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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

1949年創刊。硬派な人文書からホットなサブカルチャーまで紹介する週刊の書評新聞「図書新聞」とe-honのコラボ企画!

「図書新聞」の紙面で紹介した書評や、対談記事をご紹介します。【週1回更新】
取り上げる本や評者を厳選し、確かな見識で深く掘り下げた書評は「読み応えアリ」です!
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 ◆ 3367号(9月8日発売号掲載)

  • 『MARCH 1』
  • ジョン・ルイス/作 アンドリュー・アイディン/作 ネイト・パウエル/画 押野素子/訳
  • 岩波書店

  • 『MARCH 2』
  • ジョン・ルイス/作 アンドリュー・アイディン/作 ネイト・パウエル/画 押野素子/訳
  • 岩波書店

  • 『MARCH 3』
  • ジョン・ルイス/作 アンドリュー・アイディン/作 ネイト・パウエル/画 押野素子/訳
  • 岩波書店

選挙政治の大義を疑え

――混沌とした運動の創造過程が浮かび上がる
評者:マニュエル・ヤン

 ■ドナルド・トランプは大統領に就任するやいなや、ジョン・ルイスをツイッターで罵った。

 「下院議員ジョン・ルイスは選挙の結果についてデタラメな文句をいうよりも、ひどい状態でボロボロになっているかれの地区(言うまでもなく犯罪が蔓延している)を修復し助けることにもっと時間を割くべきだ」

 「口だけ、口だけ、口だけ――行動や結果が伴わない。悲惨!」

 この暴言は、ルイスがトランプを「正当な大統領」と認めず、三〇年間出席してきた大統領就任式にはじめて出席しないと公言したことへの応酬だった。

 ルイスの自伝的叙述にもとづく『March』全三巻は、かれが黒人公民権運動を代表する若い活動家として幾度となく恫喝され殴られ投獄されてきた軌跡を詳しく描いている。ジム・ローソンやマーティン・ルーサー・キングのキリスト教的非暴力主義を貫き、アメリカ連邦政府との現実的な交渉を通じて具体的な社会変革の結果を徹底的に追求した行動のひとだということが全編を通じて伝わってくる。

 ルイスは身を切るように運動にコミットし、インドでのボランティア活動をあきらめ、二一歳の誕生日を刑務所で過ごした。人種隔離政策の撤廃や黒人投票権の確保のために刑務所に自ら進んで入獄するかれの姿は、キリスト教的殉教者のそれと重なる。かれが「聖人」というあだ名をつけられた所以である。だが、これはルイスに限ってではなく、公民権運動全体についていえる。

 ルイスやキングのみならず、運動をリードし支えた人びと、六一~六二年のフリーダム・ライダーの本部になった宿泊施設を提供したクエーカー教徒、六三年のワシントン大行進を組織したベイヤード・ラスティン、白人至上主義のミシシッピ民主党代議員をしりぞけ平等に選出されたミシシッピ州自由民主党代議員の公認をアトランティック・シティの六四年民主党大会で求めたファニー・ルー・ヘイマーは、みな敬虔なクリスチャンであり、かれらが演説で用いて活動家を鼓舞するレトリックや危険な運動現場でいっしょに歌う“This Little Light of Mine”や“We Shall Overcome”はキリスト教の伝統に深く根ざしている。そして、運動の集会が行われた場所、差別的暴力の対象になった場所は、多くの場合、教会だった。

 「何千人もが消えていった」。公民権運動でよく歌われ、ディランの「風に吹かれて」のメロディーの下敷きになった歌“No More Auction Block”からの有名な一節だ。競売台で売買され家族が引き裂かれ、鞭に打たれる記憶を元奴隷がふりかえるこの歌には、静かな悲壮感が深くしぶとくこだまする。自由になっても、無数の犠牲者を死に追いやった苦難の記憶は聖痕のように決して消えない。『March』は同じような悲壮感を運動の殉教者たちに向けて喚起する。一四歳の少年の少年エミット・ティルの拷問と殺害、バーミンガムの一六番通りパブテスト教会での四人の少女の爆殺、フリーダム・サマーの三人のボランティアの誘拐と暗殺、メドガー・エヴァースやジミー・リー・ジャクソンやヴォイオラ・リュッツオの銃殺、マルコムXの暗殺。これら一連の死が運動の流れを止めるのではなく、異なった弾みやうねりを生み出したのは、活動家がキリスト教徒であるかどうかにかかわらず、かれらを貫く信仰に似たような情念と決意が集団レベルで維持されていたからだ。

