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柳田 邦男氏
1936年、栃木県生まれ。作家。ノンフィクションの著書多数。最近は「生と死」、心と言葉の危機に目を向け、『言葉の力、生きる力』『「人生の答」の出し方』『絵本の力』(共著)、『砂漠でみつけた一冊の絵本』、『壊れる日本人
ケータイ・ネット依存症への告別』を刊行。絵本の翻訳も手掛ける。
〈主な受賞〉1972年「マッハの恐怖」で第3回大宅壮一ノンフィクション賞、1995年ノンフィクション・ジャンルの確立への貢献と「犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日」で第43回菊池寛賞 |
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柳田 邦男氏メッセージ |
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絵本は不思議な玉手箱。人生経験を積むほどに深い読み取りができるし、忘れていたみずみずしい感性や想像力を蘇生させてくれるのです。 |
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人生に三度出会う絵本の世界とは
柳田 私はかねて、「絵本は人生で三度読むべきもの」と言ってきました。三度というのは、自分が子どもの時、子育ての時、そして人生の半ば以降のこと。人生の後半になって絵本を手にとると、予想外のすばらしい世界が開けるものだからです。
中には、子どもがいないので「私には二度目以降がない」と言う人もいますが、三度というのは象徴的な言い方に過ぎません。河合隼雄先生は「私は生涯続けて読むから一度だ」と。
俵さんは今、ちょうど二度目ですね、子育ての最中ですから。
俵 はい。伺っていて、自分はまさに二度目の出会いだなと。小さい時に絵本が好きで、母によく読んでもらいました。いつからか文字だけの本になってしまったのですが、2歳になる子どもに読む時になって、自分が読んでもらった懐かしい絵本に再会しました。
それが今も読み継がれ健在だったことに感動したり、逆に、今はこんなテーマの絵本もあるのかなどと新たな発見もしたりしています。
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俵 万智氏
歌人。1962年、大阪府生まれ。1981年、早稲田大学第一文学部日本文学科入学。歌人佐佐木幸綱氏の影響を受け、短歌を始める。同大学卒業後、高校で国語教諭を勤めながら歌集を発表。1987年、第一歌集『サラダ記念日』が話題を呼び、260万部を超えるベストセラーになる。
〈主な歌集〉『プーさんの鼻』、『サラダ記念日』、『とれたての短歌です。』、『かぜのてのひら』、『チョコレート革命』
〈主な受賞〉『八月の朝』で第32回角川短歌賞受賞/『サラダ記念日』で第32回現代歌人協会賞受賞/『愛する源氏物語』で第14回紫式部文学賞受賞 |
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声に出して読む絵本の楽しさを
柳田 私も最近は、絵本を声に出して読みます。松居直さんが、「絵本は声に出して読んで初めて絵本になる」とおっしゃっています。私は今年70歳ですが、『モコ モコモコ モコ……』なんて抑揚をつけて読むと、絵本の世界があったかく膨らんできて、とても楽しい。
俵 先生がお一人で、声に出して絵本を読んでおられるんですか?
