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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3365号(8月25日発売号掲載)

この廃墟のなかで

――日本の政治的・文化的現実を深く理解したい人にとって必読の文献
対談:白井聡×大澤真幸

 ■『永続敗戦論』の著者、白井聡さんの『国体論――菊と星条旗』(集英社新書)が売れ続けている。なぜ「国体」というタームを持ち出すのか。そして何がそこから見えてくるのか。本書をめぐり、白井さんと、社会学者の大澤真幸さんに対談していただいた。(対談日・6月20日、東京・高田馬場にて〔須藤巧・本紙編集〕)

 ■『国体論』は大言壮語や誇張ではない

 大澤 いちいち納得しながら読みました。私の図式を時折使っていただきながら、しかし私が考えていなかったことまで考えてくれている。不思議な感じがしました。自分の書いたことが引用され、応用されていると、大体は自分の守備範囲の内側で事が起きる。「もうちょっと俺のほうが可能性がある」とか思うのですが(笑)、今回はまったく逆でした。戦後の歴史を「国体」という概念で見ていく。あるいは「天皇の国民」「天皇なき国民」「国民の天皇」という転換は、北一輝などから推測できることですが、この「天皇」の部分をアメリカに置き換えるとそのまま戦後の話になっていくんだと。鋭い洞察です。

 白井さんは、国体=アメリカという着眼点で、日本の現状の情けない現実を暴いています。あまりに異論がないので、悲しくなってしまう(笑)。つまり、「日本はこれからどうなってしまうんだ」とはっきり思います。もしこれが他人の国だったら「とんでもない国だ!」となるんだけど、自分の国ですからね(笑)。『国体論』は大言壮語や誇張ではありません。「正確に言うとこうなってしまう」のが恐ろしい。

 本書で最も「いいな」と思ったのは、「国体」という概念をあえて使ったところです。もちろん常識的には、国体という概念で日本を切れるのは戦争が終わるところまでですが、この白井さんの使い方はメタファーともちょっと違う。国体が持っていた機能的等価物が、アメリカと天皇をうまくセットすることで、戦後において効果的に働いているという洞察です。戦前の国体という概念は、何を言っているのかよくわからない面がありますが、しかし日本人はそれを語ることで自分が国体の圏域のなかにいると意識するわけです。しかし、戦後は「国体」が見えなくなっていて、むしろ人は国体の外にいると感じていた。本書は「戦後」の精神分析のような気がしました。国体は抑圧したものの回帰で、それがいまどういうかたちをとっているかを正確に言い当てていく。

 自分たち日本人のことを「外国人」の観点から見たらどうなるでしょうか。ものすごく滑稽なことをやっています。アメリカを同盟国として信用しているように見せながら、「アメリカから押しつけられた憲法だけは絶対に変えたい」と言う。「あなたはアメリカが好きなの? 嫌いなの?」と訊いてみたいし、アメリカのことなんかほとんど知らないくせに対米従属ばかり考えていて、世界から見ればこれほどバカげた話はありません。しかし日本にいるとそれが当たり前に思えてしまいます。白井さんはそのおかしさをうまく相対化していて、本書は、日本の政治的・文化的現実を深く理解したい人にとって必読の文献だと思います。

 白井 ありがとうございます。「戦後の天皇制の本丸はアメリカにある」という議論は、一見すると奇を衒ったものに思われるかもしれません。しかし私にとって強力な補助線になる議論が二つありました。一つは豊下楢彦さんによってリードされてきた政治史研究で、もう一つが吉見俊哉さんと大澤さんがやってこられた、アメリカの戦後日本に対する機能を分析する社会学です。

 豊下さんの研究は、戦後直後期の昭和天皇が単に受動的に免責されたのではなく、相当な政治的センスを能動的に発揮して、戦後日本国家の基礎的構造を日米合作で作っていったことを明らかにしました。だから日米安保体制が戦後日本の「国体」であり、それを絶対に変えられないのであれば、それはまさに「昭和天皇がお作りになったものだから」という話なのです。豊下さんの問題意識は、現在、矢部宏治氏などに引き継がれて、大いに注目を浴びているわけです。