 公民権運動の重要な結束力は宗教的情熱だったかもしれないが、その非暴力直接行動の実践は決して不条理な神頼みではなく、政治メディア力学の緻密で合理的な計算にもとづいていた。運動の要求にシンパする司法長官ロバート・ケネディやジョン・シーゲンソーラー連邦職員といった政府の高官とのパイプを保ち、人種隔離政策を撤廃する連邦法を盾に取り、市民的不服従(つまり、南部の差別的な法律を犯す行為)を慎重に規律正しく行った。目的は南部の白人権力者や一般市民から暴力を引き出し、逮捕されることだ。そうした不正行為を暴き出しメディアに伝えることで、黒人の市民権を守るよう連邦政府にプレッシャーをかける。

 したがって、非暴力直接行動の戦略的意義が果たされるには幾つかの基本的条件がそろわなければならない。まず、変革しようとしている制度や権力を上回り規制しうる国家権力のなかに交渉相手が必要であり、運動を守り不正な制度を廃止するよう国家権力を促す状況を作り出すことが必要だ。一巻のナッシュヴィルの座り込み闘争はレストランやデパートの人種隔離制度を攻撃し、二巻のフリーダム・ライダーズは、(公共バスの人種隔離が憲法違反だという)最高裁の判決を盾に活動し、三巻のミシシッピ州フリーダム・サマーは選挙政治の人種的不平等を正すべく住み込みで地域の政治教育活動に従事し、ミシシッピ自由民主党を発足する。つまり、運動が拡大するにつれて、比較的穏健な差別地区(テネシー州)からさらに激しく暴力的で強硬な地区であるミシシッピ州やアラバマ州セルマへと移行し、運動が取り組む問題も同じように地元のビジネスから州間をつなぐバス駅施設、そして最終的には国全体の投票権へと、小さなものから広大なものへと拡がっていく。

 こうした拡がりを可能にし、施設を人種的に統合する小さな勝利から新しい連邦法(一九六四年公民権法、一九六五年投票権法)の通過にいたる大きな達成を突き動かす決め手は、メディアの面前で運動側の市民的不服従があからさまに不当で暴力的な対応を地域の権力から受けることだ。そして、そうした権力の過剰暴力を可視化する場面では運動の参加者は常に規律正しく、口答えせず、平穏にふるまわなければならない。権力側の不当でおぞましい暴力と運動側の柔和で毅然とした非暴力のギャップを見せつけ、世論を味方につけるためだ。「パーチメント農場」と呼ばれる悪名高いミシシッピ州立刑務所に連行されたフリーダム・ライダーズの一人が護送車から降りるのを拒否し、看守がかれをボコボコにし、「ここにはマスコミもいないぜ」と吐き捨てる。命がけの綱渡りみたいに絶妙なバランスを要する直接行動がその基本条件を一つでも欠くと、無益な暴力に身をさらすことになることをささやかに示す場面だ。

 周密な非暴力トレーニングを経て可能になるこうした運動の規律を保つのは至難の技であり、活動家のなかでも反発する者が出てくる。例えば、タバコを吸っている参加者に「タバコを吸うな」と注意したルイスは「堅物め!」と罵られる。SNCC(学生非暴力調整委員会)のリーダーの一人であるジェームズ・フォーマンは、アラバマ州セルマからモンゴメリーの行進にSNCCは手を貸すが、公式的に参加することを拒むとキングに伝え、モンゴメリーの教会での演説で「民主主義のテーブルにつかせてもらえないならばくそったれのテーブルの脚を蹴倒してやる」と怒りを爆発させる。「ブラックパワー」のスローガンを広めたストークリー・カーマイケルはデモの途中で野次を飛ばす白人にむかって「何見てんだよ」と口答えしローソンに叱られ、ナッシュヴィル以外の場所で活動するよう勧告される。刑務所のなかの行動の協調性も崩れはじめる。「パーチメント農場」に収監された活動家たちが合唱するのをうるさがった看守はマットレスを取り上げると脅すが、かれらは進んでマットレスを監房の壁に立てて歌い続ける一方、カーマイケルとフレッドリック・レナードは歌おうともしないし、マットレスも立てない。その理由は「二人にとって非暴力はあくまで戦術にすぎず個人的な信条や生き方ではなかった」からだとルイスは冷ややかに説明する。フォーマン、カーマイケル、レナードその他のSNCC活動家が繰り広げたラディカルな対立はすべてルイスの観点から断片的に描かれ、かれらの行動の背景や意義は明らかにされないため、ルイス書記長を孤立させる単なる党派的勢力というネガティブな印象を読者に与えかねない。

