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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

孤立させない

――連鎖する性暴力被害のなかで、子どもたちがどのように生き抜いてきたのか、その実態を社会に広く知らせる展覧会
対談:仁藤夢乃×石原 俊

■8月11日(木・祝)より21日(日)まで、東京・神楽坂セッションハウスにて「私たちは『買われた』展」が開催される。同展主催の一般社団法人Colabo代表の仁藤夢乃氏と、仁藤氏の大学時代の師匠でもある社会学者で明治学院大学教員の石原俊氏に対談していただいた。(対談日・7月7日、東京・神田神保町にて。須藤巧・本紙編集)

■好きで売春をしたのではなく、「買われた」んだ

石原 今日は『図書新聞』紙上で仁藤さんにお話をうかがうわけですが、なぜ門外漢の私が対談者になっているのかというと、仁藤さんは明治学院大学社会学部在学中に、ぼくのゼミ生だった経緯があるからです。デビュー作『難民高校生』(英治出版、二〇一三年)に書かれていますが、仁藤さんは高校をドロップアウトした後、渋谷の街で寝泊まりしたり、メイドカフェで働いたりしながら、文字通り「難民」のような生活を送っていた。いくつもの幸運な出会いもあって高卒認定資格を取って大学に入学するにいたり、大学卒業の直前に『難民高校生』を出版する。卒業後は一般社団法人Colaboを拠点に、貧困や家族崩壊のために学校にも家庭にも居場所がない女の子たち、あるいは性被害に遭ってきた若者たちへの支援活動を始めます。仁藤さんは二作目の『女子高生の裏社会』(光文社新書、二〇一四年)で「JK産業」に巻き込まれた女の子たちの性被害を描き、作家としてもアクティビストとしてもさらに有名になりますが、ここで少し裏話をすると、実は本紙編集長のおつれあいのYさんが光文社の編集者で、また私の友人でもあり、Yさんを通して新書の企画を持ち込んだという経緯があります(笑)。そして今年、仁藤さんは「児童買春の実態を伝える『私たちは買われた』展」を企画し、この八月についに開催にこぎつけた。この展覧会の趣旨を教えてください。

仁藤 今回の展覧会は、売春をしていた中高生を中心に、二十歳前後くらいまでの女の子が二〇人ほど参加して、その実態を伝えたいという企画です。なぜこれをやろうと思ったかというと、一つは、とある大学で私が授業をするときに、一人の女の子が私についてきたことがありました。授業で「中高生の売春ってどんなイメージ?」と私が学生に訊くと、「好きでやってるんでしょ」「優越感に浸れるため」などと返事があります。しかし、私が出会っている女の子は、気持ちいい性行為をそこでしているわけではない。やりたくてやっているわけではないし、常にそこに暴力がともなったりするし、そうしなければ生きてこられなかった背景があるのに、そこは見ない。授業についてきた女の子は最初びっくりしていたので、私が「大丈夫?」という感じで目を合わせたら、「もう、そんなことでは傷つけなくなった」と言っていました。その子とはその一年くらい前に慰安婦の写真展に行ったことがあり、そのときに「こうやって写真で伝えられることがあるんだね」と話しました。慰安婦の方々の受けた被害に自分が共感するところがあったようなのです。しかしその女の子たちが顔を出すことはできない。だからそれぞれが伝えたいイメージのようなものを写真と言葉にしてみようと思いました。例えば、展覧会のチラシにも使った写真では、ある女の子が成人式で振袖を着ていますが、腕には自傷行為の痕がたくさんある。その子は、二十歳まで生きてこられたことを伝えたくてそういう写真を撮ったそうです。もちろん暴力やその後のトラウマで苦しんで生きていることも伝えたいけれど、そこに至るまでに大人に言われたこととか、教育や福祉から漏れてきたことなど、何でもありなんですが、とにかく伝えたいこと、言いたいことを表現する。好きで売春をしたのではなく、「買われた」んだということを伝えたいんです。

石原 困難を抱える中高生の置かれた状況がテーマの大学の授業で、「中高生は好きで売春している」という発言が出るわけですか?

仁藤 「ブランド物とか遊ぶカネ欲しさで」という意見が多いですね。

石原 大学に比較的容易にたどりつくことができる若者と、そうした女の子たちとの距離、ギャップがすごいですね。

仁藤 私が代表をつとめるColaboで関わった女の子たちのなかで、これまでに大学に行けたのは一人だけです。法人化した二〇一三年以降、約三〇〇人がColaboに支援を求めてきました。専門学校に行った子は何人かいますが、高校を中退している子も多いので、まず高卒認定の資格を取らなければいけません。学力的にも、九九ができない子がいたりします。それで高校卒業が二十歳くらいになったりする。そもそも小学生のときからあまり学校に行っていなかったとか、親が学校に行かせてくれなかったというケースもあります。例えば、親からの性虐待があって売春していた子で、Colaboのサポートを受け、親から離れて生活保護を受けて暮らしている二十歳の子がいます。自立に向けて、職業訓練校に通おうとすると毎日行かなければならないのですが、自信がない。小学生のときから週五日も学校に行ったことがないからです。それと、精神障害を抱えている子がかなりいます。障害者手帳をもらっている子もいます。彼女たちは様々な生きづらさを抱えています。今回の展覧会の企画にもそうした子の何人かが関わっています。「この写真がいい」などとミーティングするのですが、そこに来ると解離してしまったりフラッシュバックしてしまうこともあります。

