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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3387号(2月9日発売号掲載)

苦しみ・悲しみを見据える石牟礼道子の詩性

天地も鬼神も動かすうたの力を諦めず、模索していかねばならない
評者:河津聖恵

 ■二書のあとがきに、著者はこう記す。「石牟礼さんとの出会いは、私の自己の再発見であった。この出会いなしに、物書きとしての今日の私は存在しない」(『もうひとつのこの世』)。「偉大なる才能なりしかな、その仕事をいささかなりと支えられし幸わせよ」(『預言の悲しみ』)。『もうひとつ』は詩人論、『預言』は書評や主要著作の評釈を中心にまとめたもの。両書を貫く著者の石牟礼への深い愛情と感謝の念が胸を打つ。生涯弱き者たちと魂の次元で苦楽を共にし書き続けた詩人石牟礼道子の姿が、いとおしく立ち上がる。

 編集者として詩人と出会ってから最晩年までの半世紀以上、著者は詩人の生と言葉に寄り添ってきた。原稿を清書し創造の現場に立ち会い、水俣病闘争で共にたたかった。最晩年は口述筆記、身の回りの世話、食事作りまでした。その中で「近代において絶滅の一途を辿った見者・感応者」である詩人の感受性と言語能力を目の当たりにし、「近代的知で成り立っている人間」としての自己はおのずと「近代的な書くという行為を超える根源性」へ向かうこととなった。両書は、魂=生命の次元で感応させる詩人が、すぐれた知の編集者を感応させていった記録でもある。

 「道子は社会運動の闘士ではなく、あくまで詩人だった」。なぜなら彼女は政治的知や言説をこえて「ひとの受難に深く感応せずにはいられぬ魂の持ち主」であり、「その魂はひとの世の成り立ちとは何か、この世界の根源に在るものは何かと問うて悶えた」のだから。「水俣死民」のゼッケンや黒の「怨旗」もまた、患者の苦患を感受し幻視した「もうひとつのこの世」のイメージである。それは「強烈なインスピレーションとなって運動をつき動かした」。まさに身の震えるようなアンガージュマンである。詩人は弱者の苦しみと悲しみを見据えることで「もうひとつのこの世」のイメージを掴み取り、敵の魂に直接揺さぶりをかけたのだ。

 「悶え神」石牟礼道子の詩の核心にあるもの。それは「現実から拒まれた人間が必然的に幻想せざるをえぬ美しさ」、つまり「苦海」が「苦海」であるがゆえにダイレクトに「浄土」へ変貌する、痛苦をとおしての幻想の輝きだ。著者は『苦海浄土』にそうした次元から放たれる詩の輝きを見る。「この世の苦悩と分裂の深さは、彼ら(注‥患者である漁民)に幻視者の眼をあたえる。苦海が浄土となる逆説はそこに成立する。おそらく彼女はこのふたつの章において、彼らの眼に映る自然がどのように美しくありえ、彼らがいとなむ海上生活がどのような至福でありうるかということ以外は、一切描くまいとしているのだ」。この一節は無上の詩論だと思う。「苦海浄土」という造語が意味するものは、苦海即浄土、といういたましくも究極の詩である。詩人の中に宿りえた名もなき民の、水俣病という地獄の底での声なき痛みをとおして、何百年もの生死を抱きつつ立ち現れた不知火海の未曾有の輝き。そのすがたを、著者が引用する『第二部』の舟を浮かべる情景に垣間見ることができる。

 「不知火海は光芒を放ち、空を照り返していた。そのような光芒の中を横切る条痕のように、夕方になると舟たちが小さな浦々から出た。舟たちの一艘一艘は、この二十年のこと、いやもっともっと祖代々のことを無限に乗せていた。それは単なる風物ではなかった。人びとにとって空とは、空華した魂の在るところだった。舟がそこに在る、という形を定めるには、空と海とがなければならず、舟がそこに出てゆくので、海も空も活き返っていた」。

