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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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折口信夫こそ野生だ!

――折口信夫こそ野生だ!
対談:持田叙子×中沢新一

 ■このたび、近代文学研究者の持田叙子氏が『折口信夫 秘恋の道』を慶應義塾大学出版会から上梓した。本書は民俗学者で国文学者、また詩人・歌人でもあった折口信夫の、大阪の少年時代から若き教師時代、そして晩年までの人生を「恋愛小説」のかたちでたどった、多角的でユニークな渾身の評伝/物語である。本書の刊行を記念して、著者の持田叙子氏と、折口論も数多く執筆している思想家・人類学者の中沢新一氏とのトークイベントが10月6日、紀伊國屋書店新宿本店にて行われた。本稿はその採録である。(村田優・本紙編集)

 ■モダニズム小説としての『死者の書』

 中沢 持田さんの著書『荷風へ、ようこそ』(慶應義塾大学出版会)は、僕が荷風ファンであることもあり大変面白く読みました。流れるような文章も非常に読みやすく、そのころから書き手として非常に注目していました。また、昨年は持田さんが解説を担当した折口信夫訳の『口訳万葉集』(岩波現代文庫)を読みましたが、その解説が破天荒でびっくりしました。僕は『口訳万葉集』の成立経緯をよく知りませんでした。それまで、『口訳万葉集』は折口が精神的にも安定した立場から著した本であるくらいに思っていたのですが、実際は当時の学生相手に何時間も情熱を尽くして『万葉集』をすべて口訳していくことで生まれたシュトゥルム・ウント・ドランクの書だった。以前に『口訳万葉集』を読んだときは、その大胆さ、斬新さに驚いていたのですが、その経緯が書かれた解説を読んで、これは本当にとんでもない、国文学には滅多に出てこない文章だと思いました。国文学者の文章は比較的穏やかなものが多いのですが、持田さんの文章はまったくそうではない。精力がほとばしっている。

 このたび刊行された『折口信夫 秘恋の道』も、「恋」という側面から新たな折口像を打ち出そうとした、大変ユニークな伝記です。折口は「恋」を古代日本語どおりに理解していたと思います。それは、なにかを強烈に求める――「こう」――感情を表した、重大な概念です。折口にとってその「恋」の相手が女性であろうが男性であろうが大した問題ではなく、男女を超えたものを求めた結果として、自分たちの周りにたまたま現われた人たちにその思いが注がれていった。その過程をこの本では生々しく、美しく描いています。折口の本質もまた、そうした「恋」という言葉によく表わされていると感じましたが、持田さんはいつごろからこの評伝/物語を着想されたのですか?

 持田 私の折口体験は、高校生のときに『死者の書』の「した した した。」という雫のつたう暗闇の描写に胸を打たれたところから始まりました。今まで本で読んだことのない、音でもなく、声でもないなにかに、強烈に引きつけられました。わからないまま『古代研究』も一人で読みました。今思えば、あのときから折口信夫を主人公とした恋の魂の小説を書きたかったのだと思います。

 中沢 僕が『死者の書』を読んだのは一九歳のときで、持田さんと比べるとちょっと遅い。そのころ平凡社から出ていたユニークな『伝統と現代』という本に載っていた『死者の書』を読んだのがはじめです。そのときは本当に圧倒されましたね。この『伝統と現代』はボルヘスやサングィネーティ、パノフスキーといった、当時のモダニズム文学・芸術の最先端の研究論考を集めた一冊でしたが、そのなかに折口の『死者の書』が入っている。これはとても画期的なことだったと思います。それまで折口の小説をどう理解すればいいか多くの日本人はわからなかったのですが、編集を担当した篠田一士さんはそこでジョイスの『ユリシーズ』に匹敵する、ウルトラモダンの小説なのだとはじめて定義しました。僕も篠田さんが書いていることに共感しましたが、その評価が今日では定着している。『死者の書』の冒頭は音から始まっていて、聴覚を刺激していく一方、『ユリシーズ』は視覚から始まっている。耳か眼か、その違いがあっても、どちらも人間の無意識にまで入っていくモダニズム小説の大傑作だという篠田さんの解説に影響を受けてしまったので、僕は折口信夫を最初から超モダン的な作家として捉えるようになり、後に自分の折口論にも『古代から来た未来人 折口信夫』(ちくまプリマー新書)というようなタイトルをつけてしまった(笑)。それから皆さんと同じように『古代研究』を読みはじめた次第です。

