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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3378号(12月1日発売号掲載)

特集 哲学なき時代に哲学する本

民主主義の鬼子としてのドローン

評者:橋本一径

 ■ドローンをめぐっては、流通などへの応用が期待され、新たなビジネスチャンスとの思惑がうごめくようになって久しい。そのドローンの起源は、本書で主に取り扱われる、無人攻撃機である。「ぶんぶん蜂」を意味する「ドローン」が、訓練用の標的として用いられた無人飛行機を意味するようになったのは、第二次大戦末のことだ。やがてそれは無人偵察機となり、さらにそこにミサイルを搭載するというアイデアが実践に移されたのは、二〇〇〇年前後のことである。著者のグレゴワール・シャマユーは、本書に先立ちこれまでに「人体実験」そして「人間狩り」を主題とする著作を世に問うているが(前者『人体実験の哲学』が同じく明石書店より翻訳刊行されたところだ)、一連の著作で彼が粘り強く問い続けているのは、「罪を問われずに人を殺す」とはどういうことなのか、という問題である。

 ではドローンによる殺人は、どのように「免罪」されているのだろうか。シャマユーによればドローンは「人道的な武器」であるとすら呼ばれることがあるという。第一にそれは自国の兵士の身を守るからだ。ドローンを遠隔操作するパイロットが、地上から敵に撃ち落とされる可能性はゼロである。しかもドローンが守るのは、「われわれ」の生命だけではないという。有人の爆撃機がパイロットの安全を考慮して、極めて高い上空から爆撃を行うのに対して、目標に限りなく接近できるドローンは、「副次的被害」をもたらす恐れが少ないだろう。このようなドローンの「人道性」を喧伝する「戦争倫理学者」の中には、軍事産業からの支援を受けている者もいるのだという。軍事研究問題は、人文系の研究者にとっても決して他人事ではないことを思い知らされる。

 このようなドローン擁護論が、「善く生きること」についての教義であるはずの本来の倫理学から逸脱した、「善く殺す」ための「死倫理学」だとして批判するシャマユーが指摘するのは、こうした議論が陥っているカテゴリーの混同である。戦争において殺人が合法とされうるのは、交戦者が互いに平等であると想定されているからである。つまり殺すか殺されるかは、戦場では紙一重であるということだ。もちろん現実には、一方の交戦国が武力で圧倒的に勝る、非対称な戦争も無数に存在するだろう。しかしドローン攻撃においては、一方の側が殺される可能性は皆無なのだから、もはや平等性は建前としてすら成立しない。しかもドローンは、戦争において欠かせない戦闘地域と非戦闘地域との区別を無効にしてしまう。ドローンが市街地まで「標的」を追い詰めるとき、そこで繰り広げられているのは、もはや「戦争」ではなく、「ある種の狩り」であり、「死刑執行ないし屠殺」である。すでに「戦争」ではないドローン攻撃に、「戦争」のカテゴリーを当てはめて擁護する議論を、シャマユーは厳しく批判するのである。

 だが、ドローン攻撃が「戦争」であってほしいと願っているのは、「戦争倫理学者」たちばかりではないのかもしれない。なぜなら私たちの民主主義は、戦争の主体としての国家を基盤としているからである。カントによれば、国家が国民を家畜のように自由に戦争に送り出すことのできる動物政治学的な体制に対置されるのが、市民権の原理である。この原理によれば、国家が戦争を宣告できるのは、「自らの生命を危険に晒すことになる市民たちが、共和主義的な投票によって、自らの「自由な意志」を表明した場合」のみである。市民は死の危険に晒される危険を有するがゆえに、国家に対して、そのようなことに否を唱える権力を持たなければならない。もちろん市民が積極的に戦争に参加を望むことは稀であるので、共和制には、平和へと向かうメカニズムが、自動的に組み込まれていることになる。それこそが今日「民主主義」と呼ばれている体制である。