 そして、こうした戦後日本における「アメリカの喰い込み」の深さを、国民生活や大衆文化といったレベルで検討してきたのが、社会学者たちの仕事だった。「天皇」というと、古いもの、伝統的なものというイメージが先行しがちだけれども、実は大変にモダンなものです。これは考えてみれば当たり前で、エリック・ホブズボームがいうところの「創られた伝統」の典型例であり、近代化を推進するための装置として機能したわけです。ところが、戦後になると、「モダニズム=アメリカニズム」という図式が強力になるわけで、そうなると天皇とアメリカが交換可能になってくる。『永続敗戦論』を書いた後に、吉見俊哉氏がこうした議論を展開していたことを知ったのですが、我が意を得たりという気がいたしました。

 ですから、私一人が言っていても心細いけど(笑)、この二つの心強い議論が既にあった。政治史的事実としての天皇とアメリカの接近・結合という話と、われわれの日常生活における「アメリカ的なもの」の浸透という話は、全然別次元の話ではないはずで、両者は綜合的に議論できるはずだと思ったのです。

 大澤 戦後の国体にとって、大きな困難が一つあると思います。その国体を内面化できないというか、疎外された状態でキープするしかないということです。戦前の国体だって「創られた伝統」の典型だから、ある意味で外部からやってくるわけですが、それが我がものであるかのような幻想を持つことができました。自分たちはずっと国体を維持し、それは自分たちの精神のふるさとであると言えました。しかし戦後の国体は違う。アメリカは別の国だし、その大統領をわれわれは選ぶことができないし、その憲法はわれわれに関係ないし、その外交政策をわれわれは決められない。しかしそれを何とか内面化しないとやっていけないから、「アメリカはわれわれの親のようなもので、われわれのことを宿命的に愛しているのだ」という幻想をいまでも手放すことができない。アメリカは日本に対して戦略上の通常の位置づけはしているでしょうが、「特別に」愛していることなんてないわけです。

 戦前の国体は、「それがいかにわれわれのものであるか」という幻想のためにつくりました。戦後当初、永続的にアメリカの従属国になるのではなく、限定的な措置だという感覚があったと思います。しかし気づいたらそこから抜けられなくなって、永遠の友であるかのような虚構を生きようとしています。戦後の国体にはそうした困難があると思います。

 白井 まさしくその通りだと思いますが、同時にその困難には可能性もあると思います。戦前の国体は、崩壊したにもかかわらず、形式的な護持に成功します。なぜ成功できたか。天皇と国民の関係は不変であると。国策の大きな失敗はあったけれども、やはり陛下は国民のことを愛しているのだということで、「臣民」と「陛下」という位置づけは変わったかもしれないが、基本的な一体感は崩れなかった。というか、もっと正確に言えば、人間宣言から各地への行幸などを通じて、「崩れなかった」という演出をシャカリキになってやって、そうしたイメージづくりに成功したということです。

 しかし天皇=アメリカになってくると、「アメリカは日本を愛してくれている」というのは虚構性の程度がはるかに高い。そのことがトランプ政権になって非常に露骨にあらわれつつあります。「リアル」が噴出してきている。例えば、具体的には鉄鋼やアルミの関税の件です。トランプがその発表をしたとき、世界でただ一人、安倍晋三だけを名指しました。トランプは結構深刻に安倍のことを憎んでいるところがあるはずなのです。大統領選当時の「スキップ事件」があって、その後ものすごい勢いで媚びへつらってくる。常識的に言って、こういう人間に対してどう思いますか? 最高度の軽蔑をするでしょう。

