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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

人間学についての人間学

――中村かれん著『クレイジー・イン・ジャパン』(医学書院)を読む
評者:岸 政彦(社会学)

 本書は、アメリカの映像人類学者による、「べてるの家」のエスノグラフィである。著者は実際に長期間にわたりべてるに住み込み、その成り立ちから人間関係、そしてその内部で起きたさまざまな出来事を詳細に描きだしている。その語り口は非常に静かで、淡々としていて、控えめだ。ここには研究者らしい、切れ味の鋭い分析は存在しない。だから、そういうものを期待すると、読者は裏切られることになる。

 だがこの文体には、理由がある。
 べてるの家については、すでに数多くの書物が書かれているので、ここで詳しく説明する必要はないだろう。べてるの実践は、精神医学だけでなく、社会学や心理学、障害学、福祉学、あるいは当事者(性)研究にとってひとつの大きな参照点となってきた。それはひとつの「新しい社会運動」のかたちとして語られることすらある。

 本書中でも語られるように、いまではべてるの実践は、長い年月を経てかなり変容し、拡散してきているので、それをひとことで要約することは非常に難しい。だが、あえて乱暴に単純化すれば、それは「普通と逸脱」「正常と異常」「こちら側とむこう側」の区別を徹底的に疑う、ということだろうと思う。それは、たとえば、「三度の飯よりミーティング」「べてるはいつも問題だらけ」「べてるに来れば病気が出る」「がんばりすぎない」「勝手に治すな自分の病気」「そのまんまがいいみたい」「昇る人生から降りる人生へ」といったべてるの理念にもあらわれている(66頁)。ここでは、べてるに参加するメンバーが、一方的に医者やワーカーから介入され「治療」されるということはない。むしろ、そうした「治療」は、メンバーを医療施設のなかに閉じ込め、かれらから人生そのものを奪うことにしかならない。そこでは、投薬などの医療行為によって「症状」そのものは緩和するかもしれないが、そこに生活は存在しないのだ。べてるではむしろ、症状、あるいは「問題」を抱えた人びとが、そのままのかたちでそれぞれの人生を生きることが目標とされている。もちろん、べてるのメンバーがそれぞれ、病いという問題を抱えていることは、事実としてある。だから、たとえば「病気もそのひとの個性なのですよ」というような、たんなるうわべのきれいごとがここで言われているわけではない。べてるのメンバーはそれぞれ、統合失調や妄想、鬱などといった問題を抱えていて、メンバーたちはその問題と向き合って、それと闘っていくのだが、同時にここでは、そうした問題を抱えたメンバーの意思や主体性が最大限尊重されるのである。

 病いを治療する、あるいは、問題に介入するときに、それをされる当の当事者の意思や主体性は、いったん括弧にくくられ、一時停止される。私たちはこれまで、こうしたことを、当たり前のこととして捉えてきた。べてるの実践は、この思い込みを正面から疑い、解体し、そして精神医療の現場において当事者の意思と主体性が尊重されるということはどういうことかを、私たちの前にさらけ出してくれる。このべてるの実践と方法論は、いまでは非常に有名になり、そのあとを追う人びとも数多く生まれてきた。

 本書は、日本人の両親から生まれたアメリカ在住の映像人類学者が、長期間にわたりべてるに住み込んで描いた、参与観察の記録である。だがこれは、エスノグラフィというよりは、ルポルタージュ、あるいはもっと言えば「小説」の文体に似ている。それはおそらく、著者が、第三者からの、客観的で一方的な分析をできるかぎり排除したことの結果である。著者はこの本のなかで、べてるでのフィールドワークで学んだことを、ふたたび実行しているのだ。

 著者は、べてるの方法について、それ自体として間違っているとも、正しいとも言わない。そのかわり、そこで見聞きしたさまざまなディテールを、きわめて繊細に描く。そして、そのことこそが、著者のべてるに対する立場をあらわしている。この本は、著者中村かれんにとっての「べてる」なのである。べてるにおける、他者を尊重する実践と方法論を、著者は、他者であるべてるの意思と主体性を尊重しながら描こうとしている。控えめで、淡々としたその記述は、従来通りの人類学や社会学的な研究書のイメージからすると、並外れて「文学的」に見えてしまうかもしれない。なにしろ、ここには著者による分析がほとんど書かれていないからだ。しかし、この「書かれていない」ということこそ、著者がめざしたことでもあるだろう。著者はただ、自分自身が経験したことについてのみ、静かに語っている。そしてその、著者が語るその語り方の静けさのなかに、べてるの方法論が再現されている。

 傷ついた存在、あるいは、否定的な自己、というものを、そのままのすがたで肯定するという、非常に困難な課題に挑戦するために、べてるは、その理念にもあらわれるような、さまざまな「人間学」を発達させてきた。本書はまさに、べてるの人間に関する理論を学んだ人類学者によって書かれた、人間に関する理論である。私たちは他者になりかわることはできない。しかし、他者とともに生き、他者から学ぶことはできる。そしてそのあと、私たちは、私たち自身の人生を生きる。本書は、べてるが生み出した「もうひとつのべてる」である。

 このような複雑な構造をもつ本だが、普通に読めばそれは、べてるの家への、非常に読みやすいガイドブックになっている。べてるに関する本は多いが、本書はなによりも、そのなりたちや日常を詳しく描いたという意味で、これからべてるを学ぼうとする読者にも役に立つ一冊だ。映像人類学者である著者らしく、付録に短編記録映画のDVDが付いている。こちらもまた、とても興味深い作品である。(社会学)