 続けて著者は書く。「日本の近代文学者でこういう文章を書いた者はこれまで一人もいない。これはいわば情景を人類史の透視を通じてうたいあげた、いまだかつてない質の抒情である。作中にはこの種の思索的叙景とでもいうべき文章が随所にちりばめられていて、読むものを魅了せずにはおかない」。「情景を人類史の透視を通じてうたいあげた、いまだかつてない質の抒情」とは、見事な評言だ。なぜ「いまだかつて」なかったか。近現代において詩もまた小説と同じく、「中核に自我と環境との違和を据える」「イッヒ・ロマン」であり、石牟礼道子もまた近代人としての個の苦悩から出発した。しかし彼女の「不幸な意識」は鋭く宿命的な資質であり、「この世とはどうしてもそり反ってしまうような苦しみ」なのだ。『苦海浄土』とは「その苦しみと患者の苦患がおなじ色合い、おなじ音色となってとも鳴りするところに成り立った作品」である。さらに「彼女の個的な感性にはあるたしかな共同的な基礎があって、そのような共同的な基礎はこれまでわが国の歴史でほとんど詩的表現をあたえられることもなかった」。つまり石牟礼道子の稀有な詩性を作り出しているのは、他者の苦患と共鳴する身悶えをとおして顕れる「人類史の透視」=幻視と、「説経節」「歌念仏」のような前近代・古代のうたの力なのだと言えよう。詩人のうたは、「人間にほんとうに生きる根拠を与える『もうひとつのこの世』を、秘歌=悲歌によって呼び返そうとする」ためのものだった。

 この二書は小説をめぐり書かれていても、全て詩人石牟礼道子をめぐる詩論・詩人論であると言っても過言ではない。

 最後に個人的なエピソードを記しておきたい。「石牟礼道子闘病記」(『預言の哀しみ』)は、詩人の最期の様子を知る上で重要な記録だが、二〇一一年の記述に目が止まった。退院して小康状態とあるが、じつはこの年の始め私は詩人から一枚の葉書を頂いている。前年私が詩人たちに呼びかけて作った『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』のことを聞き及んだのだろう、面識もない私に「アンソロジーに賛同します」と代筆でエールを下さったのである。詩人の人柄をしのばせる出来事だが、二書を読み終えた今その言葉の意味が深まっていく。朝鮮人差別への憤りだけでなく、詩といううたの力への深い信頼と期待がそこに込められていたのだ、と。八年前からの、いや遥か古えからの詩の輝きに射すくめられるようだ。天地も鬼神も動かすうたの力を諦めず、模索していかねばと思う。

 (詩人)

たゆたう囲繞地としての文学、その出口

――詩の精神のバトルの、手に汗を握る物語
評者:田中庸介

 ■退嬰と頽廃のエクスタシーを旨とし、精神の腐蝕性をもつ美学は、もう長い間文学のメインストリームから遠いようだ。内閉するがゆえに高度な精神性を実現するような文学の囲繞地はもはや不可能なのだろうか。エクスタシー。エクスタシーの記述。エクスタシーの記述の記載。エクスタシーゆえの認識の誤謬の記載。ごっちゃりした肉野菜炒めを食べるようにではなく、かさこそと枯葉のページを繰るように、本書にはそんな「秘苑」のかそけきエクスタシーを希求する作者のしたたかな意思が感じられる。

 文学のある分野において「秘苑」とは女性のそのものを指す用語ではなかったかと思われるが、本書では性愛はつねに単独者のそれとして、あるいはLGBTやペドのそれとして語られ、ストレートな異性愛は外されている。さまざまなイメージが「屹立したもの」の謂としてとらえられるが、そこに対幻想は存在しない。自らに見合いそうな他者が「真向かいの対岸」に出現したとたん、それまでの凛とした自信は打ち砕かれて、「闇の中を行き交う名前のないものの一つ」へと自らも墜落しそうになる気分を覚えてしまう(「二人」)。

 しかし「比喩」と「歳月」、そして心の傷こそが、この「秘苑」の出入口を見つけるヒントだ。「そこにはいるために必要なのは/傷を負った無意識と/蛋白石の艶をおびた比喩」(「割符」全篇)、あるいは「そこから出るために必要なのは/傷が癒えたと錯覚しうるまでにかかる歳月と/水にほとびた乱数表の断片」(「門」全篇)。「秘苑」は島のように「無」に限りなく囲繞され、「無」へと続く道の途上にあるが、断じて「無」そのものではない(というところに、吉本隆明の晩年の詩の無のテーゼへの批判が感じられる)。このような足場の存在から巻き戻すようにして、この詩集の全貌をつかむことはできないだろうか。

 「マンネンロウ/タラゴン/ケシ/パセリ/セージ/キナ/マオウ/トウゴマ/フウトウカズラ/ニラ/ヒヨス/みな芽を出さない/しかしわたしの夜の楽園は/このうつくしい空虚によって/すでに十分すぎるほど豊熟である」(「球根」後半)。「うつくしい空虚」というところがとても良い。植物の名前や青色への偏愛。内部が外部であり外部が内部であるという恐ろしい密教的なニルヴァーナの幻想。「密」と見まごう「蜜」の一文字。どの詩篇もよく構想され、強く連打されることばの圧力に満ち満ちている。