 持田 やはり「した した した。」という音はすごいですよね。私自身はジョイスとのつながりを知らずに折口に直接入りましたが、それまで意味を伝える小説の言葉としか出会っていなかったので、それ以外の機能を持った折口の言葉に仰天しました。

 中沢 その感覚はモダニズム小説の大きな主題だったのではないでしょうか。当時は哲学でも現象学が出てきて、哲学の概念を一つ一つ積み上げていくことで世界がわかる、といった考え方を打ち倒してしまった。概念というものも、物質や生命のなかから現われてくるものだと考えられるようになりました。そして小説もまた、音の響きの世界をくぐり抜け、意味をかきわけて出てくるものを描いていく運動となっていく。詩人ではマラルメ、小説家ではヴァージニア・ウルフやジョイスらが自分の主題としてそうした文学を生み出していきましたが、折口さんは日本においてその問題意識を我がものとしていて、かつてのモダニズム文学より、ある面では進んだことを実験していたように思えます。

 持田 先ほどお話に出ました『口訳万葉集』について、私が授業でいっしょに折口を読んでいる学生たちのなかで「これは台詞ですよね?」と指摘してきた若者がいて、鋭いなと思いました。通常の訳だと、こうなって、気持ちがああで、などというように説明していくのですが、折口の『口訳万葉集』は折口自身がその歌を飲み込んで、恋する男や女、恋する大君と化し、自分の台詞として言ってしまっている。折口訳の特色はその演劇性の強い「台詞」にあったのだと思いました。

 中沢 折口さんの行っている『万葉集』のどの歌の解釈も面白かったのですが、特に僕は東歌が気になりました。男女の恋について解釈しているときに、突然その恋と空に架かっている虹を結びつけてしまう。それを読んで、この人にとっての恋とは人間を超えて自然物にまで一気に広がっていくのだと思いました。当時は折口自身が若かったからこのような発想にまで至ったのかと思いましたが、『古代研究』を読むとそういう思考が一貫していて、折口信夫という人は非常識な人だなぁと感じて、もっと好きになりました。僕も学生時代、周囲から非常識な人間だと言われてきましたから(笑)。大学院に進学するときも、あんな奴を入れると研究室の伝統が崩壊する、と猛反対する先生がいましたね。

 持田 それは折口信夫とそっくりですね(笑)。

 中沢 本書の折口像を読んでいろいろ考えまして、『古代研究』を読んだときのその感覚もあながち外れていなかったんだなと思いました(笑)。僕は「野生」という言葉をよく使いますが、折口信夫こそが野性です。マッチョではなくてスサノオみたいに破天荒で非常識な人ですから。

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絶対的な特異性=単独性において立ち現れる、稀なエクリチュール

――書物というもう一つの迷宮へとみずからの記憶を再構築
評者:守中高明

 ■自己の生の軌跡をたどること――だが、一つの遠近法のもとにその全体を見通しつつ整序化された物語として描き出すのではなく、けっして「全体」に収斂することのない断片の数々を拾い集めたがいに寄り添わせながら、記憶の迷宮を歩むこと、それも「いまは死者となっている人々の痕跡」に導かれながら、その多方向への歩みを織り合わせることで、書物というもう一つの迷宮へとみずからの記憶を再構築し、多層化し、そしてノスタルジーとは異なる新たに鳴り響く音域を産み出すこと――それがここでの著者の試みである。

 ■自己の生の軌跡をたどること――だが、一つの遠近法のもとにその全体を見通しつつ整序化された物語として描き出すのではなく、けっして「全体」に収斂することのない断片の数々を拾い集めたがいに寄り添わせながら、記憶の迷宮を歩むこと、それも「いまは死者となっている人々の痕跡」に導かれながら、その多方向への歩みを織り合わせることで、書物というもう一つの迷宮へとみずからの記憶を再構築し、多層化し、そしてノスタルジーとは異なる新たに鳴り響く音域を産み出すこと――それがここでの著者の試みである。

