本を読み続ける事は学び続ける事。一冊の本を選ぶという事は、数多くある価値の中から、今、自分にとって必要な価値を見つけるという事だと私は思う。
本校は市の中心部に位置し、全学年五クラスずつの、石見地方では大規模校である。五年前、私は母校でもあるこの学校に着任し、一年生を担任して張り切っていた。思い切って学年会で提案。
「朝自習は読書にしませんか」
幸い、意欲的な先生方ばかりで、学年全体で取り組むこととなった。まず、すぐに感じられたのは、朝自習の後の学級朝礼が非常に静かでスムーズであることだ(心が荒れたりクラスが落ち着かなくなると、朝から騒しく学級朝礼で担任としての思いの半分も伝えられない時がある)。また、一人一人の読んでいる本によって、その生徒の好みや趣味などが分かり、生徒理解に役立つというメリットである。例えば、学級委員をしているA君は、意外に、赤川次郎の著作が好きである。「ピアノに習字、学習塾と、ぎっちりスケジュールが詰っているからなあ。こういう本を読んで息抜きがしたいのだろう」などと考える。あまり目立たない男子生徒が『わたしは貝になりたい』を読んでいた時は驚いた。「この少年の心のどこに、B・C級戦犯の心に寄りそえるものがあるのだろう」と、彼に一目置くようになった。
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さらに、その生徒が求めているものをさりげなく伝えることもできる。Bさんはバレエを習っていたが、テニス部に入るか、体操部に入るかで迷っていた。私は、森下洋子さんの『バレリーナの情熱』という本を「あなたが持っている方がいいと思うのでプレゼント」と言って渡した。彼女は体操部のホープとして活躍し、大阪へバレリーナをめざして転校していった。私は一年生の時の担任であったが、終了式の日に、彼女は手紙をくれた。その中に、「『バレリーナの情熱』は、くり返し、何度も読みました。先生に、よい本を紹介してもらったり、読書ノートを見てもらったので一年に四十一冊も本を読めました」と記してあり、私は本当にうれしかった。
本をなかだちすると、「分かる、分からない」「できる、できない」という学習の世界を超越した世界で、心を交い合わせることができる。
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五年前、一年生だけで取り組んだ朝読書。四年前からは全校で取り組んできた。朝自習の時間に、生徒だけで読書していたため、二学期の中頃からは、半分くらいの生徒が宿題をしたり、おしゃべりをしたりする時間となり、くずれてきた。三年前から「朝礼を先にして、その後の十分間で担任とともに読書」と変更した。正直に書くと、学級朝礼の時間が五分しか取ってないため、職員朝礼、学年朝礼が長びいたり、学級朝礼が長びいたりして、朝読書が五分しか取れない、あるいは全く取れないこともある。来年度は、学級朝礼を十分にし、朝読書の時間の十分もきちんと確保する予定である。
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今年、一年生の主任をしている。担任の先生方の協力もあり、一年生は、写真のように今も本としっかり向きあっている。
この五年間で、予想外によくなったことは学校図書館の意義が認められ、利用者が増え、図書委員がほこりと自覚を持って活動をするようになったことである。
学級文庫の本の入れかえをしたり、文化祭で発表をしたり、朝読書で読んだページを記入するカードを回収したり、色々な活動を楽しんでしてくれている。
今年度の図書委員長は、
「僕は三年間、図書委員をしています。何でも聞いて下さい」
と、最後に挨拶をした。二年連続の生徒も何人もいる。
課題はあるが、できることから一つずつ、この仲間たちと取り組んでゆきたい。
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