柳田 ええ。目だけで読むのではぜんぜん世界が平面的になってしまう。それは絵本の特徴ですね。
俵 擬音も登場人物の言葉も、声に出して読んでいると、絵本の中から生きて立ち上がってくるような感じがしますね。子どものためには、これが大事なことなのだなと日々実感しています。
最近では、『りゅうのめのなみだ』(いわさきちひろ:絵 浜田広介:文)という絵本を私が張り切って読むと、子どもが登場人物としゃべりはじめたりするんです。「リュウくん、こんど遊びにこない?」なんて(笑)。すると、私も絵本のストーリーそっちのけで、ほんとうに龍が遊びに来るような気持ちになってしまうんです。それは、声に出して読んでいるからこそだと思います。
柳田 俵さんの歌集『プーさんの鼻』の冒頭に、「腹を蹴られてなぜかわいいと思うのか よっこらしょっと水をやる朝」とありますね。お腹の中で胎児が足を突っ張ることから、母親はいろんな感情を触発される。そこに生きている赤ちゃんの動きに自分が感動したり実感を持ったりして、そこにいのちの躍動する新しい時間と空間が生まれる。絵本って、それに似ているように思うんです。
絵本の想像力や感性を取り戻す
俵 絵本の文章はシンプルな言葉で書かれているので、はじめは気付かないようなことにある時ふと気づかされ、はっとしたことが何度かあります。
『きんぎょが にげた』(五味太郎:作)という絵本では、一匹だけで水槽にいるのがつまらない金魚が水槽を跳び出して、カーテンの模様になったり、キャンディーの中に入ってみたり。子どもはそれを探すのが楽しくて夢中になります。最後は、たくさんの金魚の中に入って、もうどこにも行かないよ、と終わります。
何度も読んでいるうちに、これは金魚の自分探しの旅だったのかな、もしかしたらそんなメッセージもあるのかなと、ふっと思いました。一冊の絵本が自分に問いかけてくるような瞬間があるのは、絵本の醍醐味ですね。
柳田 『もくようびはどこへいくの?』という絵本では、こぐまが誕生日の木曜日にお祝いをしてもらう。夜がきて、楽しかった木曜日はどこへいっちゃうんだろうと、探しに出かける。流れゆく川の水に、「きみ、木曜日?」と聞いたりする。
私たち大人は、木曜日はどこへいくんだろうなんて考えません。世界はこうなっているのだと、わけ知り顔になっている。そんな感性の枯れた大人になるって、なんて寂しいことでしょう。
大人が絵本を読むというのは、そういう失われてしまった感性を取り戻し想像力を再生させること、しおれた花に水やりをすることかなと思います。
絵本は五重の塔の太い芯柱になる
俵 絵本で語られると、とても素直に心の中に入ってくるという気がしますね。削ぎ落されて、子どもにもわかるやさしい言葉で書かれていて、それが心の深いところ、感性の部分に届いた時に、大人もはっとさせられるのでしょうか。
柳田 そういう絵本の世界に、子どもの頃からしっかりと浸って育っていると、人間として生きるうえでの大きな芯を心の中に持つことになる。ちょうど法隆寺の五重の塔の真ん中に太い柱が振り子のようにつり下げられていて、地震に耐えられるようにしてあるのと同じです。成長していく過程で、道をはずしてしまいそうになった時でも、戻るべき中心軸がどこかがわかるんですね。
俵 子どもはごまかしがきかないので、本物というか、長く時代を超えて読み継がれている絵本というのは、本当に心の芯のところに訴えかけてきますね。そして、それらの作品には、大人をも魅きつける力があるのだと感じています。
優れた絵本のような短歌を創る
俵 私自身が子どもの頃、『三びきのやぎのがらがらどん』(北欧昔話/マーシャ・ブラウン:絵/せたていじ:訳)という絵本を一冊丸ごと覚えてしまって、一字一句間違えずに読んでいたと母から聞きました。子どもにも読もうと買ってきて、奥付を見ると1965年初版。私が3歳の頃で、母は母なりに嗅覚を効かせて、当時の最新の絵本を選んでくれていたんだなと思いました。この絵本は、今もすごく版を重ねていますね。
シンプルな言葉で深い内容を持つすてきな絵本を見ると、自分も短歌でそういうものが創れるといいなと思います。短歌もリズムがあって、声になって人に届いていくものですから、たくさん絵本と共通するところがあります。
柳田 短歌というのは、わずか31文字で世界を表現しますね。人間が生きる上で、心の支えになるのは、大河小説のような長編より、短い言葉や詩や短歌であるように思います。
俵 私もいくつか絵本の翻訳をしていますが、やはり子どもが生まれる前は頭だけで理解して訳していたように思います。今度は、子どもに実際に読んでやり、試しながら訳したいと思っています。シンプルな英語だけに難しいのですが、子どもと絵本の世界で遊ぶのは楽しいので、人生で二度目の絵本との出会いを大切に続けていきたいと思っています。
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