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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3392号(3月16日発売号掲載)

民主主義はポピュリズムそのもの

――「包摂」と「排除」は共犯関係にある
対談:山本圭×水島治郎

 ■エルネスト・ラクラウ著『ポピュリズムの理性』とシャンタル・ムフ著『左派ポピュリズムのために』が、明石書店からほぼ同時期に邦訳刊行された。ポピュリズムの荒波が猛るこの時代にタイムリーな出版である。『左派ポピュリズムのために』の訳者の一人である山本圭氏と、千葉大学教授の水島治郎氏によるトークイベントが行われた。本稿はその採録である。(対談日・2月12日、東京・ジュンク堂書店池袋本店にて。須藤巧・本紙編集)

 ■世界各国で政治のモードの変化が起きている

 山本 ぼくは『不審者のデモクラシー』(岩波書店)を二〇一六年に刊行しました。そのなかでは、こんかい翻訳が出た『ポピュリズムの理性』の著者エルネスト・ラクラウの思想について、一九七〇年代から晩年までにわたり、彼がどのような議論をしていたのかを整理しました。

 その本を書いているときには気づかなかったのですが、水島さんの『反転する福祉国家――オランダモデルの光と影』(二〇一二年、現在は岩波現代文庫所収)に「参加」あるいは「包摂」について、大変鋭い指摘があります。まずそもそもとして、政治学において「包摂」は基本的にポジティヴもので、ながらく肯定的に説かれてきました。つまり、デモクラシーあるいは福祉国家はいかに排除をなくし、包摂を進めていくのか、ということが非常に強固な前提となり、政治学はそうしたパラダイムのなかで進んできた面があります。そのように包摂と排除はしばしば対置させられて語られるわけですが、その二つの動きはじつは共犯関係にあるのではないか、というのが『反転する福祉国家』の論点でした。つまり、オランダで福祉国家が危機に陥っているなかで、「包摂」が「排除」の方便として使われているのではないか?

 ぼくもまた、そうした論点について、より抽象的な次元で議論していました。政治学者、とりわけ政治理論研究者は、一般的にリベラル・デモクラシーを前提に議論しがちなところがあり、そこから離れられない呪縛のようなものがあります。ときに批判したとしても、やはりそこに居を構えざるをえない、そういった曖昧な態度をずっととってきました。そして、そこでのキーワードが「包摂」であり、いかに排除を乗り越えて包摂に向かうかだったのですが、理論的なレベルでも包摂と排除が同時進行で行われていることを、拙著では明らかにしたつもりです。

 水島さんもぼくも、包摂と排除が共犯関係にあること、そしてそれが行き詰まってしまった後で関心を向けたのが「ポピュリズム」だったといえます。同じ方向を見てものを書いてきてくれた先輩が水島さんでした。

 水島 私の一番の専門はオランダ政治です。オランダでは、安楽死が最初に合法化され、同性婚も最初に法制化され、麻薬は容認され、売春も合法化されています。あらゆるリバタリアン的な自由の最初の先進国です。一九九〇年代半ば以降、ワークシェアリングによる「オランダモデル」は、日本では経済界、労働界、官界、学界も大変な騒ぎでした(ワークシェアリング自体は日本ではほとんど根づきませんでしたが)。日本でそのようにモデル視されるオランダですが、九〇年代末から二〇〇〇年代にかけて、オランダモデルが最も喧伝されていたときこそ、実は移民の排除が急激に進んでいました。特に二〇〇二年にピム・フォルタインというポピュリズム政治家が出てきて、イスラム批判、移民批判、福祉濫用批判を全面的に展開し、一気に支持を集め、それ以後のオランダは政策的にも大幅に転換し、ヨーロッパで最も厳しい移民・難民政策をとる国になってしまいました。その問題意識から書いた本が、『反転する福祉国家』だったのです。オランダモデルを語る人はこのネガティブな面について触れません。「オランダは今もマイノリティを尊重する国なのだ」というイメージが流布しています。