 テレビのコメンテーターたちは、関税の問題について、FTA(自由貿易協定)の二国間交渉に持ち込むためのボールをトランプは投げた、困りましたねと言いますが、とんでもない話です。同じコメンテーターたちがTPPのときに何を言っていたか思い出しましょう。TPPは自由貿易だからいいものだと言っていました。FTAだって自由貿易なのに、しかしそれは困ったことだと言う。ようするに本音が出てきたわけです。FTAの二国間交渉になったら、アメリカは様々なわがままを我が国に突きつけてくる。二国間交渉では逃げ場がなくてキツいから大変だと。ではTPPを歓迎していた本当の理由は何だったのでしょうか。アメリカがそこでもわがままを言うのは明らかだから、二国間ではなく多国間交渉で束になってかかれば少しは抑えられるかもしれない、というのが本質だったわけでしょう。だからここに来て、先ほど言ったフィクションももたなくなっている。こうやってわれわれは初めて、国体という仕組みとお別れができるのかなと思っています。

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「静止の刻」へ

――「放浪学生(ヴァガンテース)」としてわれわれのもとに帰還する「イマジナリー」
評者:白石嘉治

 ■時のながれには、ふたつのかたちがある。ひとつは知覚からなめらかに行動にいたるようなかたちである。「スマート」な「ライン」をなしているといってもいい。知覚や行動の意味はあらかじめ決定されている。帽子はかぶらなければいけないし、メールには返信しなければならない。歴史の実証とは、知覚と行動の齟齬のない連鎖をつくりだすことである。それは意味の支配にねざしたくびきでもあるだろう。

 他方で、たとえばミシュレの革命史を読むとき、断頭台の場面でたち止まらざるをえない。なぜミシュレは、切り落された首をうけとめる箱についてくわしく語るのだろうか? 描写によって、時のながれは中断されてしまう。知覚はなめらかに行動へと連鎖しない。ミシュレの愛読者だったロラン・バルトは、晩年の写真論でそうした中断の効果を「プンクトゥム(刺すもの)」とよぶ。そして意味が支配する時のながれから抜け出ようとした。賭けられているのは、意味の中断とともに別様にながれはじめる時のありかである。

 本書がディジョンのホテルの壁にかけられていた「絵」の複製の描出からはじまり、ヴィヨンの「ファンタジア」に思いをめぐらすことでおわるのも偶然ではないだろう。しかも、ルーヴル美術館で贖われた同じ「複製」は「いまも眼前の壁にかかっている」のであり、ヴィヨンへの思いは玉川上水の橋のうえにのぼる月の光景とともにある。現在をさけるかのように過去がよびだされ、それらは影形あいともなって錯綜する。時はなめらかに連鎖するのではない。「言葉は常にいまのもので、過去へ送りこまれて、絵をつくる。(…)いまの景色をかく言葉がむかしの情景を映すということならば、いったいいまの景色とはなにか」。こう問いかける著者もまた、くりかえし「私のイマジナリー」にたちもどり、「絵」のいとなみとともに立ちあらわれる「静止の刻」としての中世を語ろうとする。

 著者はホイジンガ『中世の秋』(中公クラシックス)の訳者でもあるが、ホイジンガじしん、中世からルネサンスへという歴史の必然を断ち切ったことを想いおこそう。ホイジンガはみずからの記述をヤン・ファン・アイクの「絵」に収斂させることで、中世に固有の情動をとりだしてみせた。知覚と行動のあいだに情動がさしはさまれ、その情動が「絵」として時の連鎖を中断するならば、時は別様にながれはじめるだろう。本書はそうした『中世の秋』の方途を厳密な仕方でうけついでいる。著者の師である堀米庸三との交流や翻訳にまつわる興味深いエピソードが語られるだけではない。『中世の秋』の核心をつかんだ著者は「歴史は印象のつづれ織り」と断言する。われわれは、ホイジンガがプルーストの同時代人だったことに気づかされるだろう。だが、著者が引くのは、リルケの「ほとんどすべての事物から、感知せよと合図がある」ということばである。

