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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3372号(10月20日発売号掲載)

侵攻五〇年の街を歩く

――歴史というものはだれかが関心をもち、語り継がなければ、事実さえもねじ曲がり、容易に修正されるかよわいものである
増田幸弘

 ■写真家ラディスラフ・ビエリクが一九六八年八月二一日、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァにある、コメンスキー大学哲学部校舎の前で撮った一枚の写真が残る。侵攻したワルシャワ条約機構軍の戦車の前で、一人の若い男がシャツをはだけて立ちはだかり、おれを撃てとばかりになにかを叫ぶ写真だ。いまにも泣きだしそうな顔が心を打つ。ビエリクの息子ペトルが革命後、亡くなった父が共産体制下に公表できなかったなにかを残しているはずだと探したところ、くたびれたスーツケースに隠されたフィルムを見つけた。そのときペトルは一六歳だった。

 第二次世界大戦後の一九四八年、クーデターによってチェコスロヴァキアで共産主義政権が樹立する。しかし、社会主義や共産主義とはなにか、実際のところ国も国民もよくわかっていなかった。戦前まできわめて資本主義的な工業国として発展していたからだ。当初、小作農が地主を即席裁判で弾劾するなど、急進的な面が目についた。知識人や聖職者の粛正も相次いだ。ようやく六〇年代になって「人間の顔をした社会主義」と呼ばれるチェコ的な考えがまとまり、「プラハの春」と呼ばれる繁栄を取り戻す。その思いを軍事力で真っ向から否定したのがチェコ侵攻だった。

 侵攻から五〇年経った追悼式典がさる八月二一日午前一〇時、哲学部校舎の前でひらかれた。かつてワルシャワ条約機構軍に属していた国々の大使らが大学に掲げられる犠牲者の碑文に献花した。スロヴァキアの兵士が先導して花を供えると、参列者が花束のリボンを丁寧に直して黙祷した。そこには三人の名前が刻まれ、うちダンカ・コシャノヴァーはわずか一五歳の女学生で、抗議のさなかに銃殺された。退役軍人は「侵攻は悲劇的な瞬間だった」とスピーチした。式典は1時間ほどで終わり、校舎内で売られる記念切手や0ユーロ札、Tシャツなどを求める長蛇の列ができた。いずれもビエリクの撮った写真がモチーフだ。その夜はSNP(スロヴァキア民衆蜂起)広場で集会があり、週刊誌が一九六八年にちなむ映画上映会を催した。

 翌二二日はチェコ第二の都市であるブルノに出かけた。いつもはなにげなく見過ごしている広場の一角に、同じような献花を見つけた。壁にある碑文にはここで一九六九年八月二一日、ダヌシェ・ムジカージョヴァーが亡くなったとある。ちょうど侵攻一年後にあたるこの日、反共産主義のデモがおこなわれていた。参加した一八歳の彼女は赤軍広場とかつて呼ばれた場所で、SNB(国家安全警察)かLM(人民軍)のどちらかに撃たれた。コシャノヴァーはワルシャワ条約機構軍に殺られたが、ムジカージョヴァーはチェコスロヴァキアの権力に殺られたことになる。

 広場のほど近くにある聖ヤコブ教会裏手では、チェコの現代史についてのパネル展示があった。侵攻によって「プラハの春」が終わり、正常化と呼ばれる時代がはじまる。表現の自由が奪われ、二〇万人といわれる人びとが亡命を余儀なくされた。一九八九年の革命で共産体制が崩壊するまでの抑圧された歴史を、ざっくり解説するものだった。

 それから小高い丘の上にたつ古城で開催中の一九六八年展を見た。ブルノでの侵攻の様子をとらえたモノクロ写真が目を惹いた。チェコ侵攻というと亡命してマグナムに加わるヨゼフ・コウデルカ(クーデルカ)がプラハで撮った写真が名高いが、実際にはチェコスロヴァキア全土におよんだ。展示に「LM」の制服があった。見に来ていた高校生三人連れに説明を求めてみた。入場者は彼らだけだった。「労働者で組織された民兵」と手短に教えてくれた。五〇年の節目、若者のあいだで過去の歴史を知ろうとする動きが強まっていた。ブルノ市内の書店には特設コーナーができ、一冊がベストセラー入りしていた。一九六八年にちなみ、プラハの春を率いたアレクサンデル・ドゥプチェクや、侵攻に抗議して焼身自殺したヤン・パラフについての映画も封切られた。