 山本 「不都合な真実」だ。

 水島 そうですね。ただよく見てみると、オランダではリベラリズムを語る人が同時に移民、イスラム批判を展開し、排除を推進する側にまわることもあり、何とも奇妙なことになっています。「イスラムの女性差別を許すな」という主張はその一例です。これは何故かと考えて、包摂と排除が表裏一体として進んでいるという考えに至りました。その後、山本さんの『不審者のデモクラシー』を読んで、出発点は違うんだけど問題関心がかなり重なっていることがわかりました。

 山本 日本のポピュリズム理解のコンテクストを決定づけた水島さんの『ポピュリズムとは何か――民主主義の敵か、改革の希望か』(中公新書)は二〇一六年の刊行です。それから三年たち、状況がかなり変わっているのではないかと思います。

 水島 はい。『ポピュリズムとは何か』を刊行したのはトランプが当選した後だったこともあり、注目をいただきました。そして二〇一七年、一八年の二年間で、各国でポピュリズムがかなり広がっている面がありますので、全体の流れを、以下ご説明します。その際、ポピュリズムについては、「人民」の名による反エリート的な、急進的な改革運動と、ここではひとまず定義しておきましょう。

 まずアメリカでは、二〇一六年の時点で、既成保守(ジェブ・ブッシュら共和党主流派)と既成リベラル(ヒラリー・クリントンら民主党主流派)が対峙し、そこにトランプとサンダースが、それぞれ右のポピュリズムと左のポピュリズムとして出てきます。

 二〇一七年に入りますと、フランス大統領選挙がありました。フランスでは、ドゴール以来の歴史を持つ伝統ある右派の既成政党・共和党と、これまたミッテラン以来の栄光ある左派の社会党とで、普通だったら大統領選挙を争うわけですが、御承知の通り「国民戦線」のマリーヌ・ルペンが右のポピュリズムとして支持をかなり伸ばしました。それに対抗するかのように、左から「不服従のフランス」のメランションが出てくる。社会党、共和党、不服従のフランス、国民戦線の四つ巴の構図になりました。結果的には、既存の政党ともポピュリズムとも異なるマクロンが勝者になりました。このとき、既成の右派も左派も、あわせて得票率が三割に満たないという、歴史的な大惨敗を喫します。

 二〇一七年にはオランダでも選挙がありました。右派ポピュリズムのウィルデルスの自由党が、初めて第二党に躍進しました。それに対して緑の党も票を伸ばします。

 二〇一七年はドイツでも連邦議会選挙がありました。これまではずっと右派のCDU/CSU(キリスト教民主・社会同盟)対左派のSPD(社会民主党)という構図でした。そこにAfD(ドイツのための選択肢)が右のポピュリズムとして出てきました。既成政党のCDU/CSUもSPDも、戦後最低レベルの得票率にとどまりました。

 さらに二〇一八年にイタリアで総選挙です。これまでは右派のフォルツァ・イタリア対左派の民主党が対抗してきましたが、今回やはり両方とも最低レベルの得票率でした。北部同盟と五つ星運動の両者が過半数を握り、ポピュリズム政権を成立させることになりました。

 こうしておさらいしてみますと、この数年のうちに、アメリカ、ヨーロッパのほとんどの国で、ポピュリズム、特に右派ポピュリズムの伸長が非常に著しいという状況です。

 ただこれを、単なる排外主義化、右傾化と言うことはできないと思います。右派ポピュリズムは確かに勢力を伸ばしていますが、それと合わせ鏡のように左派ポピュリズムや急進左派も伸びている。ここで起きているのは既成右派と既成左派の退潮という、政治のモードの変化なのではないか。

 ところで、ポピュリストを支持する人は、そもそもどのくらいいるのでしょう。イギリスのガーディアン紙が「How populist are you?」(あなたはどれだけポピュリストですか?)という記事をネットで出しています。読者参加型のアンケート調査兼研究です。「政府は少数の利益によって支配されていると思うか?」とか「同性婚に賛成か」といった内容の質問にどう答えるかで、その人がどの程度「既成左派」「既成右派」「左派ポピュリスト」「右派ポピュリスト」かを測るものです。結果的には、その調査に参加した人々の最大グループが「左派ポピュリスト」でした。ガーディアン紙はもともと左寄りですが、アンケートに答えた人たちは既成左派というより、むしろ、「政治家たちは信用ならない」と思っている左派ポピュリスト志向の人たちだったわけです。ですので、いまは排外主義が広まっているというよりは、実は左派ポピュリストの空間が開けてきていると見ることもできるのではないでしょうか。