 平出隆がすぐれて越境の人であることは広く知られるとおりだ。傑作『家の緑閃光』や『左手日記例言』は、詩というジャンルにおける実践でありつつ、散文性の徹底した追及によってジャンルの法則を問い直し、「現代詩」という領域そのものを刷新するラディカルな冒険であった。そのラディカリズムは、本書においても貫徹されており、しかし、ここでは生涯を彩るかけがえのない存在たちとの出会いが主題であるがゆえに、言葉はどこまでも優しくかつこのうえなく繊細である。「自伝的エッセー」というジャンルの惰性態が、焦点の移動と集中を繰り返す「文」の自在な運動によって、ここでは見事に変革されているのが読まれるのだ。

 一方に、幼年期・少年期への眼差しがある。著者が創案し二〇一〇年以来刊行し続けている「表紙が封筒状になっている」独自の小型薄型本のはるかな祖型とも言うべき手作りの本を贈った中学時代の親友「山路君」、そして彼と分かち合った数学への情熱。あるいは「平出種作」――「大学も高校も中学も出ていない」にもかかわらず、独学のエスペランティストにして五か国語をあやつる植物学者・動物学者であったこの父方の祖父が遺した蔵書のアウラ、そこから窺われる知的交友関係の奥深さ。あるいは北九州・門司の団地前の空き地で「三歳のときから、母親オリジナルのひとりきりのユニフォーム」を着て草野球をして遊んだ子供の平出隆――のちの名著『白球礼讃』『ベースボールの詩学』の底流にその体験があることが、鮮明なイメージとともに語られている。

 他方にあるのが、高校時代・受験浪人時代から始まり、上京後の大学生時代を経て、プロとなるにいたるまでの文学系雑誌や書籍の編集者としての時間である。高校時代から「マキノ雅弘や加藤泰といった監督たちの職人芸」がつくる「任侠やくざ映画」を全共闘の渦中にいた大学生と同じ感受性で観続け、大学入学と同時に上京後は「ようやく来た獲物」と対面するようにして「状況劇場」「演劇センター68/70」「早稲田小劇場」に代表される同時代の前衛演劇、ゴダール、ブニュエル、フェリーニ、ブレッソン、大島渚、飯村隆彦等々の映画、そして土方巽とその弟子たちの暗黒舞踏を「独り立ちを求められる幼い獣のように」全身で吸収していきながら、平出隆は、ついに生涯の師となる出口裕弘と出会うことになる。卒業後、文芸誌の担当編集者となってからの逸話は、もう一人の師・晩年の川崎長太郎のそれと並んで、どれも忘れがたい印象を読む者に残さずにはいない。さらにあるいは……。

 これらの記憶が、しかし、たんなる追想録の物語形式に回収されはせず、その構造に馴致されはしないことこそが、本書の最大の特徴であり、最大の力である。著者はある個所で、「手紙の不可能性や日記の不可能性を見据えつつ、その不可能性の中で」書かれたカフカの手紙や日記にかつて強く惹かれたことを明言しているが、本書において平出隆は、まさに追想録の不可能性を見据えつつ、その不可能性を条件として真正面から引き受けている。その結果、本書は、そこに名指される存在たちの一つひとつがすべて、記憶への内面化作用を超えてそのつど絶対的な特異性=単独性において立ち現れる、稀なエクリチュールとなった。記憶の迷宮を、その錯綜する痕跡をそのまま保持し差し出す言語の装置。

 これは、言うまでもなく、反時代的な実践である。だが、『ベルリンの幼年時代』のヴァルター・ベンヤミンの実践がそうであったのとまったく同じ意味において、この反時代性こそが高度情報化社会を生きる現在の私たちに不可欠の理念であり、忘れてはならない宛先なのである。

 (早稲田大学教授・フランス現代思想)