 いまチェコやスロヴァキアでは、レトロブームが起きている。ここでいうレトロとは社会主義のことで、いま日本で「昭和」という言葉で語るものに近い。スーパーにはパッケージを復刻した商品が山積みにされたコーナーがあり、イベントの目玉はきれいにレストアされたバスだ。街ではときどきお年寄りに声をかけられ、いかにチェコスロヴァキアだった時代がよかったか、懐かしそうに話を聞かされる。チェコスロヴァキアらしさはあっても、チェコらしさや、スロヴァキアらしさなんてものはない、そう嘆く人さえいる。不自由な共産体制の暮らしをあれほど憎みながら、いまは古き良き時代と思い返す人びとが不思議なことに少なくないのだ。そんな相反する社会状況のなか、チェコ侵攻五〇年を迎えるブラチスラヴァとブルノを歩きながら、侵攻に対して果敢に立ち向かった人たちがおおぜいいた史実こそ、いまのチェコやスロヴァキアの人たちの拠り所になっているのを感じた。話を聞いた高校生にしてみれば、「コミュってる」とバカにしてきた祖父の世代を見直すきっかけともなる。

 とはいえ厄介なことに、チェコ侵攻は単に他国の軍に攻め込まれただけでは終わらなかった。それからはじまる正常化でチェコ人がチェコ人を締め付けた点にむしろ深い闇はある。知り合いのデザイナーは新聞に政治を風刺するイラストを連載していたことでにらまれ、満足な仕事に就けなくなった。知り合いの記者は亡命して国外のメディアで働いていた。以前借りていた家の大家は革命後、町に住めなくなってアメリカに移住した。共産党員として隣人たちをさんざんいじめ、住めなくなったのだ。似たような事例は掃いて捨てるほどある。当事者がチェコ侵攻五〇年に対して一定の距離をおくのは、この事件がまだ歴史の一コマになっていないからである。ほとんどすべての国民が、多かれ少なかれ、人生をなんらかのかたちで変えさせられたのだから無理もない。

 街を歩きながらぼくはずっと日本のことを考えていた。日本にはチェコ侵攻のように、国民が共有する抵抗のシンボルがなにもないのに気づいたのだ。権力に逆らった人物を評価する土壌がなく、むしろ逆に「非国民」「逆賊」という一言で括られ、否定される。どの町や村であれ、戦死者の碑はできても、赤紙を無視して逃走した者が郷土の英雄になるなんてまずありえない。労働や基地問題、公害や障害者をめぐる運動など、それぞれの分野で抵抗の歴史はあるのだが、いつしか丁寧に払拭され、忘れられていく。

 若くして亡くなったチェコとスロヴァキアの女学生を知り、安保闘争のさなかに国会前で命を落とした樺美智子のことが頭から離れなかった。同じ一九六〇年代的な時代状況のなかでの死だが、当時こそ遺稿集や父親で社会学者の樺俊雄が娘について書いた本がベストセラーになったものの、チェコとちがい、彼女の碑文が日本のどこかに掲げられているのを聞いたことはない。本が広く読み継がれているわけでも、現政権に対するデモで祀られているわけでもない。デモで押し倒されて踏みつぶされたとばかり思っていたが、警察病院で遺体と対面した樺の旧友から、「膵臓を警棒で一突きにされたのが致命傷になった」と教えられたことがある。実際にはどうだったのかは論議があり、本当のところはいまだによくわからない。すべてが隠されていた共産体制崩壊後にいろんなことが判明するチェコとはちがう点だ。ただすべてが忘れられ、いつしかなかったことになっている。歴史というものはだれかが関心をもち、語り継がなければ、事実さえもねじ曲がり、容易に修正されるかよわいものである。スロヴァキアの高校教師から「歴史と地理はきわめて政治的な学問だ」と聞かされたことがある。これほど重たい言葉はない。

 (フリー記者、在スロヴァキア)