 山本 水島さんの見立てとしては、二〇一六年以降、ポピュリズム的な状況がますます深まっているということですね。既成政党の影響力はさらに弱まってきていると。

 水島 はい。この数年はその動きが顕著に出ていると思います。各国の政治家たちは、他の国の動向を見ながら動いています。ポピュリスト的な戦略が選挙で有効と示されたことが大きいと思います。二〇一七年の日本における希望の党の動きなども、ポピュリスト的な動きにあやかったら勝てるのではないかと思った東京都知事が、そちらに足を踏み入れようとしたわけですね。

 山本 ぼくは『不審者のデモクラシー』で、ポピュリズム戦略を擁護しました。そのときはわりとビクビクしながら、「一過性のブームで終わったらどうしよう」なんて考えていました。けれど、思いのほかポピュリズムの時代が長く続いてきているし、むしろその影響力は強くなっている。

 水島 そうですね。ポピュリズムのリーダーが出てきたときに、それはその人物のカリスマによるものだろう、その人物が退場した後では萎むだろうといわれてきました。ところがこの間ほとんどの国で、初代のポピュリストから次へと世代交代が行われていますが、むしろ支持は広まっています。その典型がフランスのルペン親子です。父親は一種のカリスマを持っていましたが、しかし娘のほうがずっと支持が増えているんです。その背景にあるのは、父親の反ユダヤ主義です。西ヨーロッパの政治家として、反ユダヤ主義者が主流派になることはありません。しかし娘は反ユダヤ主義と明らかに距離をとることで支持を伸ばした。これはオーストリアでもオランダでも同じことです。ポピュリストのリーダーの二代目、三代目は、一世代目の失敗や限界を越えて、ある程度成功している。その意味でポピュリスト的な部分は意外と持続していると思います。

 山本 ポピュリズム的な状況がずっと続いている。何も解決していないどころか、経済格差の問題などがますます深まっているから、そうした状況が消えないのでしょう。また、ポピュリズムは一過性のものではなく持続しているという論点が出ました。世代交代しても続いていく。これを聞くと、マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』のボナパルティズムを想起します。ボナパルティズムは「元祖ポピュリズム」みたいなところがあるのですが、そこでマルクスはあの有名な台詞をいうわけです。「ヘーゲルはどこかで、全ての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として、と」。マルクスはボナパルトをかなり皮肉っていて、こんなゴロツキがどうして大統領まで上りつめられたのかと論じています。様々な読解を許すテクストですが、重要なのは、一つには「ナポレオン」という名前、いわばシニフィアン。そしてもう一つは、彼自身が何も持たなかったことです。彼は何も代表していないように見えて、実はすべてを代表していたのではないか。つまり、ボナパルトの勝利は、彼が「空虚なシニフィアン」として振る舞うことによってもたらされた、といえるでしょう。このことは、ポピュリズムの世代を超えた持続性を考えるさい、重要な論点になると思います。

 ところで、マリーヌ・ルペンはお父さんよりクセが弱かったりするのでしょうか?