独創に値する方法論の書

――今日の俳句表現の思想的な根拠を示す
評者:大井恒行

 ■世間に流布している一般的な入門書ではない。だが、明解で分かりやすく、読みやすい俳句入門書である。俳句作品を読み解くことによって、結果的に類を見ない優れた俳句入門書になっていると言える。加えて、様々な俳句の読み方を提示しているが、俳句はこうあるべきだという、あるべき俳句を強制しようとしてはいない。ぼくは入門書とあえて言っているが、独創に値する方法論の書である。旧弊をかこつ俳句作法(技法)についての慧眼、批評があり、創見がある。本書副題に「そのレトリック」とあるが、著者の長年の句作経験によって季語の名付け、曰く「はすかいの季語」などを試みている。例えば「風花」や「麦秋」について次のように言う。

 「風花」は、「風の花(春)」なのに「雪(冬)」であるというように季節がずれています。夏の季語「麦秋」「麦の秋」の場合は、季語を構成する言葉そのものがずれています。こうした内に季節のずれを持つ季語のことを「はすかいの季語」と呼ぶことにします。

 さらにこの伝で、「葉桜」「花は葉に」「桜の実」のような夏の季語は、内にその季節を含んでいない季節を含んでいる、と言い、それは「桜(春)」だというように。これを著者は「面影の季語」と名付けている。このレトリックによって季語信奉者への揶揄も可能となっていよう。

 とはいえ、中でもぼくを感銘させたのは「核の書き様」という項目があることである。かつてこのような項目を俳句入門書に掲げた本があっただろうか。この本は入門書でありながら世にあるハウツーものではない。その意味では「核の書き様」は武馬久仁裕の本書における思想の核でもある。だからこそ、この項目の書き出しを「戦後俳句は、ある意味原爆の句から始まりました。このことは、心にとどめるべきです」と書かなければならなかったのだ。そして、著者の眼差しは、当然のように「『三・一一以後』の書き方」に繋がっている。敗戦時の原爆を詠んだ西東三鬼「広島や卵食ふ時口ひらく」の句を「核からの戦後俳句」の項の最初に置き、かつ、渡邊白泉「地平より原爆に照らされたき日」(この句は、昭和二十九年三月一日にビキニ環礁で被爆した第五福竜丸事件に触発されている)を、「この句は、原爆というおぞましいものによって美しく輝く自分を願う句なのです。そして、照らされるときは一瞬であり、それは同時に自己の完全なる消滅の時です」と記すのである。

 そうして「核の書き様」の最後に三・一一後に書かれた夏石番矢「誰も見つめられない津波に消された人たち」の無季の句を挙げ、

 「津波に消された人たち」は「誰も見つめられない」。

 そして、「津波に消された人たち」を「誰も見つめられない」。

 見つめるべき人たちも、一瞬の内に「津波」によって消滅してしまったのです。

 誰も彼もが消滅し、互いに見つめ合う関係も消滅し、後には無人の曠野が果てしなく拡がるのみです。

 と、述べていることに深く繋がっていよう。じつはこの項目の直前には「朧と放射線」の項がまるで「核の書き様」の露払いのように置かれている。それは三・一一の直前に同人誌「ロマネコンテイ」で発表された句「朧夜や原子力船解体す 片山一樹」「プルトニューム積み出す朧夜の車体 椙山翔」について「『朧夜』という季語によって、原子力は、図らずも俳句的美の世界に包摂されたと言えよう」と、一句がいわゆる季語的情緒に収斂されていることを指摘している。予言のようにさえ思えるこの句の先見性が、三・一一以後、図らずも「ヨウ素セシウムプルトニウムという朧 三上史郎」として詠まれる現実を目の当たりにすることになる。

 しかし、それでもなお、「私たちは、ここからさらに一歩を進め、この地上に句を書く人物を含め誰一人居なくなった世界、そんな世界を書かなければならないのです」と結んでいる。つまり、本書における「核の書き様」こそは、今日の俳句表現の思想的な根拠を示したマニュフェストにほかならないのだ。

 (俳人)