 だとすればドローンとは、民主主義が産み落としたものだとすら言えるのかもしれない。共和制の原点が、自らの命を危険に晒すことに対する、市民から国家への拒否権であるとすれば、兵士の生命すら危険に晒さないドローンに対して、市民は否を突きつけることができるのであろうか。「戦場に行きたくない」という市民の声は、確かに「戦争」を消滅させつつあるのかもしれないが、そのかわりに生み出されたのは平和ではなく、ドローン攻撃だった。この新たな暴力を阻止するための理路を、現代の民主主義は持ち合わせていないのではないか。本書が提起する極めて重い問いである。

 解決策も示唆されていないわけではない。戦争に対する民主主義的な拒否は常に、自らが武器を取ることの拒否であった。これに対し、ドローン時代の異議申し立ては、自らが標的となることの拒否とならなければならない。実際、軍隊よりも警察のそれに近いドローンの暴力は、空飛ぶ監視カメラとして、あらゆる市民に牙をむく可能性があるだろう。戦争に対する異議申し立てから育まれたのが民主主義だとすれば、ドローン攻撃に対する異議申し立てから新たな体制を生み出すことが、今日の私たちにとっての急務である。

 (早稲田大学教授)

戦後のアートと政治空間へと開く一つの導きの糸

――高橋悠治は一九六八年をいかにくぐり抜けたか
評者:中山弘明

 ■「高橋悠治伝説」といったものがある。著者はその下限年齢を「三〇代後半」としている。村上龍が語る、高橋が弾く武満徹『アステリズム』の凄絶なクレッシェンドの「神話」などもその代表格と言えようか。私も幾度かコンサート会場のロビーに佇み、どこかものうげに「あさっての方をにらみながらしゃべる」高橋の姿を、「神秘的」な思いでみかけたものだ。本書に出てくるL・バーンスタインの交響曲『不安の時代』の日本初演。一九七〇年一月一六日に関わる貴重な思い出を、退職した元同僚から聞いた。指揮は小澤征爾、ピアノは当の高橋である。当時、日本フィルの練習場は市ヶ谷河田町、旧フジテレビ入口で、知人が日本フィルの事務長だった関係で、そのリハと本番に立ち会うことが出来たという。「本番前の待ち時間に暗い客席でひっそりと読書している」高橋の姿を鮮明に記憶し語ってくれた同僚は、私に彼の著書『ことばをもって音をたちきれ』を残して退職していった。本書で、七〇年代前半、藝大に学ぶ著者が、「持っているだけでかっこいいという雰囲気があった」本として名を挙げているものである。そんな本がかつてはあった。

 そのような「伝説」の内実を、本書は実に精緻に分析していく。今一人の神秘的ピアニスト「グレン・グールド」との対比。六〇年代、「草月アートセンター」を中心とした「前衛」の時空間。ここで彼は、ピアニストを脱皮して作曲家としての道を歩み始める。さらにこうした実験の時代を離れ、彼が政治的に転回し、西洋人の楽器の使い方への懐疑から水牛楽団を結成していく七〇年代。彼はこの時代、三里塚へも向かう。そしてさながら音楽史を遡行するように、音という素材へのこだわりから、あるいはその「間」や「揺れ」から、音楽家として、いや人間として「孤立」してあることを追求する過程。さらには、「連弾」「共演」という共に演奏する悦びへと歩みをすすめていくまで。本書になまなかの音楽書とは異なる「力」を与えているのは、何よりもその「実証性」ではないだろうか。著者は、けして高橋本人との私的な関わりに依存して書くことをしない。それは「人の記憶には限界があるから、具体的な事実をおさえておかなければならない」との信念に基づき、「活字になったコンサート評」を、時にネットのアーカイブ、また時に大宅文庫へも足を運び、丹念に当時の内外の新聞雑誌に眼を配りながら、高橋の姿を追いかける。