 水島 彼女は働きながら子どもを育てるシングルマザーという経歴を持ち、現代的な女性です。対して父親は、頑固な極右の伝統主義、男性優位主義者で排外主義。そのイメージの違いは大きいと思います。父親が一七、八%の支持が限界だったところを、マリーヌは三割を超えました。とはいえ、国民戦線が極右由来だということは、フランスでは明らかに意識されています。将来が有望な政治家は、国民戦線から政治の世界に出るのはやはり避けたい道です。だからまだマージナルな存在にとどまっています。去年に「国民連合」に党名を変えたのも、極右=国民戦線というイメージを払拭するためだったのでしょうが、それが成功するかどうかは疑問だと思います。

希望なんて

――過去におけるノスタルジックな未来からの秘密のメッセージ
評者:早助よう子

 ■最初、書評するとは思わずにこの本を読みはじめたとき、本文を十数ページすすんだところで「なんかヤだな」と枕元の本箱に突っ返したのであった。本箱とはただの無印のボール紙箱なのだが、寝床で読むための本のほか爪切り、耳かき、ペン、保湿剤、ティッシュ、耳栓などが雑多に詰め込まれている。伏せったままグッと手を伸ばして箱の縁が高いのでろくろく見もせず、また一冊ひっぱり出して適当にページをめくり読みはじめたのだが、それは、このあいだ河出から出たソンタグのエッセイ集の中のゴダール論なのだった。で、両者の本のあまりの印象の違いに驚いたのである。

 折しも昼間、友人と巣鴨は健康ランドに遊び、そこで「こんまりがネットフリックスですげえ人気、すげえのしてる、アメリカで」と聞いたばかりだった。友人は日本語で「のしてる」と言ったが、これはショウビズ界における状況を指す言葉として的確なのだろう。それで、ごく自然に、片付けコンサルタントを名乗る小柄な日本人女性“こんまり”が魔法をかけて(手を入れて)綺麗に片づいた部屋と、汚部屋を思い浮かべた。もちろん、ソンタグ前者、フィッシャー後者だ。アッパー~アンダーミドルクラス向けファッション&カルチャー誌で仕入れた知識によると、片付いた部屋とは「ヌケ」のある空間を言うそうだ。窓ガラスの向こうに青空が広がりそこへ白い雲の浮かぶような空間、室内には選び抜かれた心ときめく品々が程よい分量で、品良く配置されているのだろう。対して汚部屋とは、いつの間にか集まったり拾ったりした得体の知れない雑多な物が堆積し、床も、四方の壁も、半ばカーテンの引かれた締め切りの窓も、積み上がったものでよく見えない、空気はよどんでいる――、とそんな部屋。その後、書評、書評とあさましくペンとメモを片手に読みはじめた後も、何度か読書は中断した。薄暗い毎日をそろりそろりと這うようにすすんでいる私は、なんの忠誠も誓わぬ見知らぬ本に鬱の引き金を、どうしても引かれたくないのであった。もちろん、“こんまり”のときめきの魔法によって整えられた小ぎれいな部屋とドロドロの汚部屋では、後者の方がよいに決まっている。またもや前書きが長くなりつつあるが、そういえば「現代思想」(2019年1月号)掲載の対談で次のように語られるのを読んで、「いいな! この人!」と思ったのだった。

 小泉 フィッシャーはいわゆる「ヴァンパイア・カテドラル」批判の中でリベラル左派に対する強烈な怨念を語ってましたね。さぞかし苦しかっただろうと思います。

 本書を読了した今も、「いいな! この人!」というフィッシャーに対する印象は動かない。

 私は小説を書いているので、何か言うとしたら彼がゼーバルト『土星の環』について取り上げた一編となろう。この大著が私ごときの手に負えないという事情、また版元がPヴァインということもありエレキングあたりに手練れのライターさん評が載るだろうからダブステップやジョイ・ディヴィジョンやベリアルについてはどうかそちらをご参照ください、すみません……。フィッシャーの『ポストモダンの骨董品』という小テクストは、存命中ノーベル文学賞受賞も噂された小説家・思想家ゼーバルトへの、偏執狂的で皮肉な、しかしどこかエレガントなこき下ろしとして存在している。小説家への憎しみを前にして本来の主題であった映画評は刺身のツマのごとくになってしまっており、こういうタガの外れ方はなんだかんだいって抑制の効いた本書において珍しい。英国人フィッシャーは『土星の環』におけるイギリスのさびれた海岸線が本物とあまりに違うと皮肉り、作者が小説に添えるおなじみの図版は古写真風に加工されている、とまるでそれがイメージの捏造であるといわんばかりの底意地の悪さで言い添える。イメージの真性性を問う姿勢とは無縁に見える彼なのだが、なぜゼーバルトをイカサマ手品師呼ばわりするのだろうか。

