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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3368号(9月15日発売号掲載)

哲学と批評

――明治大学になぜこれまで哲学専攻がなかったのか
鼎談:合田正人×中島隆博×志野好伸

 ■池田喬、垣内景子、合田正人、坂本邦暢、志野好伸著『いま、哲学が始まる。――明大文学部からの挑戦』が刊行された。今年の四月から、明治大学の文学部には哲学専攻が新設されている。これを記念して、本書の著者である合田正人氏、志野好伸氏と、哲学者の中島隆博氏に鼎談していただいた。(鼎談日・7月23日、東京・駿河台の明治大学にて。須藤巧・本紙編集)

 ■「始まり」とは何か、「エッジ」とは何か

 中島 一気呵成に読みました。そのうえでいくつかお伺いしたいことがあります。一つは、タイトルにもあります「始まり」の問題です。哲学にとっての「始まり」とは、あらためてどういうものなのでしょうか。フランス語で「始まり」は「commencer」で、ラテン語の「initiare」から来ているとのことですから、共に何かの始まりを経験していくことでもあるのでしょう。また、フランス語には「entamer」という動詞もあり、やはり「始まる」という意味です。これには「傷をつけながら」始まっていくというニュアンスがあります。このように始まりという概念一つ取ってみても大変に複雑です。ここには複数の問題があると思います。たとえば、哲学にとっての始まりは、宗教にとってのそれとどういう違いがあるのでしょうか。それからもう一つ、どうしても伺わなければなりませんが、明治大学の歴史にも関わる、哲学と批評の関係で、批評ではなく哲学を始めるとはどういうことなのでしょうか。

 志野 ものの始まりを考えるときに中国の事例で参考になるのはエクリチュールの問題です。つまり「文」です。文も何かをひっかいて傷をつけて残していくものです。文学論や芸術論では、世界の始まりとしての「文」が語られます。

 中島 そうですね。中国の「文」は大変に重要な形而上学的な概念だと思います。では、その文の始まりは何か。よくある答えは、「(わたしの)心」だというものです。ではその心にはどうやって思いが生じるのでしょうか。心の「外」のものに「感じる」ことで思いが始まるわけです。ではその外のものとは何か。驚くことに、それが既に「文」なのです。「文」にはこうした循環構造が必ずあり、そのなかに自分が巻き込まれていきます。これはまた後で話題になると思いますが「presque」すなわち「間」の問題がここには必ずつきまとってくると思います。こう考えてくると、純粋な「始まり」は簡単じゃありません。でも、われわれはある仕方ですでに「始めてしまっている」のです。先ほどわたしは少し宗教のことに触れましたが、たとえば仏教に「発菩提心」という重要な問題があります。菩提心の「始まり」を問う問題です。どうやったら人は宗教的な実践に入っていけるのか。これは難問中の難問です。うまい答えはありません。ある日突然、菩提心を持っていることに気づく。宗教的な圏域に入ってしまうのです。はたして哲学もそうした「始まり」と同じ構造を有しているのでしょうか。宗教的な「始まり」と哲学のそれは重ならないようにも思われますが、いかがでしょうか。

 志野 発菩提心とは、自分が菩提心を発することなのか、あるいは菩提心が発してくるということなのか。宗教の場合、自分が、というよりは、自分がコントロールできないような菩提心がいつの間にか「発してくる」。一方、哲学の場合は、自分の圏域のなかで、何とか外部的なものをコントロールしようとする。こうした外部に対する姿勢が、宗教と哲学との決定的な違いではないかと思います。

 合田 哲学は起源の探究だといわれるし、どの宗教も始まりと関係があると思います。そこには「終わり」「真中」という問題も出てくるかもしれない。

 中島さんがおっしゃったように、始まることができるためには、既に何かが始まっていないといけない。しかし何かが始まっていたら、その始まりはもう始まりではない。そうした根本的な逆説を抱えていることは前提になるかと思います。「始まり」と同時に、「起源」を意味する様々な言葉があります。例えば「Ursprung」や、既に挙げていただいた「entamer」もそうです。「tamer」は何かと接触するという意味で、手で何か触れて、汚してしまうというか、「割礼」のように傷つけてしまう。常に混成的な出来事として始まりがあるんだと思います。

