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注目の作家 vol.3 【紹介者】 文藝春秋 樋渡優子さん
花村萬月「汀にて 王国記U」
▼花村萬月肉筆メッセージ  ▼花村萬月作品リスト
「私の故郷、五島を見ませんか?」と教子は誘う。
密かに修道院を抜け出し、
隠れキリシタンの島をめぐる 二人きりの旅の先々で、
朧が垣間見せる<殺人者の横貌>。


花村萬月
【著者プロフィール 】
花村萬月 (はなむら・まんげつ)
 1955(昭和30年)2月5日、東京に生まれる。中学を卒業後、オートバイで全国を放浪し、さまざまな職業につく。三十歳の頃、真冬の北海道を旅したときの、日記がわりの文章を友人が旅雑誌に応募し、原稿料を手にしたのを機に小説を書きはじめ、1989年『ゴッド・ブレイス物語』で小説すばる新人賞を受賞、作家生活に入る。音楽、バイク、恋……若者がもつ峻烈な生命力と焦燥を、疾走感とともに描き出す作品を次々に発表し、多くの読者の支持を得た。
 1998年『皆月』で吉川英治新人賞を、『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞をたて続けに受賞し話題となる。現在も、週刊誌、小説誌に複数の連載を抱え、旺盛な創作欲をみせている。
 印象的なこの筆名は、デビュー時に「ゆくゆくは時代小説も書いてみたい」と話したところ、編集者が命名したとのこと。

『汀にて 王国記U』
■文藝春秋 刊
■本体価格1,286円
■絶賛発売中!


『汀にて 王国記U』 (2001年2月刊)

 夜半のプレハブ倉庫で、いつものように抱き合った後、「私の故郷、五島を見ませんか」と、教子は誘う。日記をシスターに盗み見られて、男と逢っていることがばれた彼女は、修道院を追い出されるというのだ。
 修道院を抜け出し、五島列島にとんだ朧と教子は、ひそやかに隠れキリシタンの跡をのこす島内をめぐる。朧の肉体に強烈に引きつけられるが故に、相手を注意深く観察する教子は、そのうち、朧が人を殺したというのは本当だろうと確信するに至るのだが……。

 「愛する人であっても、意見を異にすればあなたは迫害するのです」  私は進行方向を凝視したまま、頬笑みを泛かべる。  宗教とは人々に大きく双手を拡げて迎えいれるポーズをとる一方で、意に染まない者を徹底的に殺す。  宗教の本質は、排除だ。  宗教的人格というものがたしかに存在するのだ。  そして宗教的人格を纏ってゆるぎない人は、私のとなり、助手席で貧乏揺すりを続けている。(「汀にて」より)

 教子は性にのめり込むほどに、相手に支配されることを希い、いまや朧は彼女にとって、あたらしく作り上げた神様なのだった。赤羽元修道士と同じく、「神様なんて、絶対にいない」と思う教子は、自分の肉体を通して見つけた神をあがめることを選ぶ。修道院内を舞台にしてきた<王国記>シリーズが新展開をみせる表題作「汀(みぎわ)にて」と、ふたたび赤羽の視点から語られる「月の光」。朧の子供を産んだシスター・テレジアは死の床についていた。出生届さえ出されていない、ただそこに存在するだけの赤ん坊に、赤羽は何ともいいようのない慈愛を感じるのだが。
 聖と俗とが絡み合い、方々へのびてゆく物語の触手、「時代がどんなに変わっても、人間の肉体の感覚だけは不変」という著者の信念は、この宗教と人間をめぐる物語に、従来の観念的な宗教譚にはない切実さをもって、訴えかけてきます。行く先が見えないいまの時代に、作家ならではの一石を投じています。