 しかし、運動には矛盾や分裂や葛藤がつねに伴い、それらを通じて成長や進展や変化が起こる。ルイスが追随し英雄視するキングはそのことをじゅうぶんに理解し、葛藤が運動の推進力だということを把握していた。直接行動をさらに激しく進めようとするおもに若い人たちの勢力と、政府との交渉を優先するために直接行動の「冷却期間」を設けようとする穏健なミドルクラスの指導者層のあいだにキングは立ち、「中道」の立場選び運動のバランスを保った。葛藤は運動に必要不可欠なダイナミズムをもたらすだけではなく、非暴力直接行動の本質だということも心得ていた。「非暴力直接行動が目指しているのは、交渉を絶えず拒否してきたコミュニティが問題にむりやり直面するようコミュニティの中に危機を作りだしテンションを促進することだ」とキングは一九六三年の「バーミンガム刑務所からの手紙」で書いている。

 だが、『March』が引用しているのはこの箇所ではなく、「良心が不正だと訴える法を破り、その不正な法に対して共同体の良心を目覚めさせるために、投獄という罰を喜んで受ける個人は、実際のところ法に対して最大の敬意を表している」という法に対する自己犠牲の精神主義的理念を強調するくだりだ。しかも、バーミンガムにおいてキングが穏健派の反対を押し切り直接行動に加わり逮捕されたのは、SNCC活動家たちがかれと懸命に議論し圧力をかけたからだということに触れていない。二年前の一九六一年、フリーダム・ライドを組織するミーティングでキングがバスに乗り、行動をともにするよう若い運動家たちに促され、執行猶予中なのでそれはできないと断り非難される場面は確かに出てくる。SNCC内の意見対立がエラ・ベイカーの提案による「直接行動チーム」と「有権者登録チーム」の結成で解決するモーメントも描かれている。だが、ルイスの宗教的信念に限りなく近い道徳的意識は、対立が運動のエンジンとして機能した認識を圧倒し、見えにくくしてしまう。

 そうした信念はある種の英雄崇拝につながり、キングをはじめとする公民権運動のリーダーのいわば「偉人列伝」を作り上げる。エラ・ベイカー、ボブ・モーゼス、ダイアン・ナッシュ、ファニー・ルー・ヘイマー、A・フィリップ・ランドルフ、ベイヤード・ラスティンその他公民権活動家たちの歴史的役割を正当に位置づけ、かれらの演説を詳しく、ときには冗長に引用する『March』は生真面目なトーンを首尾一貫して保ち続ける、劇画の衣装をつけたアメリカ国民の教科書みたいだ。数々の演説のなかでとりわけ現代アメリカの国民性を際立たせているのは、六三年ワシントン大行進の際、SNCCを代表するルイスが他のメンバーと作成した演説の草稿が物議をかもし、内容の変更を余儀なくされる場面である。二巻のクライマックスを飾るこのエピソードは、若い世代と旧世代の活動家のあいだに生じていた前述の葛藤が公民権運動史上最大のデモにおいて瀬戸際に立たされていたことをあらわす。(二巻末に全文が掲載されている)オリジナルのスピーチは、ケネディ大統領政権を真っ向から非難し、法制度の改革「だけではどうしようもない」と警告し、非暴力直接行動の革命を全国の路上にもたらす意志を激しく表明する宣戦布告に他ならない。じっさいにルイスが読み上げた修正版はそうした戦闘的怒りの痕跡をほとんどすべて消し去っていた。政府が提案している公民権法には労働者や雇用の権利も補足されるべきであり、黒人の大衆を代表していない既存の二大政党にかわり、かれらを実質的に代表する政党とそれを保証する選挙権が必要だと説くその内容は、まるで政治家が街頭演説でするような最大公約数のアピールだ。だが、ルイスは「メッセージ自体には妥協はない」と力説する。