 今回、哲学専攻は明治大学の文学部のなかの、一番新しくできた心理社会学科のはじっこにできました。わたしはそれを「エッジ」という言葉で表現しながら、エッジと始まりを重ねて考えてきました。始まりが始まりでないことを分析するために、明治大学になぜこれまで哲学専攻がなかったのかというところから考えてみました。中村雄二郎さんを中心として、哲学専攻かあるいは研究所のようなものをつくる強い動きはあったようですが、何らかの理由でうまくいかなかった。真偽のほどはわかりませんが、唐木順三が反対したという話を聞いたことがあります。また、先日どなたかが大学の事務に訪ねてきて、「明治は哲学専攻をつくらないことになっていたはずなのに、なんでつくったのか」とお叱りを受けたということです(笑)。これは非常に興味深い事態だと思っています。何か暗黙の了解があったやに思います。

 それを調べていくと、日本哲学の流れに関わる面白い動きがあったことがわかってきました。その一つが、先ほど中島さんがおっしゃった批評の成立だと思います。小林秀雄という批評家によって象徴的に描かれる出来事です。小林は、哲学と呼ばれているものとの距離を自覚的に捉えていた人物だと思います。そのことが逆にあらわれているのが、西周を大変に賞賛している文章ですね。学者としては大したことなかったとはっきり書いています。西周は明治の初期に様々な講義をしています。そのときの雰囲気のようなもの、新しい人間の捉え方を語る躍動感、生き生きとしたものが伝わってくると小林は強調しています。そしてそれを「希哲学」という言葉で表現しています。彼の言い方によれば、「希」が取れていったんだと。希哲学が哲学になって、何とも偉そうな存在になっていったと。そのときに念頭に置いていたのはマルクス主義的なものだったと思いますが、偉そうになっただけではなくて、西田幾多郎について小林が言っているように「奇怪なシステム」、日本語でもないし外国語でもないようなものが生まれていた。そしてそのために西田は天才的な努力をしたわけですが、病的とも言えるような孤独がそこに出てきました。

 そこに後に唐木順三などが関わってきますが、林達夫もそこに加えておきたいと思います。彼らは、西田、田辺元など、京都学派といわれる人たちと微妙な関係を持っていました。唐木は田辺との往復書簡が出されていますので、親密な関係だったことはわかりますが、唐木は自分を哲学者と呼ぶことは一切ありませんでした。彼は研究の領域を日本の中世の文学に求めた。好んだ言葉は「思想家」であり「文芸」であり「無方法の方法」で、唐木は明らかに哲学を横目で見やりながらそれらを錬成していったのでしょう。林達夫については、久野收との『思想のドラマトゥルギー』などで書かれていますが、田辺との関係はうまくいっていないというか、出で立ちも含めて、田辺のほうが林のような存在をどう捉えていいのか困っているような感じです。林のほうもそう思われているのはわかっていて、苦手だったと言っている。そのようなかたちで京都学派から離れていった連中のことを、いみじくも「離れ者(ディアスポラ)」と誰かが名づけていた。どういうかたちでの「逸脱」であったかが次に大事になってくるかもしれませんが、そういう動きが明治大学の文学部のなかには存在していて、それが哲学専攻をつくらないという長年の暗黙の了解のようなものになっていったんだろうと、後になって気づいたわけです。

 大袈裟な言い方ですが、西周以来の日本の哲学の動きが、今回のわれわれの哲学専攻の「始まり」のなかには組み込まれている。その始まりの複雑さをどう展開していくか。これはまさに「始まりとは何か」という問題であると同時に「エッジとは何か」の問い直しです。境目とは何か、はじっことは何か、限界とは何かという大きな問題、エッジの力動的な構造が問われている。わたしの考えでは、ある体系、システム、構造、関係性といったものを問い直していくことにそれはつながっていくのではないか。さらにはジャンル分けされた諸学のなかでエッジがどういう役割を果たしていくのか。従来のように哲学がある種の中心になるのではないときが到来してすでに久しいのですから。