                  ▼『汀にて 王国記U』立ち読みコーナーへ



●五島の萬月さん − 「汀にて」取材記
                            文學界編集部・舩山幹雄

 花村さんとヒワタリとわたしは一昨年9月に長崎経由で五島の福江島に「汀にて」の取材に向かいました。
 福江島は歴史ある教会がたくさんあり、地図を見てひとつひとつ回っていきました。タクシーに乗るやいなや、花村さんは「ジャーン、用意してきたもんね」とメモ帳を取り出し、運転手さんに熱心に質問しはじめました。
 二日目になると、教会にも飽きたのか、だんだん無口になり、構想を練っているのか、ジーッと景色を眺めているかと思うと、「ゆうべは悪さをしなかったのう」とか「きのうのチャンポンうまかったのう」とか呟いたりしていました。
 ところが、淵ノ元のキリシタン墓地へ着くと、花村さんの態度は一変したのです。淵ノ元は島の北西の端に位置し、近くには集落もなく、運転手さんも初めていくという場所でした。空はどんよりと曇っていて、海に面して、百基くらいのお墓がならび、お墓にはつい最近活けたような黄色や赤や青色の鮮やかな花が咲いていました。
 花村さんは、タクシーから降りると、嬉しそうな、でも目は真剣な顔つきで、ひとりで黙って墓地をすみからすみまで見て歩いていました。墓碑銘をメモしてるかと思うと、海の向こうをながめていたり、立ったり座ったり、いろんな格好をしていました。
「花がやけにキレイですね」
とわたしが言うと、
「わかんないの? これ、造花やんけ」
と花村さんは言いました。あッと思っていると、花村さんは「この場所に来られてよかったよ」とひとこと言い、車に戻っていきました。車の中ではまた「昼はチャンポンがいいかのう」とか「今夜も悪さをする場所はなさそうだのう。健康的だのう」などと呟いていました。
 おそらくこのとき、花村さんの頭の中にはすでに、あの感動的な「汀にて」のラストシーンが、浮かんでいたのだと思います。
●花村萬月のライフワーク<王国記>シリーズ
花村萬月氏の最新刊『汀(みぎわ)にて 王国記U』(2月16日発売)は、<王国記>シリーズの三巻目。王国記Uと便宜上付けておりますが、98年に刊行された『ゲルマニウムの夜』(第119回芥川賞受賞)がシリーズの一巻目、二巻目は『王国記』、それに続くのが本書です。「王国」とは、本作品の主人公である22歳の青年・朧(ろう)が目指すところ、精神的支配の究極の境地……やがては新興宗教の祖となり自らの王国を建設する男を軸に、現代における「神と人間」の関わりを問う著者のライフワークです。著者自身「いつ終わるのか判らない」と語るこの長い長い小説は一冊に2〜3篇の中篇を収め、そのひとつひとつが作品群となって大きな物語をかたち造っていきます。
『ゲルマニウムの夜』
■文藝春秋 刊
■本体価格1,238円
■発売中
『ゲルマニウムの夜』 (1998年9月刊)
 ふたりの人間を殺し、育ったカトリック系修道院兼教護院に舞い戻ってきた青年・朧。不良少年だった彼は、社会と隔絶した檻であるこの場所で少年時代を過ごし、一度世間に出たが、ふたたび殺人の時効まで身を隠すつもりで、修道院内の農場作業に従事して日を過ごしている。彼の事情を薄々察している白人院長のセルベラは、朧を匿う代わりに、彼に「特別奉仕」をさせていた。その一方で、朧は修道女見習いの教子と夜ごと密会し、力で農場内の同僚をねじ伏せ、シスター・テレジアを犯す。日本であって日本でない場所、修道院という聖域の囲いの中で、暴力の衝動に身を任せ、冒?のよろこびに酔い、しかし神から遠ざかるほどに神を意識する。
 「まさに冒?の快感を謳った作品。主人公の徹底したノンモラルは逆にある生産性をさえ感じさせる(石原慎太郎氏)」と選考委員の絶賛を浴びて芥川賞を受賞した。表題作のほか、朧を父のように愛し、赦して死んでゆくモスカ神父との宗教問答を収めた「王国の犬」、少年時代に朧が上級生から受けた暴力による支配の記憶を描く「舞踏会の夜」の三篇を収録する。