 本書において資本主義は全域的全延的に現れるものとして描かれる。内側からも外側からも効いてきて、人類の時間の中にある限りもはや永遠で、打ち負かすことも取り除くこともできない。こうした資本主義顕現のイメージは、彼が取り上げる「ポピュラーカルチャー」(ジジェク。本書に寄せた賛辞より)においてしばしばどんよりした単身の若者たちが登場することもあり、私にとっては遂行的に「若さ」を感じさせるものだ。資本主義とはそもそもそういった性格のものなのかもしれない。惨めで、メランコリックで、失意のうちにあり苛立っている、このような状態を世間一般では「青春」と呼ばわって片付けてきたのではないか。とはいえ、「ポピュラーカルチャー」の担い手たちも本当の意味での小僧ではなく中年ばかりなのだから、実年齢は関係ないだろう。この「若い」地点から振り返れば、ファシズム、戦争、移民の生など困難の原因がはっきりしているゼーバルトの物語は相対的に老いて古臭く、「骨董品」にも見えるのかもしれない。フィッシャーにあっては、まるで成熟した大人たちは、日常生活に偏在する資本主義を感じ取る感受性それ自体が摩耗してしまうかのようだ。実際にそうなのだろう。エッセイを読みながら、彼がゼーバルトを嫌う理由をあれこれ考えてみたのだが、フィッシャーはすでにあたう限りの反論反証を百も承知、という気がした。「文学でござい」といったゼーバルトの取り巻き連中の物の道理の分かったような振る舞いも、死ぬほどムカついたのだろう(そして本当に悲憤して死んでしまったのだろう)。

 フィッシャーの全てを見通すような万能感のある情報過多な知のあり方が、彼の描く資本主義のありようと相似形を成す気がするのは偶然だろうか。こうした知性のありようから見れば、「憑在論」というデリダ発のアイデア(不在においてのみ実在が可能になる、という本書のキイワード)は、彼にとっては胡散臭くもどこかホッとするような、頭の中にぽっかり空いた空白地帯のようなものではなかったろうか。

 本書はあっと驚く誤植の多さで、そんなことは罪ではないが、それさえも、どこか別の世界からのサインではないかと思う、そんな読み心地である。私たちの失われた未来、社会民主主義的でさえあるような、過去におけるノスタルジックな未来からの秘密のメッセージだ。それは暗号化されて読者の元へと届く。例えば「無神論」(正)が「無心論」(誤)になっている、これである。巻末の解説は見事な現代思想地図となっていて大変勉強になる。しかし、「絶望的現状と同時に、そこで確実に光る希望もある」というのは違うのではないか。若者よ、若者よ……、それはあんまりではないか。そんなことを言っては(言われては)私なら死んだかいもないと思うだろう。もちろん、死者は何も思ったりしない。でもここは希望なんかなかった、というところではないか。というか、希望なんてその程度のもんである、とフィッシャーの思想は一貫してこう言っているようにも思うのだけど。

 (小説家)

個人の心の変容をつづったきわめてパーソナルな「物語」

――ドローンを使った数多くの作戦に携わった著者の回顧録
評者:小平慧

 ■本書は米国陸軍の対テロ特殊部隊「デルタフォース」の一員としてイラクに赴任し、無人航空機(ドローン)を使った数多くの作戦に携わったブレット・ヴェリコヴィッチの回顧録だ。『ウォールストリート・ジャーナル』紙などで調査報道を手がけるジャーナリスト、クリストファー・S・スチュワートとの共著である。

 二〇〇一年、大学一年生のときに9・11同時多発テロに「目を覚めさせ」られたヴェリコヴィッチは、大学卒業後の進路をなげうって陸軍に入隊を志願。二〇〇五年から情報分析官として中東での軍務に就く。さらに、過酷な選抜をくぐり抜けて特殊部隊に迎えられ、二〇〇八年にイラクに赴任する。この時まだ二十代半ばの若者である。二〇〇三年、米国はイラク戦争を主導してフセイン政権を転覆、以降もイラクに自国軍を駐留させていた。イラクの民主化が制度上は急速に進む一方、内外の武装組織によるテロが頻発、治安は悪化した。ヴェリコヴィッチがイラクに赴いたのはこうした混乱期の最中だったと言える。