 わたしの今回の「始める」という行為のなかに、どういう要素が様々に折りたたまれているのか。その複雑性を今後の展開にどう活かしていくのか。そして、先ほど志野さんがおっしゃった「文」とか言語の問題、「言葉」と「始まり」の問題については、また後ほど議論したいと思います。

記事掲載はここまで。続きは本紙でお楽しみください。
10月中旬以降、全文掲載予定です。

丹下左膳にリベルタン(無頼派/自由思想者)

――日本というクニの、過去から現在に至る時空間を凝視/目撃し、その「実相」を美事に解析、あるいは「一刀両断」している
評者:宋安鍾

■第3章「『在日』無頼控」第2節「ぼやき漫談――在日のアイデンティティ」で炸裂する「パギやん節」を抱腹絶倒裡に読み終えたのですが、「一撃腹筋崩壊」したのは、178頁のこの一節ですね。「*2917年11月、ドイツに『難民』として亡命してしまった辛淑玉さんは……」。時に、辛さん、958歳(なんと、パギやん、「詐欺国ニッポンに鉄槌を下」す満願成就ののち、逝去すること予定年齢93歳のざっと10倍強!)。これは、「誤植」か「確信犯」か? このなんだかとっても「マジック・リアリズム」な一節が、まさしく「私」/たち「朝鮮人」当事者の置かれた情況そのものみたくて、アルゼンチンの詩人オラシオ・フェレールのタンゴ詩に、アストル・ピアソーラが曲を付けた、「紀元(Anno Domini/神の年)3000年のためのプレリュディオ(プレリュード)」を、思わず脳内再生しそうになりました。

 だったら、パギやんにも930歳まで断固生き抜いて頂いて、辛さんともども、改正「日本国憲法」草案(趙博起草、pp.207‐208所収)を実現して頂くしかない!

 そしてそれがまさしく、「・カムイに学び、チエちゃんのように生きたい」、というパギやんの夢の血肉化作業となると感じた次第です。「亡滅」していないのなら、日本国の抜本的「刷新」、もしくは、その名で呼ぶに足る「革命(revolution)」は、そのくらいの時間を想定すれば、あるいは、可能なのかもしれませんね。なにせ、古代継体王権以来、「南北朝分立時代」を経て、断続的に約1500年の「皇統」を誇る「万邦無比」の日本国ですので。

 朝鮮半島地域以南東南部方面の慶尚南道金海郡(北東アジア地域古代世界における伽耶の地)から日本列島関西地域大阪府大阪市西成区鶴見橋に漂着し、右眼失明という身体障がいを抱え込んだ、「複合マイノリティ」でもある「丹下左膳」的「流れ者」は、偶然生育した日本というクニの、過去から現在に至る時空間を凝視/目撃し、その「実相」を美事に解析、あるいは「一刀両断」しているように感じます。この点については、この書を手に取られるこころある方の誰もが、おそらくは得心されるのではないのでしょうか? 「隻眼」でもその眼はまさしく、「抜け忍」カムイが駆使する忍術のごとく、「鳥の目・虫の眼・ニャンコのメ」(第Ⅰ章)と変幻自在で、基底には、一見「いかつい」風貌とは不釣り合いな、「生きとし生けるいのち」すべてに差し向けられる、慈悲、あるいは慈愛の眼差しが秘められている。その鮮麗な「優しさ」、あるいは「息吹き」めくものには、是非触れて頂ければ、と思うのです。