 こうした代表制民主主義の枠組みに収まらない闘争の現実をルイスが感じ取っていたことを示唆するシーンが三巻にある。一九六四年、アフリカ諸国を訪問したときに「マルコムよりも保守派なら帰った方がいい。誰も君たちの話など聞かないぞ」と言われ、ルイスは驚く。アメリカではSNCCがラディカリズムの先頭に立ち、マルコムは過激すぎると一般のリベラルから非難されていたのに、アメリカ国外ではマルコムがまっとうな政治的基準として受け止められていたからだ。そして、ルイスは旅先のケニアでマルコムと偶然出会う。マルコムは「階級こそがアメリカだけではなく世界各地の根源なのだ」から「人種を超えた」階級闘争を目指すようルイスを諭し、「君たちを応援している人びとは世界中にいるぞ」と激励する。

 大きな運動のなかで創造的テンションを作りながらも互いに支えあうこうした連帯意識は、三巻の山場であるセルマへの行進でキングが逮捕されたあとにセルマを訪れたマルコムの発言にもうかがえる。かれはキングの妻であるコレッタにキングへの言伝をたのむ。キングたちが求めるしごくまっとうな要求を当局が呑まなければ、マルコムみたいないかなる手段もいとわない黒人たちが蜂起し収拾のつかない危険な状態を招くことになる、と自分を交渉材料に使ってくれというメッセージを託す。

 まもなくマルコムは凶弾に倒れてしまうが、かれの言葉は決してこけおどしではなかった。前年の六四年に一五歳の黒人少年ジェイムズ・パウエルが白人警官にハーレムで射殺されたとき、ハーレムの住民は数日間にわたる暴動を起こした。ワシントン大行進を組織したベイヤード・ラスティンはハーレムに駆けつけ大衆をなだめようとするが、白人の権力に迎合する「アンクル・トム」と罵倒され、暴動の熱風は路上に吹き荒れ続ける。そして、さらに大規模なワッツ暴動が六五年に発生し、運動の規制や規律を守らない民衆の自発的な反乱がアメリカ中を席巻することになり、六〇年代後半から七〇年代前半にかけて駆け抜けたブラックパワーのラディカルな闘争の原動力になる。

 だが、ルイスはこうした暴動とアメリカ国家そのものと対峙する急進的な運動の展開については一言も触れず、リベラル選挙政治の国民国家的言説に終始する。ルイスが入院するほどひどく叩きのめされた「血の日曜日事件」で始まるセルマの行進が功を奏し投票権法が制定され、「われらに勝利を」という運動の言葉で締めくくるリンドン・ジョンソン大統領の演説で『March』は幕を閉じる。長年にわたる運動の受難は、国の法制度の変更と国家の元首のレトリックによってようやく報われたと言わんばかりに。この運動のまとめ方がかれの観点に沿った恣意的なものであることを認めるかのようにルイスは「この日、私の知る公民権運動は終わったのだ」と付け足すことを忘れない。

 『March』は運動のナラティブをルイスの限られた政治的視点から描いている。バラク・オバマ大統領の就任日である二〇〇九年一月二〇日の朝から晩を通じて民主党下院議員ルイスが過去をふりかえるというのが物語の枠組みだ。公民権運動の苦難や演説の劇的な瞬間にさしかかるたびに、突然、オバマの就任式や祝賀パーティーの場面が交錯する。つまり、運動が払った無数の犠牲は、四〇数年の月日を経て、アメリカ史上初のアフリカ系大統領の当選によって贖われたというアメリカ国民国家の自己完結的なメッセージが込められている。

