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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

渡邊 間章が「ガセネタというバンドのためならなんでもする」と言ったという逸話がありますが、それについては?

山崎 当時オレがやっていた自称「最後のハードロック・バンド」ガセネタの音を聴かせたことがあって、いや、部屋でカセットで。その時に言ってくれていたんだけどね。さっきの言い方によれば、ガセネタは「こっち側」だと思って貰っていたから。あいにくと彼が病気になったりして、バンドとして間章と何かができる前に死んでしまった。ガセネタのライブの時にベッドのまま間章を運んできたら、とか冗談で言っていたりした。

渡邊 さて、年表を参照すると、間章は一九六九年、雑誌「ジャズ」に「シカゴ前衛派論」を寄せてデビュー。七〇年にジャズを契機とする闘争集団「JRJE」(日本リアル・ジャズ集団)で活動開始。七〇年に初めての渡欧、ジャーマン・ロックに出会い、帰国後、コンサートのプロデュース活動を行うようになる。七六年にはニューヨークでパンクを体験。雑誌『MORGUE』を創刊するのが死の直前である七八年。「遊」や「ロック・マガジン」でディスクレビューなどを書くのも七八年ですね。山崎さんと出会った時期というのが、ちょうどジャズよりもロックについて書く場が多くなってきた時期ということですね。

山崎 NHKラジオのAMに「若いこだま」という番組が当時あって、週に一回ロックの日を渋谷陽一がやっていて、ドイツ・ロックの特集でゲストに間章を呼んでいた。他に権威がいなかったんだね。間章はビートルズのことまで書いているんだけど、ロックへの関心はずっとあった。七六年ごろはパンクやニューウェイブが出てきて、凄い興味を持っていた。彼にとっては多分にロックは演歌だったのかもね。中上健次の都はるみみたいな。

渡邊 間章は日本のフリージャズの同人とともに活動している間に、いち早くジャーマン・ロックやニューヨーク・パンクを体験しに現地に赴いていますが、七七、八年頃、山崎さんから見てフリージャズとロックの距離感はいかがでしたか?

山崎 当時の世相で言えば、ジャズとロックの聴き手は明らかに分かれていて、だいたい、ジャズの人はパジャマを着て人の家に行かない(笑)。ジャズを聴く人は、ロックなんか聴いている奴はバカだと思っている。バカにされたロックの側も、そうおいそれと簡単にジャズを容認しない。岩谷宏的言い方を借りると、ロックが「切羽詰まって今を性急に求めて」いるというのに、ジャズと来たら、御自分のお楽しみをただ繰り延べているだけだと。

渡邊 フリージャズとロックの聴き手には結構溝があったのですね。でも間章はジャンルという考え方はしていなくて、対象は何であってもいいということですね。むしろ対象への向き合い方というか。

山崎 間章がロックかどうかっていうのは、あまり本質的なことではないと思う。彼は自分のやっていることを「運動」だと思っているので、ロックは資金調達がしやすいしね、と思っていた部分もあるでしょう。ジャズの批評なんか書いたってカネにならない。当時、ロックはまだしも売れていた。ジャニス・ジョプリンの『チープ・スリル』のライナーを間章が書いているけど(第三巻一六四頁)、創刊して間もない雑誌「POPEYE」のベスト・ライナー・ノーツは? という投票で一位だったりしたんだ。その意味では案外と、知る人ぞ知るで、イザラ書房から最初の著作集が、死後四年くらいを経て、八二年に出る。その翌年くらいに「宝島」で村上龍にオレがインタビューしたら、「惜しい人を亡くしたよね」みたいに語ってくれて、へぇと驚いたことがある。そうかと思うと、雑誌「エピステーメー」が送られてくるんだけど、「あんな分量を毎月読めるわけない」なんて言っていたりする。

■「冗談」と「本気」の闘争と裏表

渡邊 さて、間章を語るとき必ず出てくる話題の一つに、神秘主義、オカルティズムの話がありますが、山崎さんとしては、その辺は?

山崎 先だって、この著作集の刊行イベントとして須川善行と美術評論家の椹木野衣の対談があった。かねてより、晩年の間章の神秘主義、特にシュタイナーへの傾倒ぶりについては首を傾げていた須川がそれを言うと、椹木が同調し、まずはごく最近に会った阿木譲に間章の話を聞いた話をして、「書いたものは素晴らしいが、人間としてはちょっと……」と言っていた。阿木譲に言われちゃ「お前には言われたないわ!」と、故人に成り代わって突っ込みたいとこやけど、挙げ句に「もっと表層的にロック評論に関わって、ここにあるギター論に代表される、深い教養と技術への慧眼を駆使した、たとえ表層的と見られても通用するんだから、神(オカルト)頼みではなく、生き残れたろうに惜しいことだ」みたいに言っていたんだけど。そんな生き方を選ぶべきだった、みたいな。

渡邊 私はそのイベントには行くことができなかったのですが、こうすれば生き残れた……と他人が言うのは、確かに無責任ではありますね。死因はオーバードーズではなかったんですよね?

山崎 そう、クスリ云々は尾ひれのついた噂話の域であって、脳出血だし。あのね、彼(椹木)の発言に驚いた理由は二つあって、まずオレが言いたいことは、長生きするのをよしとされているのか。若くして惜しまれながら死んで、伝説になるのもありなんだし。それに経済的に苦しかろうがどうしようが本人の勝手でしょうが。「ギターの考察論」が素晴らしいからもっと楽器論(『著作集』第一巻所収)を読みたかったっていうことなら、まだわかるよ。たとえば二年前に事故死した若松孝二監督であれば、ああ、彼の次回作予定だった東電福島モノをこそ観たかったなぁ、とオレだって思う。けど、彼(椹木)の「こうやっとけば良かったのに」という感想にはどこか、世の中に阿る感じの保守性とご都合主義を感じてしまう。まぁ、誤解かもしれんわね。こんど直に話すよ。

 シュタイナーだったからそう言われているのかもしれないけど、あのね、どこまで冗談なのかって言ったとき、いちばんきついジョーク、はったりの利いたパンチのある、ましてやすべての体制をないがしろにできるお笑いは、まちがいなくオカルトなの。反体制の宗教なんだよ。間違いない。だからよく言うカリスマ性や伝説化がよくない云々とか言われたりするけど、それこそ、ちゃんちゃらおかしい。低次元すぎる。本質が一つも捉えられてない。例えばこれが、四方田犬彦であれば、その危険性と、と同時にある、ばかばかしさ故の痛烈な急進性について、もっともっと深いご理解があるよ。