 その一例として、是非、お読み頂ければと感じるのは、第Ⅱ章「奮闘する『在日』」第1節所収の対談「息子よ、そのままでいい」(神戸金史×趙博)でしょうか? 本書の中心的テーマのひとつである、「相模原障がい者施設(津久井やまゆり園)殺傷事件」(2016年7月26日未明発生、知的障がい者19人刺殺、重軽傷者26名)の被疑者植松聖氏の「生産性なきいのち」は生きるに値しない、という「考え方」に対して、身体障がい当事者である趙さんと、発達凸凹(障がい)のご子息がおられる神戸金史さんが、植松氏の「考え方」の基底にある「功利主義」的な「優生思想」に対話を通じて肉薄していきます。しかし、その「浅はか」な「考え方」は、かつてのハンセン病者に対する収容施設と同様に、「障害者がいたら困る、収容したほうがいい」であって、「社会的にもそれが原則」になっているという「健常者」優位主義なのであり、それが世間の人びと「大多数の本音」であることが指摘されます。ここから、植松氏の「考え方」に潜在的には同調し、それゆえに実際のところはそのような「考え方」と「共犯関係」(作家辺見庸さんのことば)を取り結んでいる、他ならぬ「私」たちの潜在的な思考様式の「闇」の深さにも気づかされることになります。ここで鋭く問われているのは、当該社会(世間)の少数派が「いるのに、いない」、「透明人間」のような「不可視」の存在にされてしまっていて、それが「当たり前」であることを疑わないほどに「馴致」されている「私」/たちの鈍麻した感性そのものなのでしょうか?(pp.116‐153)

 少子高齢化時代の「医療・福祉コスト」の重圧にも耐えかねて、いわゆる「先進諸国(developped countries)」では、陸続と「医師幇助自殺法案」が成立しています。「当事者の自発的意思」、あるいは「自己決定権の行使」、という美名の下に、障がい者等、「全球多数派(Global Majorities)」にとっての「価値なきいのち」が、再び「合法的かつ正統的に」抹殺剪除される時代が確実に到来しつつあるのかもしれません。

 つまり、それは第2の「T4作戦(ナチス・ドイツによる約20万人の障がい者「安楽死」措置、アウシュヴィッツ強制労働収容所等による東欧系ユダヤ人/アシュケナジム、スィンティ・ロマ、反ナチ抵抗者良心囚などへの殲滅作戦遂行の「先行事例」とされる)」なのかもしれず、その差し向けられる矛先が、実数30万人程度に縮減しつつある、全「朝鮮人」当事者であってもなんらおかしくはないのです。辛さんもご指摘のように、(一部のこころなき)韓国人を含むニューカマー外国人たちからしても、遺憾ながら、ただのうっゼェ「鼻つまみ者」、単なるヘイト対象でしかないという惨憺たる「体たらく」ですのでね(第Ⅱ章第4節、pp.178‐199)。ただ、パギやんが常々口にするように、「在日は絶滅危惧種」であって、人口統計学的視座からも、22世紀を恙なく迎えることなどもはやない、と考えた方がいいんですが……。

 「相模原事件」は、やがて来たるべきそのような事態への「前段階」であり、「予兆」なのかもしれない。であれば、この書は独りの被差別少数者当事者の魂の戦慄と慟哭を籠めた「叛歌」にして「挽歌」であるのかもしれません。本書のさらなる中身が知りたければ、是非、手に取るためにもご購読を! さぁさぁ、よろしくお願い申し上げます!

 (金沢大学教員、ラーマクリシュナ・ミッション日本支部正会員)

応用と書き換えが前提の地図

――全てのモノたちの向こうに動詞のスペクトラムをすかし見なければならない
評者:上野俊哉

 ■親しんだ酒精のたちあげる酔いが、いつの間にかわずかに自分の身ぶりや感覚をずらしていくような瞬間がある。

 あるタイプの書き手の書物を読んでいると、そんな間合いにしばしばとらわれる。冨山一郎の文章には、つねにそんな書く躯、語りあう躯の動きを感じさせ、逆にこちらの佇まいをゆるがすような酔いへの誘いが待っている。その酔いにただうっとりしているだけではすまされないという切迫感、これを読んだからにはこちらも次の動きを探さなければと思わせてくれる、焦燥とないまぜの危機感が、踵を返すようにこちらの読みの実験や試みを招きよせる。