 二〇一五年に開かれたセルマ行進五〇周年記念式典の演説で、オバマは活動家としてのルイスをまっさきに讃え、「わたしたちはホワイトハウスと南部の経済を作った奴隷である。わたしたちは西部を開拓した牧場労働者やカウボーイであり、鉄道を敷き高層ビルを建て労働者の権利のために団結した無数の労働者である」と宣言し、「血の日曜日事件から五〇年経った今日、わたしたちの行進はまだ終わっていない」と力強く語った。民衆の主体性と運動の力をこれほど赤裸々に追認する権力者のスピーチは珍しい。だが、「多少の反乱がときどき起こることは良いことであり」「政府の健康を維持するために必要な薬である」と一七八七年に記した奴隷地主トーマス・ジェファーソン、「あまりにも無慈悲で不誠実な残酷さでわたしたちが大量虐殺しているあの不運な先住民のアメリカ人の人種のために、わたしからあのとき引き出された慈愛と同情の気持ちがかれらの運命を和らげるか回避することに少しでも役立てばとおもう」と一八三六年に述べたジョン・クインシー・アダムズ、一九六一年の退任演説で軍産複合体への警鐘を鳴らしたドワイト・アイゼンハワー同様、オバマが口にした真実の言葉は、アメリカというデモクラシーの虚像を膨らませ、国家と資本が行い続ける人道に対する膨大な罪を隠蔽する効果を持つ。アメリカの大衆からばくだいなカネを合法的に盗み取りリーマンショックを引き起こした金融産業を(例えば、アイスランド政府が行ったように)罰し、銀行家を投獄するどころか国民の税金で救済し、ドローン暗殺体制を打ち出し「対テロ戦争」というアメリカの国家テロを連綿と続行したオバマ政権のネオリベ軍国主義は、セルマの行進が象徴するアメリカの戦闘的民衆像と同化することで不問に付され、国民国家の神話的正当性を補強する。

 オバマ政権を頑なに支持し美化してきたルイスは下院議員を一九八七年以来三〇年以上務め、もっともリベラルな議員として知られている。ビル・クリントン政権のNAFTAや福祉削減には反対したが、クリントンが検討していたイラク攻撃には支持を表明し、九・一一同時多発テロが起こった直後にブッシュ大統領に逆襲の権限を与える議決に賛成票を投じた。二〇一六年大統領選挙の際は、大企業が後ろ押しする体制派の民主党大統領候補ヒラリー・クリントンを応援し、実質的な社会福祉を推進する進歩派リベラルの立場を掲げて出馬したバーニー・サンダーズがシカゴで公民権活動家として活躍した事実を頭ごなしに否定し、謝罪する羽目になった。「制度内への長征」を果たした活動家ルイスは、結局、企業リベラリズムと癒着する政治家ルイスに変貌してしまう。

 二〇一八年六月三〇日、「不法滞在」移民家族の親子を引き離し収容所に拘束するトランプ政権のゼロ・トレランス政策に反対するKeep Families Together運動のデモがアメリカ全国に広まり、ジョージア州アトランタの抗議集会にはルイスも参加し演説をぶった。「諦めてはいけません。言いなりになってはいけません。行進し続けるのです。それは変化をもたらします……わたしたちは同じ家に住んでいます、アメリカの家だけではなく世界の家に。わたしたちはみな兄弟姉妹です。黒人、白人、ラティーノ系、アジア系アメリカ人、ネイティブ・アメリカンであるかどうか関係ありません、一つの民であり一つの家族なのです……『不法』な人間など存在しません、わたしたちはみな人間です……何百人もの国会議員は現状に満足していません。出馬している大勢の候補は現状に満足していません……投票日がやってきたら、わたしたちは今までやったことがないぐらい投票に行かなければなりません……アメリカを正しい方向に向けるにはアメリカをひっくり返す必要があるかもしれません。何をするにしろ、秩序正しく、非暴力的に、平穏にやっていきましょう」とかれはアジり喝采を浴びた。非暴力的に行進し、投票しろ。五五年前にルイスがワシントン大行進で行ったスピーチと内容が似ている。だが、投票権が南部の黒人から剥奪されさまざまな運動勢力がせめぎ合う六三年のスピーチは、黒人労働者を代表していない二大政党にかわる新しい政党の必要性を説き、賃金や雇用の保証を要求するニューディール的価値観を体現していた。それに比べ、二〇一八年のスピーチはセンチメンタルな人道主義的言辞を並べたて、既存の選挙政治の大義を信じて疑わない。