 私は、本書の中で「高橋悠治が一九六八年をいかにくぐり抜けたか」に強い関心を覚えた。「六八年」とは言うまでもなく、様々なアート、芸能、政治、風俗の場面で「異議申し立て」が表面化し、そして七〇年の万博を契機にそれが急速に「失速」していく時代として現在、脚光を浴びている。高橋がその時代をまさに駆け抜けた一人であることは銘記されてよい。音楽史に限定しても、六二年の有名な「J・ケージ・ショック」の前年、高橋は同じ草月会館で現代曲ばかりのピアノリサイタルを開きクセナキスと邂逅する。一柳慧、オノ・ヨーコ、粟津潔らとのコラボもある。六七年に飛べば武満徹『ノヴェンバー・ステップス』のニューヨークでの初演。それに先だってシュトックハウゼンの来日や東洋の音素材とした作品も試みられる。また高橋は、七〇年の万博の鉄鋼館で、「音響彫刻バッシェ」に管楽器と3元ステレオをミックスした「エゲン」を発表してもいる。さらに音楽の政治性をめぐっては、本書がとりあげ、高橋に強い影響を与えたF・ジェフスキーのチリの抵抗歌に基づく「不屈の民による変奏曲」が初演された七三年に前後して、W・ヘンツェによるゲバラに捧げられた作品や、ベトナム解放戦線の「歌」の引用された交響曲など、メッセージ性の強い作品群の成立がある。L・ノーノや尹伊桑も同時代の存在だ。当時、芸術家であることは、政治的立ち位置を常に問われることでもあった。

 高橋の政治的左傾化とマオイズムへの接近の背景に、著者は東京音楽学校を中退して左翼運動に入り、「労農党」の雑誌編集にも関わった父の存在と、湘南学園時代の友人で、後に経済学者となった青木昌彦の影響を見ている。「青木を感化した高橋自身も東大ブントのそばにいた」という指摘が目を引く。そう考えるなら、近代的な価値観が揺らぎ、学生運動や社会闘争の中にアートが組み込まれていった六八年という時代にあって、当時の絵画・演劇・舞踏・映画・建築・デザインそしてファッションの中で彼がどう動いたかはもっと注目されてよいはずだ。ちなみに本書から拾い出せる、高橋のファッションの動勢はどうだろうか。七〇年の彼が「白ずくめでウェストを絞った、ハイネックの上着にラッパズボン。首には数珠のようなネックレス、まるでグループサウンズだ」と評されているのに対して、七五年のコンサート評では、「高橋はスポーツシャツにジーパン、うすい革のつっかけ」で舞台に現れたという。さらに八〇年代に至ると「民族衣装らしい凝った刺繍のベスト。ボトムはロールアップしたチノパンにスニーカー」姿と捉えられている。そう考えると小澤征爾の七〇年代のスタイルも、その後の燕尾服姿とは明らかに違って、アメリカのヒッピー風俗を多分に意識したものであったことに気づく。

 こうした六八年をめぐる時空間と「高橋悠治の時代」を交差させれば、その後の彼の音素材への強いこだわりも、例えばこの時代、アートの世界に現れた、所謂「もの派」などの現象と近似的ではなかったか。それはわれわれの身の回りにある、なんの変哲もない石や木、そして大地そのものを素材とした。また森山大道らの写真誌『プロヴォーク』は、敢えて現実の中に「ブレ」や「ボケ」を盛り込むことで、写真そのものの創造性を問いかけた。本書には、現に高橋と親炙したクセナキスが「建築家」であった事実に言及し、高橋の捉える「間」や「揺れ」の時空間構成もその影響下にあるのではないかといった指摘も見られる。高橋にとって、音楽の政治化は、あるいは一つの「挫折」であったのかもしれない。しかし、本書は、まさに「高橋悠治という怪物」を様々な戦後のアートと政治空間へと開く一つの導きの糸となっているように私には思われてならない。

 (徳島文理大学教授)

「多孔性の風景」から現れる未来の記憶

――人間と非人間から成る共通世界への認識を深めようとする
評者:石倉敏明

 ■二十一世紀という時代に生きる私たちが、ヒトという生物とその活動の属性をどのように理解し、総体としての地球の歴史に位置づけてゆくか。そのような問題意識を持った研究が、最近ではさまざまな領域で現れるようになった。オランダの大気化学者パウル・クルッツェンが提唱した「人新世(Anthropocene)」という概念のように、現在では人間の活動力そのものを重要な歴史的動因と見定め、その起源や影響関係を問うことが、科学・芸術・政治・経済といった諸領域の垣根を超えた関心となって、立ち現れている。

