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朝の読書」は理想の授業への模索の中で見つかった。「朝の読書」の提唱者である著者が語る、どの子にもわかる授業の実践。読む、聞く、書く、話すといった基礎的能力の育成について考察します。 |
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『朝の読書』がすでに一割を超える学校で実践されていることは、日本中の学校に広めたいと願っている私たちにとって、こんなありがたいことはありません。
「だれでも、どこでも、いつでもできる」・・・これほど簡単なものはないといえるほどやりやすい実践ですから、全国に普及するのは時間の問題でしょう。
ただ、私たちの願いは、『朝の読書』が全国の学校へ広まればそれでよいというほど単純なものではありません。
毎朝とはいえ、たったの10分間です。
学校生活は毎日その何十倍もあるわけです。特にその大半を占める授業こそが問題なのです。
実は、この『朝の読書』は、「どの生徒にもわかる授業」を、私なりに必死に追求した結果
、いってみればその副産物として生まれたものなのです。
『朝の読書』の本当の始まりは私の授業であり、従って『朝の読書』の本当の到達点も実は授業にこそあるのです。
ですから、学校で行われる授業が『朝の読書』のようになってほしいということです。
それは、「一人ひとりの子どもが、生きるのに必要なことを自分の力でできるように、楽しく、生き生きと、みんなで助け合ってやれるようにする」ということです。
毎日の授業こそが、子供たちにとって生きがいであり、楽しみであり、同時に生きる力そのものを育むものであってほしいということです。
教育とはそもそも生きた人間同士の具体的な生きた営みであって、ある特定の偶然性と限界性のなかでのみ意味を持つものに過ぎないということです。
『朝の読書』の成否の分かれ目は、他ならぬ生徒と教師のかけがいのない1回きりの人間的触れ合いが成立するかどうかにかかっており、教師の心構えや態度がその大切な第一歩となるのです。
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