 わたしたちが『March』から引き出すべき教訓は、政治家ルイスの疲弊したリベラリズムや安易な英雄崇拝を払拭することではじめて手にすることができる。複雑で矛盾を孕む運動のなかで不完全に結ばれた人びとが、不可能に近い状況で共闘し仲違いし新しいテンションを生み出す。『March』が生々しくリアルに描写しているのは、運動現場において何が起こるかわからない緊迫感と、長時間にわたり何も起こらない倦怠感だ。負傷者や死者が増え続ける絶望を耐え忍ぶなかで差別制度を打開したと思いきや、状況が反転しふりだしに戻ったかのような敗北の連続。そこには個人や組織の意図を超える混沌とした運動の創造過程が、ときには単調に、ときには激しく浮かび上がる。そして、若き活動家ルイス自身を揺さぶったアフリカ体験とそのなかでかれが邂逅したマルコムXが提言する階級闘争の諸勢力は、ルイスが織り上げた物語とはまったく別の歴史の糸を一瞬だけ垣間見せてくれる。わたしたちはこの糸をできる限り引っぱり出し、アメリカの一国リベラル修正主義史観から解放された運動の歴史を紡ぎだす必要がある。

 (歴史学)

原発事故後の子ども保養支援が培う、権利の根源的感覚

――あやまる人間としての支援と、その先にある問い
評者:清原悠

■「保養」という言葉は、1986年チェルノブイリ原発事故のあとに日本語に訳された言葉で、汚染地に住む子供への「心身の健康回復を目的として汚染が少ない地域へ移動するプログラムやその施設」の提供を指す。福島第一原発事故後の日本でも「保養キャンプ、リフレッシュ・キャンプ、自然体験活動」など様々な名称のもと民間での活動が展開されたが、事故から7年が経った現在でも年間延べ1万人以上が支援団体を通じて「保養」に参加し、保養情報をまとめたホームページ「ほよ~ん相談会」には2012年7月の運用開始以来、毎年30万弱のアクセスが続いている。

 本書副題に示されているように、この7年間にわたる保養支援の中で大事にされたのが「避難」か「復興」かの二者択一を迫る状況や、その中で人々が分断させられることをいかに回避できるのかという視点であった。いずれの「選択」にも、事故がなければ生じなかった「不利益」が存在するからである。そうであるならば、一方的に侵害された「権利」や人々の「分断」はどのように回復できるのか。著者は2011年3月から保養、子育て相談会、避難者支援、中間支援、測定や除染や法律相談会への協力などの「支援」を手弁当で行ってきた。本書では、その保養支援の現場から見えてくる「リスク」「科学」「差別」「不平等」「支援」といった問題が確かな構成のもと考察されている。不当なリスクを押しつけられない権利の追求を本書の強靭な縦糸とするならば、他方の横糸は100名以上へのインタビューにより織り込まれた保養参加者・支援者の多彩な言葉や表情である。

 日本の「保養」をテーマにした本格的な書籍は本書が初めてといっても過言ではなかろうが、それだけ「保養」が本邦では周縁化させられてきたことにまずは注目しよう。チェルノブイリ事故による甚大な放射能汚染を受けたウクライナ・ベラルーシでは、国家の施策として「保養」が展開され、両国でそれぞれ年間5~6万人程度が国費で保養に参加している。他方の日本の場合、政策レベルでは2011年夏に「リフレッシュ・キャンプ事業」(文科省)、2014年4月からは「ふくしまっ子自然体験・交流活動支援事業」(復興庁・文科省)が実施されているが、2014年度以降の政府は「保養」という言葉を用いなくなっている(2013年9月に「復興五輪」としての「東京五輪」が招致決定されたことが影響しているのだろうか)。同事業はチェルノブイリの被ばく低減を目的とした「保養」に言及されながら作られた子ども・被災者支援法を法的根拠としているにもかかわらず、汚染には言及せずに「自然体験活動」の促進を掲げているため、「被ばくを避ける権利」「予防的措置」とは逆の効果をもたらしかねない欠陥を持っているのである(土壌汚染があることに注意)。