 本書は、そのような同時代の課題を共有し、さらにそうした問いから零れ落ちる無数の断片化した視点をも掘り起こしつつ、人間と非人間から成る共通世界への認識を深めようとするものだ。その意味で、本書を同時代の歴史批評として読むことは可能であろう。しかし、本書の射程は「人間的なるもの」の歴史を超え、遥か広大な地層や気象の歴史にまで届いている。

 著者はこれまで写真家として、地球規模の政治的再編とともに出現した「群衆」や、その存在とともに劇的に変容しつつある「自然」のイメージを映し出してきた。そうした表現活動と並行して、著者は諸科学・諸芸術の膨大な成果を横断するユニークな視点から、「記憶」や「イメージの発生」を問う豊かなテキスト群を発表し続けてきた。その関心は同時代の事象に留まらず、「外部へ向かう行動」に促された海洋冒険者たちの歴史や、後期旧石器時代に繁茂した洞窟芸術の考察にまで及ぶ。さらに芸術活動の領域では、メディア・テクノロジーを含む人工環境と、世界各地の生物的・非生物的自然環境の関係を問い直し、制度化された方法論とは異なる活動の方向性を明瞭に提示している。

 本書ではそうした著者の活動の総体を踏まえ、時間と空間の絡まり合った複層的な「風景」の歴史が、瑞々しい文体によって描き出されている。著者は、世界各地のローカルな歴史とミクロな社会的実践に接触し、それらを人間と非人間の錯綜した関係から読み解こうとする。観察された世界像を丹念に繋げてゆくテキストの実践から浮かび上がってくるのは、現代的なものの中に過去や未来が潜む多様体としての歴史であり、無個性化した非―場所性の中にささやかな場所性が回帰する政治的状況であり、人工的にコントロールされた都市空間の内側に複数種の野生的自然が湧き起こるハイブリッドで多元的な地球のイメージである。

 本書の冒頭には、二〇一一年三月十一日に発生した東日本大震災の「風景」として、津波や地震で破砕された家屋、切断された道路、陸地に入り込んだ船といった光景についての考察がある。それらは、後にしめされる、ヨーロッパ北部の築堤人たちによって掘り起こされ、土を積み上げて造成された人工の大地である「ランドスケープ」の起源的イメージと好対照をなす。この対比によって、災害や戦争によって傷ついた大地を修復し、人間の営為を自然の景観に接続しようとしてきた世界各地の民衆による膨大な労働と、今後の地球環境の中で生き抜くためのエコロジカルな叡智の在処が浮き彫りにされる。

 著者はそれらを惑星的な規模で展開する「多孔性の風景」として、まったく新しい仕方で提示している。たとえば測量され、埋め立てられ、宅地や農地として「領土化」された干拓地の技術史的考察は、日本列島史の中で繰り返されたいくつかの大規模な干拓事業ばかりでなく、震災後の集落移転や防潮堤建設の記憶を呼び覚ますかもしれない。それらの「公共事業」を支える制度的思考の外側には、神話・季語・諺・地名・祭事・記念碑として伝承された、土地と人の関係をめぐるさまざまな記憶の痕跡がある。著者はそうした微かな記憶の痕跡を、現代のアーティストたちの活動によって見出された世界像にも通底する、精神性と物質性を備えたハイブリッドな「公景」として鮮やかに立ち上がらせようとするのだ。

 森と川と海が有機的な単位となって太陽エネルギーを循環させ、生息する無数の生物とともに人間社会の豊かな風土を育むことになった海辺や、縄文時代に生きた人々による野焼き活動によって生成されたという黒ボク土の大地。それらは、沿岸漁業と林業の連携によって形成された風土や、焼畑による伝統的な農耕の歴史と切り離すことができない。しかし、永い共生の時間の中で育まれてきた生態学的な条件は、事故や災害によってもろくも変形する可能性がある。

 原発事故後の放射性物質によって汚染され、突如として半減期という尺度に晒されたクリティカルな「風景」は、それ自体の土地に秘められた歴史だけでなく、世界各地に潜在する無数の歴史的時間と通い合い、さらに人間的尺度を超えた未知の歴史へと接続される。本書では、これら複数の「風景」が互いに結び合い、響き合いながら未知の歴史を生成する過程が描き出されている。

 (芸術人類学)