 作者自註に引かれたヴォルテールのことば“Il faut cultiver notre jardin.”は、自分の庭を耕しなさいという程のメッセージかと思う。「耕される庭」はそもそも自分の「外部」にあるもので、そこに花や作物を育て、そこから果実あるいは芋を収穫すべきものだろうけれども、かたや「秘苑」は自分の精神の内部に育てるべきもの。だから、時が満ちたら意図的に「外」に出なければ、自己撞着を免れ得ない。ここが科学研究と人文学の一番の違いかもしれない。

 「わたし」は「よりわける者」だったが「織りあげる者」にはどうしてもなれない、と詩「糸」で作者は書く。あまりにも鋭すぎる自己批判が読者にも刺さる。「秘苑を囲んで流れる川/濁った水には月も星も映らない/その岸に沿って忍び足で警邏する/醜く太った老人がいるのだという」(「庭番」)。これは定番の漁夫王のイメージであるが、戦後詩の巨人、鮎川信夫が描いた「囲繞地」のイメージも同時に含んでいる。数限りない現代詩へのオマージュ。だが「わたしの詩には/掌にのる/透明な/水の銃弾が欠けている/だからわたしはいつまでも不能」「しかし もし生が帰途のない航海であるのなら/わたしは死という港のはるか手前のこの庭で/ずっと難船しつづけているのかもしれぬ」(「前夜」)。そう、あれほどまでに強いエクスタシーへの希求があっても、近代のインポテンツの荒地はともすると、ひそかにまた詩に忍び寄ってこようとするのだ――。本書はそのような詩の精神のバトルの、手に汗を握る物語である。

 (詩人)

抵抗することは否ということ、積極的かつ創造的な行為である

――二一世紀を生きる私たちへの、トドロフ最後のメッセージ
評者:三輪智博

 ■「世紀の進行は、個別の正義、個別の不正義よりも力強く鳴り響く」。ロシアの詩人ボリス・パステルナークは、一九三五年にそううたった。ときはナチス・ドイツの脅威が日増しに強まり、ソ連が対外的に反ファシズム人民戦線を掲げる一方、国内では「トロツキスト」殲滅に乗り出す。世紀の進行は個人の問題などなぎ倒すように歩を速めた。褐色であれ赤色であれ、革命が力強く鳴り響き、民族や階級が主体の時代に個別の正義や不正義は重きを置かれず、大義を前に個人のモラルなど問題にされない政治が大道を進んだ。戦争と革命のなかから生まれた体制は、民族や国民やプロレタリアートといった集団的主体の解放や平等や正義を掲げ、個人を犠牲にした。そのなかでパステルナークは個人であることを選び、人生をとおして革命と人間をえがく『ドクトル・ジヴァゴ』の執筆にかかったのである。

 本書は一昨年に世を去った思想史・文芸理論家トドロフが生前最後に出した著作で、パステルナークを含む八人の人生をとおして、彼女や彼らの「屈服しない」姿をえがいた。ジェルメーヌ・ティヨンからネルソン・マンデラ、マルコムX、スノーデンに至る物語には、二一世紀を生きる私たちへのトドロフ最後のメッセージが込められている。

 彼はすでに『越境者の思想――トドロフ、自身を語る』で半生を語った。生まれ育ったブルガリアはソ連の衛星国で共産主義体制下にあったが、そこでの経験が、全体主義下の人生に対する省察へと彼を導いた。『屈服しない人々』は『善の記憶、悪の誘惑――20世紀から何を学ぶか』などに続く、人物列伝の形式で省察を結晶化した一書である。これらを貫くのは、彼が「批判的ヒューマニズム」と呼ぶ精神の持ち主たちが体現した、モラルへの着目である。

 本書でトドロフは、みずからのブルガリアでの経験とも重ねながら、一九五六年を「断絶の年」と呼んだ。フルシチョフによるスターリン批判の年、ハンガリーで民主革命が起きた年、パステルナークが『ドクトル・ジヴァゴ』のソ連国内での刊行を拒まれ、国外での出版へと踏み出した年である。このときから、「公の生活において道徳が占める位置」という問題が念頭を去ることはなかったと彼はいう。共産主義政権下ではモラルが政治と混同され、高貴な理想が特権的少数者による人民支配の道具と化して下劣な目的のために利用され、政治的言説から道徳が消えていた。公の生活はこの言説が占め、モラルを守ろうとする者はますます私的領域にこもって、政治と抵触しないようにした。そして公私を包み込んだのが、旧ユーゴスラヴィアのクロアチアの作家ドゥブラヴカ・ウグレシィチのいう、幾つもの「嘘の文化」だった。