 このように「保養」の理念が十分に制度化されなかった中で、その権利を保障しようと尽力してきたのが民間での支援活動である。この保養支援はウクライナやベラルーシの「保養」を模範としてきたわけでは必ずしもなく、当事者のニーズと支援者の特徴に応じて7年かけて多様化してきた。事故前を基準として汚染から一時的に離れたいという目的や、現在の状況は気にならないが失われた「外遊び」「自然体験」を補いたいという目的、あるいは事故を起因とする不安やさまざまな分断などのストレスから離れるためのリフレッシュが目的など、いずれを重視するかは参加者や支援者によって異なる。しかし、事故がなければどれもこれも考える必要は全くなかった点では共通した「被害」なのである。だからこそ、いずれの選択も尊重することが大切であると本書では繰り返し説かれる。このことは、「保養」が決して万能ではないこと、そして「保養」という選択を選ばなかった人もまた、子どもの暮らしを守ろうと尽力していたことを忘れてはならないという著者の言葉へとつながる。

 他なる選択や価値観を尊重することは、自分の価値観や言動もその都度問い直す姿勢へとつながっていく。本書を読む中で印象的なのは、著者が繰り返し自分の誤った認識や発言を反省し、そして謝るシーンを書き込んでいることだ。著者は、保養支援を重ねることで身についたスキルへの自信や、保養を続けることで「次に原発事故が起きたら自ら保養支援をしたいという子ども」に大勢出会う中、ある高校生との会話で「次に原発事故が起きたら」とうっかり言ってしまう。不安で顔色が変わった高校生に対して著者は「口にすべき言葉ではなかったと反省して謝った」。そして、「とにかく二度と原発事故を起こしてはいけないのだ」と誓いを新たにするのである(本書272頁)。

 また、原発事故によって「不当なリスク」を押しつけ、「不安」を抱え込ませてしまったこと、そういった事態を回避できなかったことに対して謝ることも著者は大事にしている。「差別」や「暴力」は社会の権力勾配の中で構造的に生じるものであるが、経験する側にとっては極めて個人的かつ理不尽な体験である。「安全だから大丈夫」と上から述べるのではなく、自分を主語にしてしか語れない「経験」を聞き、支援者として、あるいは社会への責任を持つ大人として他者の不安を抑圧せずに受け止めることは、対等な人間として向き合うための第一歩である。事故によって砕かれた権利の根源的感覚は、「個人」を大事にするコミュニケーションの積み重ねによって再興されるのである。評者は本書を読み進めるごとに不思議な安心感を抱いたが、その理由はここにあるだろう。

 このような本書の姿勢が対峙しているのは、安全神話のもと異論を封じて推進してきた原子力政策や、国家は過ちを犯しても被害者への責任を負わないという国家無答責の法理や戦争被害受忍論で多くの「ヒバクシャ」を切り捨ててきたこと、そして差別を「自然現象」であるかのように放置してきた社会ではあるまいか。しかし、「保養支援」を民間のボランティアにのみ託して称揚するのであれば、それは本書に含まれた問いを抹消してしまうに違いない。「権利」はどのように守られるのだろうか、誰が守るのだろうか。

 (社会学)

「立ち上がる夜」運動の「栄光」と「挫折」

――選挙以外の方法でいかにして権力の横暴を抑止し、社会変革を実現できるのか
評者:杉村昌昭

 ■フランスでは二〇一六年三月から八月まで「立ち上がる夜」と命名された運動が大きな社会的話題になった。フランスについてのゆがんだ報道(最近典型的なのが“マクロン大統領よいしょ”報道)ばかりを垂れ流している日本のマスメディアは、この新たな社会運動をほとんど黙殺したが、私はこの運動の理論的リーダーのひとりであったフレデリック・ロルドンの本の邦訳者(作品社から二著を刊行)で友人でもあるので、この運動を大筋でフォローし、その「栄光」と「挫折」を私なりにおおよそ総括してきた。