石原 親からのDVも含めた性虐待のすさまじい被害があり、それが「買われる」「売る」ことにつながっていくという現実が広く存在していることが、まず知られていない。この展覧会の第一の目的は、そうした連鎖する性暴力被害の実態を社会に広く知らせることですね。しかし同時に、そうした暴力のただなかで子どもたちがどのように生き抜いてきて今にいたったのかも伝えたい。二つの課題に同時に取り組んでいるわけですが、気をつかうことがいっぱいあるだろうし、表現として社会に出していくときの難しさもあると思うのですが。

仁藤 私が一番ビビっています(笑)。「この写真には制服が写っているから、バレちゃうんじゃないの」とか。

 今回関わってくれている女の子たちは一人も警察に訴えていません。それは、訴えることができない事情があるからです。警察に行ったら親や学校に連絡が入る。児童福祉を受けている子が、児童相談所に知られたくない、今の施設や里親の元を離れることになるかもしれないと思って、被害を訴えることができないでいることもあります。そこで子どもが責められ、情報がどこまで伝わるのかわからない。例えば、とある女の子が性被害に遭ったとき、教育委員会に連絡が行き、そこから学校に指導のようなかたちで連絡が行き、教頭がその子に電話してきた。その子にとっては、自分のことを誰がどこまで知っているのかがわからなくて、余計に学校に行きたくなくなった。親も親でそれを受け止めきれなくて、精神的に崩れていってしまうこともあります。

 とある中学生の女の子は、小学生のときから「ナンパ待ち」をしていたそうです。なぜならご飯を食べに連れていってくれる人を待っていたからです。最初は妹も一緒にいた。母親が家に帰ってこなくてネグレクト状態で、ゴミ屋敷のようなところでお風呂もないしガスも出ない。だから妹と駅前で立っていたんだそうです。そのときは性被害には遭っていなかったけれど、一人で立つようになったら、家に連れていかれてレイプされた。

石原 性暴力ではないかたちのDVが連鎖することは、比較的よく指摘されます。しかし、親から性暴力に遭ったり、家の中で親のセックスを見せられたり、そういう子どもたちの多くが成長する過程で他人の大人から性被害に遭う、つまり性暴力が連鎖するということは、きちんと世の中に伝わっていない。被害に性的な側面が付くと、そこに様々な偏見や好奇心が介在してしまう。

仁藤 子ども自身も、自分の親にいろいろあったと気づいていないこともあります。家は大変だったけど、「家庭が悪い」とか「親が悪魔だ」ということだけではなくて、その親も虐待されていたとか、孤立や貧困の状況にあったというところまで想像してもらえたらなとは思います。とはいえ、親も福祉や公的支援を拒んできた面が多くあります。「生活保護は絶対に嫌」と言ったり、子どもが障害者手帳を取得した方が生きやすくなる状況でも「障害者にしたくない」と言ったり。逆に、障害者手帳を子どもが取得したらその年金を取ってしまったり、親が子どもを売春させていることもあったりします。母親もDVする父親に逆らえず、その父親から子どもが性虐待を受けていても、何も言えないということもあります。しかし、その女の子たちが、暴力をふるう悪い大人にだけひどいことをされたから現状があるのではなくて、悪くない大人が無視したり、見て見ぬふりをしたり――ある女の子は、家で性虐待を受けたので、「そんな目に遭うなら違う人と」と思ってホテルを転々としていたら、性病に罹り、精神的にも相当に不安定になっていました。ある日、その子が私たちと関わって、警察や児童相談所に行けば何かしてくれるかもしれないと思ったのか、一人で児童相談所に行って「売春やめたいです」と言ったら、性依存症の自助グループを紹介されて帰ってきました。びっくりしました。その子はセックスしたくて売春していたのではないのに。

 また、別な例では、私たちや弁護士が「虐待があった」と通告したうえで、本人から「今日保護されたい」と児童相談所に連絡をしたのが金曜の夕方だったことがあります。児童相談所の人は、私と弁護士には「いまから女の子に会いにいく」と言ったのに、女の子には「今日はもう閉まっちゃうから月曜に会いにいくね」と。その子は地方の子だったので、月曜までどう過ごせばいいのでしょうか。保護するはずの立場の人でも、そういう態度をとることがある。

 Colaboに来る子は保護されることをほぼ拒みます。「一時保護所に入るのなんか絶対に嫌」とみんな言います。児童相談所に保護されると、だいたいまず一時保護所に入るんですが、そうすると基本的に二カ月くらい学校に行けなくなってしまいます。ある子は去年、「八月になったら保護されてもいい」と言いました。なぜかと思ったら、七月に学校の部活の引退試合があって、一緒に練習してきた友達とダブルスで出たいんだと。児童相談所の人も、そういう気持ちは当然ながら大事にしてほしいんですが、考慮してくれない。また、別な男の子は文化祭の会計係を任されていました。それは自分の誇りの仕事だと。だからもし保護されたらそれができなくなるし、理由を説明できないまま仕事を投げ出したくないと。保護が子どもたちが望むかたちでなされてはいない。ではどうするかというときに、声をかけてくれたり、頼りにできたのは「買って」くれた人だけだったということです。

石原 仁藤さんの『難民高校生』と『女子高生の裏社会』で一貫してキーワードになっているのは「関係性の貧困」です。いま話に出た部活や会計係は、その子たちにとってのたった一つの「関係性」の拠り所だったということですよね。福祉や行政は、そのようなたった一本の糸を理解しようとしない。