この日本社会の「救いのなさ」の「救いよう」を論じる

――ラファルグの系譜のそのさきに水木しげるが呼びもどされる
評者:入江公康

 ■「怠ける権利」というのは、知っているひとは知っている、マルクスの娘婿であるポール・ラファルグの著書のタイトル。ラファルグは、マルクスからすれば、怠け者の不肖のムコ殿だったようだが――マルクスそのひとだって、ひとのことをエラそうにいえた義理でないはずだが、それはいいとして――昨今の日本の状況をみるや、かれの生きた時代から一〇〇年以上もたって、このムコ殿の言葉の重みがいや増しに増しているということなのだろう。既存マルクス主義は生産力や労働に価値をおいてきたが、ラファルグは、怠けること、サボることに価値をおいたのだった。

 著者は紹介している。「キリストは、山上の垂訓で、怠惰を説いた」――ラファルグによるマタイの一節の引用――「野の百合はいかにして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。されど我、なんじらに告ぐ、栄華を極めたその服装この花の一つにもしかざりき。」

 ということで、いわゆる労働価値説からの脱却だ。ほんとうは、労働価値説は資本主義打倒のための武器となりうるはずだが敵側にとことん逆用されてしまっている。義父へのあてこすりなのか、ムコ殿は、労働時間は一日三時間以下でいいという。『怠ける権利』は、シュルレアリストのブルトンが再評価し、また、六八年の五月革命のときに読まれもした。労働が問題とされる以上、この本はなんどでも呼びもどされるだろう。そのラファルグの有名な本のタイトルを冠した本書では、ラファルグの系譜のそのさきに水木しげるが呼びもどされるのである。

 労働を神聖としてしまうこと。ナチやファシストも勤労を言祝いだ。ほんとうは労働からの解放というプロジェクトだったはずの共産主義ですら、ふたをあけてみれば、惨憺たる始末だった。しかし、とりあえずのところ、ファシズムでも共産主義でも「なかったはず」のこの戦後日本、「長時間労働」は消えていないし、「過労死」はするし、賃金は低いままだし、「自殺」に追いこまれるし、「派遣」は拡大し、「ブラック企業」なるものが蔓延し、「ゆとり」などまったくなく、生活は不安定で、将来のあてなどあるべくもない。なのに、労働はもちあげられつづけ、その反対に怠けることはどこまでいっても非難されるのである。バカみたいに働いてもロクなことなどないのに、労働を拒むことは事実上タブーでありつづけている。

 そんな「労働」をめぐる問いから、本書は「社畜」、「おたく」、「ゆとり」、「コミケ」、「ブラック企業」、「日本会議」そのほか、最近よく目にし、世間をさわがす言葉をめぐって考察がくわえられている。現代文化論といっていい体裁ではあるが、といっても、たんなる著者の主観的な印象戯評のたぐいではなく、そのさい、古今の学説、理論などがきっちり参照され、まっとうな批判の軸をもって、われわれが生きるこの日本社会の「救いのなさ」の「救いよう」が論じられてゆく。

 そして、ここ二、三〇年ほどのトピック――世相、事件、流行、出来事など――を、本書は一気に思い起こさせてくれるだろう。その時代を生きた者はいまいちどふりかえっておのれの人生を解釈してみてもいいし、生きていなかった者はじぶんがいま生きる社会がどういうものの延長にあるのかという構図を本書はあたえてくれるはずだ。本来であれば、気が重くなるテーマの群れなのだが、著者の筆致はエッセイ風であり、とてもわかりやすく書かれていて、その点でも苦痛なく読めるとおもう。

 さいごのほうで、この「労働」、「働くこと」への処方箋として、ベーシックインカムが肯定的に紹介されるが、論争的なこの概念にたいし、それを支持しない者も、あるいは支持する者どうしでもさまざまな立場がありうるものの、評者としては、ここで著者が立脚している視点にさほど違和感を感じることはなかった。ベーシックインカムにかんしては「しょせんカネ、されどカネ」ということについて、もっと考究が深められていいはずであり、本書はそこまで踏みこんでいる。

 そして、さいごに水木しげるが登場させられる。「なまけ者になりなさい」。水木しげるは大好きなのだが、その「睡眠至上主義」を寡聞にして知らなかった。不明を恥じるのみである。まあ、もちろん、そういうひとであろうことはとくに指摘されなくともわかるわけだが……。

 そうなのだ。よく寝ること。眠ることができること。慢性疲労でも鬱でもでもなんでも、ちゃんと眠れることが、症状を昂進させず、治癒するためにも、ひとが気持ちよく生きるためにも、なにより大事なのだ。さらにいえば――評者なりに〈水木的に〉つけたすとするなら、気持ちよく排泄ができること――というのもつけくわえておくべきなのだろうか。いずれにせよ、ひとはよく眠るために、労働を減らし、もっと余裕をもつ必要があるのだ。それゆえにこその『怠ける権利!』だ。