 たとえば、冨山がしばしば用いるいくつかの特異な言葉たちを、母国語でない躯にあえて移してみる。予感する、確保する、身構える、巻きこまれる、帯電させる……一連の言葉使いを英語や仏語で言えば(書けば)一体どうなるだろう? 単純に翻訳や紹介のためではない。冨山の言葉使いに身をあずけ、耳を傾け、これを別の文脈に開きつつ、この酔いを別の場の覚醒につなげていく心持ちのために、これまでもそんな遊びとも謎かけともつかない試みに真剣になってきた。一連の言葉は『暴力の予感』以来ずっと使われているが、単なる熟成や洗練をこえて、この一連の文体的概念――文章の身ぶりから生まれる方法的概念化と、そこに生ずる絶え間ない自己解体の動きとでも言えようか――は、この著作において今まで以上に研ぎすまされている。

 本書で語られる「審問空間」とは何か? 呼びかけ、名指し、審問する……様々な仕方で行なわれる問いかけは、イデオロギーが生まれる場であると同時に、植民地支配や正常/異常の分節を固定する、何をしても無駄に思える現実である一方で、同時に自らをゆるがせる動き(ダイナミクス)の場と言える。審問空間では何らかの固定したアイデンティティに「間違われる」可能性が意味と位置を分節する切断線としてはたらくことで、沖縄の状況であれ、精神医療をめぐる日常の不穏であれ、横断的に権力や秩序を不断に再生産していく。とすれば、ここにはやはり横断的な異議への語りが集合的に仕組まれなければならない。どんな「荒野の真ん中」でも、孤絶はこのどうしようもない時空で自らを抱きしめようとする感覚であるから(192)。死なせるのでも、生かし殺しにするのでもない「ネクロポリティクス」が「生政治」にとって代わるなかだからこそ、一連の言葉使いは要請されている。

 今ここでも待機中の暴力に対する予感、あるいはいまだ存在しないものの予感、これを先どりする身ぶりは払いのけの可能性を、抵抗や闘争とは別のかたちで、言葉のうちに確保する。たとえ抵抗になりえなくても、別の可能性を提示するためのひそかなつながりをみちびき、そこへと身構える。死亡者台帳に名前の載った地点から言葉を紡ぐ詩人、川満信一から冨山が受けとり、こちらに投げかけている問いはそうしたものだ(145)。

 政治や運動の場でも、医療や福祉の場でも、「予めの排除」はつねに区分や分類のかたちで作動している。はじめから枠組みの外へ追いやられているものたちは、ここに差配されるか、あるいは「間違われる」ことで二重に排除される。これは様々な立場を救いとる対象でもなければ、代表できる一群でもない。植民地の経験や歴史における暴力と精神医療における綻びや危機が、本書ではだからこそほぼ同時並行的に語られる。本書で絶えず参照されるフランツ・ファノンという人物の来歴を考えれば、この構成もまた必然的である。

 本書の後半では中井正一の「委員会の論理」に一定の紙幅が割かれる。しかし、メディア研究やコミュニケーションの批判理論や転向論の文脈でふれられているのではない。むしろ、そもそもどのように議論や討議の場を立ち上げるか、集団的な語りあいの場の生成のさらにその手前で繰り広げられる身ぶりや心持ちに議論は集中されている。聴くこと、掘り下げることの重要さは、思わぬところでアカデミズムや運動(アクティヴィズム)の範疇すらこえて、評者にとってはヒップホップやテクノのクルーがやっている組織化とも響きあう。禁じられてもやめられない何かがそこかしこにあるとするなら、本書で語られる「議論中毒」とはまぎれもなく言葉のジャンキーによって生きられる身ぶりであるだろう。やむことのない語りへの欲望や行動の傾斜に透徹したまなざしを向けることで、過去の中井たちの試みが無数の今の動きの潜在力に帯電していく。

 何もできない、したくないと思わせる状況下、つまり、どうしようもなく逃れられない繰り返される日常の権力と審問への加担という自覚、言葉の停止させられる臨界では、ファノンとともに「自己をものとする。あるいはものと見なすこと」が必要となる(12)。存在の基礎には動詞がかくされていること、名詞の、つまりは全てのモノたちの向こうに動詞のスペクトラムをすかし見なければならない。本書はそのための地図であるが、目的地はどこにもピン留めされていない。本書は読者それぞれの予感と身構えにゆだねられた、応用と書き換えが前提の地図なのだ。

 (和光大学教授・社会思想史)