 問われているのは、中世を懐古することでもなければ、ましてや中世をかいして近代を超えることでもない。古代がカミの支配であり、近代がヒトの支配であるならば、中世とはそうした統治が宙づりになった状態である。支配はつねに歴史の必然として語られるだろう。だから中世そのものは、そうした歴史の連鎖を中断する「絵」であるほかない。じっさいホイジンガによれば、中世においては「すべて聖なるものをイメージにあらわすこと」が追求されたという。これをたんにキリスト教的な支配の浸透とみなしてはならない。不可視であるはずの「聖なるもの」が日常の「イメージ」に着床する。それは世俗化ではなく、むしろ涜神のふるまいである。エックハルトが出会った修道女たちは、みずからが神となることをのぞんだ。本書で語られる「放浪学生(ヴァガンテース)」たちも、「聖なるもの」に変容した「事物」の「感知せよという合図」にうながされつつ、修道女たちと同じような涜神を生きようとしたのだろう。「絵」の「イマジナリー」を生きることが問われているのであり、そのかぎりにおいて中世という歴史の裂開はどこにでもみいだせるはずである。

 われわれはなぜ本書をひもとかなければならないのか? それはホイジンガのみならず、リルケやプルーストに立ちかえってみる必要があるのと同じだろう。本書はかつて小沢書店からでていた二冊のエッセー集(『いま、中世の秋』一九八二年、『わがヴィヨン』一九九五年)をあわせたものである。それが「放浪学生」の名のもとに帰還したことの意味をかんがえてみるべきである。著者はヴィヨンの訳業と註解でもしられているが、それも本書と同じ版元によって容易に入手できるようになった(『ヴィヨン遺言詩集――形見分けの歌 遺言の歌』(悠書館、二〇一六年)。著者は「フランソワ・ヴィヨン」が実在したとは信じていない。それは名高い「遺言詩」の「主人公」の名にすぎず、じっさいの作者はサンブノワの司祭ギヨーム・ヴィヨンであると推定できるという。

 もちろん、ことの当否を問うことはできない。たしかなのは、そうした仮構への信なしには、われわれは中世をみいだしえないことである。歴史の実証のなかで「フランソワ」は知覚と行動の連鎖のなかに埋没している。だが、彼の詩のいとなみは情動そのものである。その「イマジナリー」は歴史のくびきを断ち切り、「フランソワ」という「放浪学生」として、われわれのもとに帰還するだろう。別様の時がながれはじめる。われわれは著者とともに「見者」となるが、未来をしらない。「絵」であるような形見の「歌」のひびきのなかに、過去と現在の折りかさなりを聴きとるだけである。「さてさて、去年の雪がいまどこにある」。くりかえすが、中世は時代の名称ではない。歴史がしいる必然からの出口のありかをしめしている。本書をひもとくことは、その「静止の刻」へとひらかれていくことである。

 (フランス文学)

旅と探求は終わらない

――本屋と書店員を描く、多様な性格と大きな魅力を持つ書
評者:大矢靖之

 ■石橋毅史氏の手になる本書の性格を一言で言い表すのは難しい。どんな本かを端的に言い表すのは簡単だ。本書はトランスビューによる情報提供ダイレクトメールに同封された連載付録、「本屋な日々」を元にした単行本である。全国各地の書店における、その書店員との濃厚な逸話を記したドキュメントである、とも。しかしこれはこの多様な性格を持った、読む人によっては複雑怪奇という感想を抱くかもしれない書籍の一側面を、形式的に要約したに過ぎない。この本は何なのか。何を表そうとしているのか。いくつかの読み筋を示しつつ、本書の多様さを示してゆきたい。

 一、まずは、書店員の思考、人生の生成を描く書だと言える。

 この書籍が単に減少しつつある書店の現場を聞き書きしただけの記録でないことは明らかだ。各小論において、書店とともに書店員が語られる。彼らの背景を窺いながら。そして石橋氏本人の思考を記すことも忘れずに。モノローグ、ルポルタージュ、インタビューなど、あらゆる文章形式を使い分けながらも、石橋氏は各書店員の振る舞いと思考と言動を記し、苦闘や模索を描き、成長過程や人間性そのものを示そうとしているかのようである。石橋氏が示そうとしている「青春」は、そのような人生の成り立ち、生成そのものであろう。

