4章「聖アントニウスを囲む魔術師たち――ヒエロニムス・ボス《聖アントニウスの誘惑》を読みとく」(木川弘美)、第5章「ピーテル・ブリューゲルのウィーンの《バベルの塔》を詳察する」(森洋子)、第6章「〈五感のアレゴリー〉――ヤン・ブリューゲル(父)とピーテル・パウル・ルーベンスの華麗なる共作」(廣川暁生)。タイトルが示すごとく、代表的な画家たちの主要な作品を詳細に解読し、実に示唆に富む解釈が打ち出されている。

 順に各章を追うと、難解な大作《ヘント祭壇画》について伝統的な万聖節図との関係から導き出される再解釈、《ロランの聖母子》後景に広がる景観をはじめとした当時の絵画に描かれた実景と都市アイデンティティーの視覚化の問題、《聖ヨハネ祭壇画》を精緻に読み解くことによって導き出される信心と救済の実践とイメージの関係、「机」に着目しつつ解読される《聖アントニウスの誘惑》を彩る悪魔イメージと魔術の関係および信仰と救済の問題、《バベルの塔》に込められた当時の建築技術の粋とブリューゲルの驚異的観察眼とその百科全書的知識、そして〈五感のアレゴリー〉に託された伝統的な道徳教訓と人文主義の融合および統治者の理想的政治理念とコレクターとしての矜持といった内容である。各章には、ネーデルラント美術研究の重要なテーマが盛り込まれているのみならず、新知見が提示され、読者は、詳細な解読と絵画作品の細部描写の誘惑に引きこまれてゆくことは疑いない。

 ちなみに、本叢書I『ネーデルラント美術の魅力――ヤン・ファン・エイクからフェルメールへ』(2015年)では、ファン・エイク、メムリンク、ボス、ブリューゲル、フェルメールらの作品が7名の著者によって分析されているが、日本では一般にあまり知られていない16世紀のロマニスト(ローマを目指し手本とした画家)の先駆者ヤン・ホッサールトの《聖母を素描する聖ルカ》、追随するヘンドリック・ホルティウスの《ダナエ》が取り上げらているのは特筆に値する。また叢書Ⅱ『ネーデルラント美術の光輝――ロベール・カンパンから、レンブラント、そしてヘリット・ダウへ』(2017年)では、5名の著者によって、15世紀以降の系譜を17世紀の巨星レンブラントへと収斂する形で纏め上げられており、改めてネーデルラント美術を貫く大きな流れを見て取ることができる。

 近年のネーデルラント美術研究は、図像解釈学やパトロネージの問題はもとより、当時の神学書および信仰の書の解読によって導き出される信心とその実践との関係、また都市景観図と都市アイデンティティーのイメージ化の問題など、宗教思想・文学・歴史・都市史など領域横断的な研究へと広がりを見せている。その広がりこそが同地方の特殊性と緊密に結びついた美術の特質であり、何よりそれは、驚嘆すべき細部(ディテール)に見て取ることができる。神の光を受けて多様に輝く自然と人間への親密な眼差しに貫かれたネーデルラント美術の世界。神と人をつなぐそのディテールに見入ることこそ、ネーデルラント美術の魅力であることを、本シリーズは雄弁に物語っている。

 (國學院大學文学部教授・西洋美術史)