 彼は基地内の極秘司令室、通称「ボックス」でチームを率い、カメラや各種センサーを積んだドローンでテロリストと思われる標的を捜索、追跡する。作戦の最終段階では地上の戦闘要員による突入を支援したり、ときにはドローンに搭載したミサイルで敵を殲滅したりもする。こうした作戦の一部始終が、司令室内の会話も含めて臨場感をもって描写される。

 著者が強調するのは離れたところで戦闘を見守る者に特有の葛藤だ。「ターゲットを生かすか殺すか判断していたのは私かもしれないが、ほとんどの場合に引き金を引くことになるのは他の兵士だった」。ある任務の後、防弾ベストを返り血に染めた隊員が「殺した男は誰だ」とヴェリコヴィッチにたずねる。彼は悟る。この隊員は殺した相手の素性を知りたいのではない。「本当に知りたがっていたのは、こういうことだった。あの男は殺害すべき人間だったのか?」

 ヴェリコヴィッチがさまざまな場面で抱いた感情は、ネガティヴなものも含めて赤裸々に伝えられる。武装勢力の攻撃を受け、部隊に多くの死傷者が出た「修羅場」を回想しつつ、彼は言う。「私は仕返しにこの国を完全に、完膚なきまでに破壊したくなった。(略)イラク人を皆殺しにしたかったが、どうすることもできなかった」。また、ある任務で標的となった武装組織のリーダーたちのことを「アメリカ軍の増派作戦を生き延びたゴキブリども」と呼んではばからない。

 心理的な生々しさの一方、本書があえて語らない事柄もある。ドローンによって「どんなターゲットでも的確に探し出せる」と自負する著者だが、多くの報道機関に指摘されているように無人機の攻撃による民間人の死傷は後をたたない。本書もそうしたケースに触れてはいるが、「私もまた、そうした死に苦しめられた」とあるように、一個人の心痛として振り返るのみだ。なお、二〇一七年時点での『ガーディアン』紙の報道によれば、オバマ大統領はブッシュ政権時と比べてドローンの使用を大幅に拡大し、前政権の一〇倍もの回数、ドローンによる爆撃に許可を出している。そうした社会的あるいは巨視的な視点に本書は関心を払わない。

 この等閑視からもわかるように、本書はヴェリコヴィッチ個人の心の変容をつづったきわめてパーソナルな「物語」なのだ。文字通り寝食を忘れ、痩せ衰えた体で任務に打ち込むなかで、彼の内面はすっかり変わってしまう。変容を決定的に印象づけるのは、いとこが交通事故で亡くなったのに帰国を拒む場面だ。「ドローンと自分の任務以外のことがなにも見えていな」い彼は、「今は任務が大事なんだ」と言って帰国の勧めを断る。同時に「自分を人間たらしめているものを少しずつ失いつつあること」に気づいていく。

 二〇一〇年に派兵期間を終えてイラクを離れてから、自分のあり方に疑問をもったヴェリコヴィッチは部隊を辞める決意をするが、それは人生の大きな目標を失うことも意味した。ようやく転機が訪れるのは二〇一四年、ドローンを使ってケニアの野生動物を密猟者から守る事業に携わりはじめたときである。「私なら戦争より重要な目的のためにドローンを使うことができる」と確信したヴェリコヴィッチは、本書の終わり近くでケニアの大自然を前にして「それまでの人生を経て、この瞬間に行き着いた。私はこのために生まれてきたのだ」という感慨を抱き、生きる意義をあらたに実感する。本書の骨格はつまり、ひとりの若者が「地獄巡り」のような経験でいちど失った「人間性」を、新天地で取り戻すまでの、私的な再生物語なのである。

 (翻訳者)