 本書は新自由主義グローバリゼーションがあいかわらず世界を支配し続けているこの時代に、カウンター運動としてフランスのパリというローカルな場所で発現したユニークな社会運動に日本人ジャーナリストとしてコミットした人物の希有な著作である。

 著者は、当時のフランス社会党政権の「労働法改悪」に対する抵抗運動をきっかけに共和国広場を占拠し、数ヶ月にわたり夜っぴて社会変革のための「討論」を繰り返したこの運動の参加者の多種多様性に着目し、彼らへのインタビューを中心に本書を構成している。この運動に先鞭をつけたのは、「メルシー・パトロン」と題して辛辣な経営者批判を映像化したドキュメンタリー作家でジャーナリストのフランソワ・リュファンと、金融経済学者にはめずらしいラディカル左翼の思想家フレデリック・ロルドンだが、この運動は発進するやいなや、じつにさまざまな階層の老若男女がパリの中心部にある共和国広場に集まり、百を超えるテーマを扱う“議論のフェスティバル”に発展した。私はこれに参加していたパリ在住の友人から逐一報告をうけ、二十年前に始まったオルター・グローバリゼーション運動(「アタック」)以来、久しぶりにフランスで新しい運動が起きていることを実感した。しかし、いったいどんな多種多様な人々がどんな多種多様な論争をしているのかという臨場感は持てずにいた。この本は、そうした多種多様な人々のプロフィールを手際よくリアルに描いていて、私のこの運動に対する認識を補完してくれるものであった。

 著者はじつに多くの人々にインタビューしているが、紙幅の関係で、ここでは私の関心に引きつけて、二人の女性参加者の話に言及するにとどめたい。

 ひとりはアリーヌ・パイエという欧州議会議員をしたこともある放送ジャーナリストである。選挙による社会支配が民主主義を破壊しているのは、フランスも日本と同様である。フランスではこの運動のあった翌年、エマニュエル・マクロンというトランプまがいの食わせものの大統領が選出され、選挙のいかがわしさがますますあらわになっている。また、それに付随してフランス人の根深い“レイシズム”が、この国の保守的体制維持を底支えしていることもあきらかになってきている。私もそんなフランスの実情にあらためてうんざりしてきたのだが、パイエの発言に一服の清涼感覚を味わった。いわく、「選挙というものは資本主義の枠内で行なわれるのであれば誰に投票しても大きく変わることはありません」、「大切なことは資本主義者か、資本主義者でないか、この二つです」、「よい例がマクロンです。マクロンは「右でも左でもない」と言っています。でも彼は資本主義者です。マリーヌ・ルペンも資本主義者なのです」。また「レイシズム」について、いわく、「レイシズムの見地から見れば、メランション[左翼連合の大統領候補]だってレイシズムなんです」、「フランス人の頭の中にはレイシズムがどーん、とあるんです」。彼女へのインタビューで構成された「第一〇章 投票をボイコットする人々」(140~152ページ)だけでもこの本は十分に読む価値があるだろう。なぜなら、そこには、現在、とくに先進諸国で行なわれている選挙による社会支配がどんな悪弊をもたらしているかが、凝縮的に述べられているからである。

 もうひとり、税金に関わる公的職務を行なっている徴税官の立場から「アタック」の活動に参加し(これは残念ながら日本では考えられない!)、同時に「立ち上がる夜」運動にもかかわった山本百合という肩にタトゥーを入れた日仏ミックスの女性のインタビューも必読である。なお本書には著者が撮影した多くの写真がちりばめられていて、これもこの本の魅力のひとつとなっている。

 しかし「立ち上がる夜」運動は政権を揺るがすには至らず、数ヶ月の短命に終わった。そしていま、フランス左翼はあいかわらず「国民も議会も大統領を罷免できない」という第五共和制憲法の下で難渋している。選挙以外の方法でいかにして権力の横暴を抑止し、社会変革を実現できるのか。この問題は日仏にかぎらず、とくに先進諸国共通の喫緊の課題として、大衆運動が真剣かつ深刻にとりくまねばならない時期にさしかかっている。「立ち上がる夜」運動の「栄光」と「挫折」は、そのことを改めて浮き彫りにしたと言わねばなるまい。

 (現代思想研究)