 僕は女の乳首に吸いついて歯をたてた。眩暈をおこしつつある脳髄の片隅で、祈りとは反復に意味があるということを僕はいきなり理解した。いまおこなわれている性行為と同様に反復が祈祷の快感をもたらすのだ。すべての快感の本質は反復にある。その事実において祈りと性行為がイコールで結ばれることを理解した。僕は宗教の真の快楽を知りつつあった。自我なき反復。これが最上のものだ。
                               (「ゲルマニウムの夜」より)

『王国記』
■文藝春秋 刊
■本体価格1,238円
■発売中
『王国記』 (1999年12月刊)
「たとえば僕が人をひとり殺したとします。それから女の人を犯して新たに生命を誕生させたとしたら、僕の殺人は許されますか」
「君の理屈には、個々の生という視点が見事に欠けているよ」
「ああ、それはしかたがないですよ。瑣末なことです。だって、僕は神の視点に立っているんですから」                         (「ブエナ・ビスタ」より)

 修道院内の農場を指揮していた赤羽修道士が、修道士をやめ、出ていくという。己を虚しくして、神の器たらんと二十余年努めてきたが、どんなに祈っても、神が自分の身辺にはいらっしゃらないこと、つまり神が自分を選ばなかったことに、赤羽は気づいてしまったのだ。彼を新居まで送ってきた朧は思いがけない難題を持ちかける。朧の子供を身ごもったシスター・テレジアを引き取ってくれと……。行くあてもなく新橋のヘルスに足を踏み入れた赤羽、そこで彼が知った己の器、そしてこの世界の<よき眺め(ブエナ・ビスタ)>とは? 前作とは一転して赤羽の視点から綴られる「ブエナ・ビスタ」と、修道院内での朧の農作業の日々を追う「刈生の春」。冬のあいだにサイレージの蓄えが底を突き、凍てついた寸たらずの牧草を刈り込みながら、朧は「神様は、肝心なときに何もしてくれないから、神様なのだ」という結論にたどり着く。世間と隔離された空間で、同輩や収容生を束ねつつある朧と、心ならずも塀の外で朧を支援する羽目になる赤羽。のちに「教団」を組織して、絶対者になろうとする男の萌芽期を描く一冊。

●『ゲルマニウムの夜』の思わぬ余波
1998年夏、『ゲルマニウムの夜』が芥川賞を受賞したときには、凄まじい数の取材が著者に殺到しました。これは、『ブルース』『笑う山崎』のヒット作をはじめ二十冊以上の著書をもつ人気作家ということは勿論ですが、同時に直木賞を射止めたのが、車谷長吉氏の『赤目四十八瀧心中未遂』であったことから、本来、純文学の分野で活躍する作家に与えられる賞イコール芥川賞、エンターテインメントの分野の作家には直木賞というそれまでの文壇的棲み分けが取り払われた結果に、当時の経済状況になぞらえて「文芸ビッグバンの時代か!?」と話題になりました。新聞、テレビ、文芸誌、情報誌、女性誌……百件を超える取材インタビューの中には、60〜70年代に流行したモッズ・カルチャーについてフリーペーパーを出している若者たちからの依頼もありました。
 「日本の小説は殆ど読んだことがなかったんですが、『ゲルマニウムの夜』はショックを受けたんです。漢字も読めないのがあるし、内容も全部はよく判らないんですけど、なんかスゴいなって思って……」
 日頃から「読んでから悩む小説が書きたい。本を閉じてからはじまる読書」と話す著者のまさに意に適った反応でした。
 その後、韓国で翻訳された『ゲルマニウムの夜』が、過分に性的、暴力的だと青少年保護法における有害刊行物という指定を受け、18歳以下には売らないこと。つまり成人用としてビニールをかけることを義務づけられたのですが、その制限下でも版を重ねており、異例の反響を得ています。
花村萬月肉筆メッセージ  ▼花村萬月作品リスト
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