 アウシュヴィッツのサヴァイヴァーで、ハンガリーのノーベル賞作家ケルテース・イムレは、共産主義体制において人間は操られる客体でしかない、責任を持つこともないし、ただ嘘だけが真に受けられると述べた。そこで書くということは、あくまで私的なことがらだった。それが五六年の革命で、人びとは一瞬、客体であることを脱した。公に押しつけられた〈我々〉が〈私〉の声を上げたのである。だが、侵攻したソ連軍がそれを踏み潰し、人びとはまた私的な領域にこもった。トドロフのいう断絶には、こうした経験も含まれている。

 トドロフはそこから、政治的行動に対する道徳的行動の意味を導き出す。前者は国や政党が利益を代表する集団のために都合よく行うものであり、後者は逆に一人称単数でしか価値をもたず、他者に対しては与えるのみ、要求は自分自身に対してのみ、という行動である。「屈従しない」とは、自分を脅かす内外両面からの「敵」に抗し、非人称的な力に抵抗すること、人生を害するものへの憎しみを越えて、真実と人間存在への愛を示す行動なのである。

 対独レジスタンスで囚われの身になったティヨンは、身の危険と恐怖に直面しながら、敵に対する憎しみも一種の囚われの形であると気づき、善悪二元論を超えて憎しみから自分を解き放つことに成功した。そして解放後、こんどはアルジェリア戦争に直面して、対独レジスタンスを支えた愛国的な忠誠や義務が別のレジスタンスを鎮圧し、暴力の応酬という「相補的な敵」を呼び寄せていることを見抜いた。それゆえ彼女は、国家や民族や派閥などへの集団的忠誠よりも、「敵」と自分が同じ人類に属していることを重視する「対話の政策」をとって、個人としての友人に忠実であろうとした。

 パステルナークも集団ではなく個人であり続けた。ソヴィエト体制下にあってそうでしかありえなかった、にもかかわらず生きのびた稀有な詩人である。トドロフが「屈服しない人々」にパステルナークを加えたのは独創的な見方であり、経験への省察で全体主義と個人の問題を思索してきた彼ならではの考えであろう。独裁者スターリンと詩人との関係をはじめ、『ドクトル・ジヴァゴ』を書き上げて国外で出版し、ノーベル賞を受賞しながら、体制からの圧迫で辞退に追い込まれる過程を、反体制の作家ソルジェニーツィンと対照してえがいた部分は読みごたえがある。ともにロシアの大地と自然に深く根ざしながら、ソヴィエト体制の打倒を掲げた闘士ソルジェニーツィンとは異なって、パステルナークは「敵」を憎悪せず、身近な人たちへの配慮を欠かさずに愛情を注ぎ、ダーチャにこもって瞑想と創作の日々を送った。そんな一見、非政治的な人生にも、抵抗の政治的価値があるとトドロフはいう。詩人が体現したモラルが光を帯び、内側から全体主義の悪を照らしたからである。悪による抑圧は数多くの詩聖たちの光を消したが、他方で、パステルナークがしたような創造的な抵抗を呼び覚ましたのだ。

 批判的ユマニストのトドロフは、全体主義の悪に抗する民主制の徹底した擁護者だった。だが冷戦の崩壊後、公の空間で民主制は空洞化し、全体主義に対して守ってきたはずのさまざまな価値も、緊張の糸が切れたように軽んじられているように見える。この三〇年の民主制における政治とモラルの関係は、屈服しない人々の意味さえ貶めるほど、創造的な力を失ってきたのではないか。本書に引かれるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『セカンドハンドの時代』の一節、「あらゆる価値は崩壊してしまい、残ったのは人生を楽しむことを許す価値のみとなった」「理想についてなど誰も語らなくなり、話題になるのはクレジット、利率、手形といったものだけになった」という現実は、服従しないという価値や抵抗さえ無化する、ポスト全体主義の新たな「敵」に直面する私たちのそれである。

 そのなかで屈服せずに生きるとは何か。トドロフは本書のエピグラフに、抵抗することは否ということ、殺人や残酷な行いや死刑に対して否ということであり、それ以上に創造的なことはない、というティヨンのことばを掲げている。本書は否が積極的かつ創造的な行為であることの意味を回復する、私たちに遺贈された哲学的な人生への省察なのである。

 (現代史研究)