 二、同時に、続くか終わるかも定かならぬ、本屋と書店員の日常を記すダイアリーノートでもあると感じる。

 書店員たち、そして著者の個性に気圧されてしまうと、各小論が持つ日付の意味が忘れられてしまう。元々の連載の出典日時が、たしかにそれぞれに記録されており、その記録から各々で行われたイベント日時、出来事、談話も正確に理解されるわけだ。例えば、2016年4月から行われた岩波ブックセンター柴田信氏の怪極まる言動とそれに振り回される周囲の人々も、正確に記録されている。そして2012年、自店への本屋愛を炸裂させ、本を紹介する役割を続けていきたいと語るヴィレッジヴァンガード川崎チッタ店店長の花田菜々子氏の談話も収められていた。この2018年7月から2人の談話を読み返すと、感慨深いものがある。柴田氏は鬼籍にはいっている。花田氏は勤務先を退職し、「パン屋の本屋」のオープニングスタッフとして店長を経験、今は日比谷シャンテのHMVに勤務。そして『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』を記し、今なお売上が伸びるスマッシュヒットを飛ばしている。他にも、出版業界の激変と平行しつつ、僅か数年で所属や立場を変えた書店員は多い。各小論に記された日付は、今後出版史の一断面を示す、記録集としての意味を持ってくることだろう。

 三、何より、旅と探求の書であるとも思う。

 最初の小論「この旅のむこう」、最後の小論「いつか辿りつく場所」のふたつは、題名だけで旅と探求という両モチーフを示しているように思える。だがそれを単なる著者の青春記と一言で言ってしまうと、何かこぼれ落ちるようなものが生じてしまう。石橋氏が全国書店を飛び回りながら確認しようとするのは、先に述べた通り書店員の人間性なのだ。だから石橋氏の旅は人を知るためのものに他ならない。けれども、それは結果として自身の行き先を知るための探求と同義にもなると言えはしないか。

 「いつか辿りつく場所」を見てみよう。これは、かつて書店員としての苦闘と退職への経緯を記した『傷だらけの書店』著者・伊達雅彦のその後を見届け、彼が紆余曲折を経てブックカフェ「うさぎ堂」を開いた地点までを記した出色のルポである。『傷だらけの書店』はかつて石橋氏が伊達氏に依頼したことで生まれた一冊だったが、伊達氏はこの仕事がなければかつて新刊書店員を辞めることはなかったという重い一言を残し、石橋氏はそれを耳にして思い悩むことになる。結果、石橋氏は伊達氏のその後を追い、「うさぎ堂」の現在に立ち会い、退職後の帰結を見届けることになった。……しかしこれは一方で、石橋氏自身の探求の物語でもあった。結果として石橋氏は、「うさぎ堂の始まりは、僕にとって大きな区切り、何かの終わり」を悟りながらも、自身が「どう変わればいい?どこへ進めばいい?」と途方にくれることになるのだから。旅も探求も、いまだ終わっていないのだ。

 至らないながらも幾つかの読み筋を提示し、本書の性格を明らかにしようと試みてきた。だから……というよりはだからこそ、石橋氏の論及は自然と一人称を多用し、センチメンタルな表現や思考と近しいものになる。ドキュメントやルポでありながらも、その枠組みに囚われない仕方で、石橋氏は本屋と書店員を描いているのだと考える。それが本書の多様な性格、そして大きな魅力に繋がっているように思う。

 もし評者が石橋氏に要望できるとすれば、減りつつある町の本屋の当事者たちの話を聞きたいと願う。彼らにも相応の物語があるに違いない。そして何より、20代~30代前半の、若い世代の書店員たちの話をもっと聞きたい。彼らはきっと、いまより大きな困難に直面し、あるいは何か新しいものを創造することになる世代だ――彼らは「本屋」の姿をより明確に映し出してくれることになるだろうから。

 (書籍マーケッター)