 にしても――手前みそで申し訳ないが――評者も今年のはじめ、『現代社会用語集』(新評論)という本を出したが、じつは本書に出てくる考え方の道具立てや道筋がけっこう重なっているところがあって、なんとも心づよく感じたしだいである。あと、評者など――「社会学」が肩書になっているくせに――世事にうとい者からすれば、本書が提示するさまざまな材料からいろいろ示唆されるところがあってありがたかった、ということも述べておきたい。

 (社会学、労働運動史)

誤解や無理解が当事者にどのように受けとめられるか

――他人との「見えない違い」に名前を与えられること
評者:永田希

 ■人を「アスペ」と呼んで蔑む人をたまに見かけます。この「アスペ」とはアスペルガー症候群を略したもの。アスペルガー症候群の考え方は、従来の自閉症には含まれないケースを自閉症の一部として捉えるもので、1981年以降に世界的に広まりました。アスペルガー症候群の考え方が普及するよりも前、自閉症は「対人の関心がほぼ皆無で、言語能力も著しく乏しい」ことが特徴とされていました。アスペルガー症候群と診断される人は言語で意思疎通できるし、他人への関心もある、つまりそれまでの自閉症とは別種のものとして捉えられます。

 冒頭に書いたように、日本でもアスペルガー症候群には侮蔑的な偏見が向けられることが少なくありません。しかしフランスではさらに理解が遅れているようです。自閉症の原因は「母親の冷たい心」であると主張したベッテルハイムの理論のように、自閉症を後天的なものだと捉える考え方がフランスではいまだに支持されており、国際的には「自閉症に関してはフランスは40年遅れている」とのこと。またこれはフランスに限ったことではなさそうですが、映画『レインマン』で描かれたような天才的な記憶力や計算能力をもつサヴァン症候群とアスペルガー症候群はしばしば混同されます。アスペルガー症候群と高い記憶力、高い計算能力は必ずしも関係しないにもかかわらず、そうなのです。

 27歳の主人公マルグリットが、職場や隣人関係でアスペルガー症候群独特の苦しみを抱えながら暮らし、ある日とうとう診断を勝ちとり、新しい人生を歩みはじめる様子を描いた『見えない違い――私はアスペルガー』では、誤解や無理解が当事者にどのように受けとめられるのか、わかりやすく描きだされています。

 マルグリットは会社で誰よりも早く出勤しますが、どやどやとやってくる同僚たちのざわめきを耳にして、彼らに挨拶と愛想笑いをするだけでもうくたびれてしまいます。同僚たちの話し声、キーボードを叩く音、ヒールが床にぶつかる音、コピー機の音、時計の針の音までもが、彼女の神経をすり減らします。ストレスが限界に達したマルグリットはトイレに行って床に座ってようやく落ち着く。同僚との何気ない会話でも「失敗」してしまうし、隣人や恋人、親戚との関係もうまくいきません。

 そんな生きづらさの原因を探るべくインターネット検索をしたマルグリットはアスペルガー症候群を知るのですが、精神科医は「あなたはとても自閉症には見えません」「インターネット上の記事など信じてはいけません」と言います。自閉症センターの検査を受けてアスペルガー症候群の診断を得たマルグリットに、3歳の頃から彼女を診ている主治医はこう言うのです「自閉症は流行り」「君は自閉症じゃない、安心して。誤診だよ!」と。しかし精神科医や主治医の言葉ではなく、自閉症センターの診断を信じるマルグリットは、他人との「見えない違い」に名前を与えられることで安心し、自分の疲労を自覚・管理できるようになっていきます。

 本作には、アスペルガー症候群を「治す」特効薬や治療法の描写はありません。ある種の障害や特性としてその傾向を捉え、その傾向とどのように折り合いをつけて生きていくのかということが肝心なのです。現実の発達障害当事者が誰でもマルグリットのような前向きさを手に入れられるとは限りません。本書を翻訳した原正人氏がオンラインで公開している解説(「Comic Street外漫街」)には、日本で描かれたアスペルガー症候群当事者のエッセイコミックも紹介されているので、興味を持った方はそちらも合わせてチェックしてみてください。

 (書評家)